忌野清志郎の
バンドマンとしてのビギニング
RCサクセション初期の傑作
『シングル・マン』
R&B、フォーク、
ロックンロール、サイケetc.
小林がメインヴォーカルのM2「大きな春子ちゃん」はアコギ基調で、今回聴いて“子供の頃の自分はこういうのが何か嫌だったんだわね”と思ったりもした。コーラスワークもM1のCメロに近く、やはりフォーク寄りではあると思う。ただ、事はそう単純ではない。ストリングスの重ね方はアメリカンな印象もあるし、アウトロ近くにはドゥワップ的なコーラスも聴こえてくる。ドラムのフィルも多彩で、いわゆる日本のフォークとは一線を画していたと思う。お子様にはそれが分からなかった。
続く、M3「やさしさ」は「スローバラード」がシングルリリースされた際、そのB面に収録されていたナンバーで、今思うとB面らしいと言えばB面らしい楽曲ではあるように思う。とにかく進行が面白い。いや、はっきり言えば妙な進行である。マーチングビートに乗ったキラキラとしたシンセ(たぶんシンセ)から始まって、冒頭こそ歌メロも親しみやすいのだけれど、《ずるい人だ 君は》のあとで転調。《(ずる ずる ずる ずる・・・・)》以降は何か不穏な空気が支配していく。清志郎のシャウトも延々と続き、かなり狂気じみた感じ。ここのパートは何かが決定的に壊れたような印象がある。その後、再び親しみやすいパートに戻るものの、アウトロでのブラスの鳴りにはまだ少し狂気が宿っているようで、聴いていて何とも居心地の悪さがある。まったく一筋縄ではいかない。“そう言えば、当時聴いた時もこの辺がよく分からなかったなぁ”なんて、また記憶が蘇った。バンド編成じゃないことやフォーキーな感じもさることながら、当時の自分はこうした変化球も馴染めなかったのだと思う。
M4「ぼくはぼくの為に」はロックンロールで、跳ねたピアノやシェイカーでスピード感を出したリズムが、のちの「ダーリン・ミシン」(アルバム『PLEASE』収録)辺りにも似た雰囲気。所々でシャウトもあって、だいぶワイルドではある。その意味では、バンドでのRC好き、即ちお子様の自分も好まれそうなカッコ良いナンバーだが、たぶんM3を敬遠したことも影響したのだろう。M3に続くM4を当時積極的に聴いた記憶がない。
その後のM5「レコーディング・マン(のんびりしたり結論急いだり)」も不思議な楽曲だ。こちらは超変化球と言ってよかろう。前衛的というか実験的というかサイケデリックというか、今も何と表現していいか分からない。『シングル・マン』は当時B面ばかり聴いていた…と前述したが、それはバンドでコピーするためでなく、M3とM5を聴こうとしなかったからだったような気もしてきた。
M6「夜の散歩をしないかね」はメロウなピアノによるジャジーな逸品である。清志郎の歌は相変わらずだが、アレンジはちょっと大人っぽい。もしかすると、この辺の垢ぬけた感じも子供には分からなかったのかもしれない…と、これまた今思った。つまり、『シングル・マン』はバラエティー豊かすぎるのだ。LPのA面だけでもR&B、フォーク、ロックンロール、サイケ、アヴァンギャルドと、まるで雰囲気の違う楽曲が収められている。今、聴くと、“よくぞ、これだけ個性的なナンバーを集めたものだ”と、清志郎たちのクリエイティビティに驚く。その後の音楽シーンで縦横無尽に八面六臂の活躍を見せた忌野清志郎というアーティストのビギニングを見るかのようだ。
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