インディーズ黎明期の旗手、THE WIL
LARDが放った インディペンデントの
矜持、『GOOD EVENING WONDERFUL FI
END』

80年代半ば、邦楽界に地殻変動を起こしたインディーズブーム。その一角を担ったTHE WILLARDは、そのコンセプチャルな作品作りでその後のロックシーンにも大いなる影響を与えた重要バンドである。

 インディーズ=いわゆるメジャーレーベルのレコード会社に属することなく音源をリリースするバンドは、今やまったく珍しくなくなった。メジャーを凌駕するセールスを誇るバンドも少なくなく、DIR EN GREYやMONGOL80、Def Tech、ELLEGARDEN、あるいはHi-STANDARD、HY辺りもそうで、その名を挙げれば枚挙に暇がない。では、邦楽界でのインディーズというものはいつ頃から始まったのか? 一説にはフォーク・クルセイダーズの大ヒット曲「帰って来たヨッパライ」(1967年発表)がインディーズのルーツであるという話もあるが、この辺ははっきりとはしない。しかしながら、1985年頃の“インディーズ御三家”を中心としたインディーズブームが、インディーズが邦楽界に定着するきっかけになったことは疑いようがないと思う。THE WILLARD、LAUGHIN' NOSE、有頂天──“インディーズ御三家”というネーミングセンスには昭和らしさを感じざるを得ないが、この3バンドの活躍が現在まで続くインディーズ隆盛の礎であったことは間違いないし、ひいては邦楽界に地殻変動を起こした大きな出来事であった。
 LAUGHIN' NOSEを例に挙げると、85年4月、LAUGHIN' NOSEが新宿スタジオアルタ前にてソノシート「聖者が街にやってくる」を無料配布したところ1300人のファンが集まり、さらにはメジャーデビュー1ヵ月前に日比谷野外音楽堂で行なったライヴで4000人を超えるファンを動員したという記録がある。今、1300人、4000人という数字だけ見ると、たいしたことはないと思われるかもしれないが、歌謡曲全盛だった今から約20年前にメジャーレーベルに属していないパンクバンドが叩き出した数字としては驚異的であり、新宿での無料配布は全国ニュースでも取り上げられたほどだ。また、同年に発売されたTHE WILLARD の1stアルバム『GOOD EVENING WONDERFUL FIEND』は公称で2万枚を売り上げた。これもまた、今となっては2万枚というのは少なく感じられる数字だろうが、何せインディーズ=自主制作では販売ルートもおぼつかなかった頃である。まさに異例の大ヒットであった。
 この『GOOD EVENING WONDERFUL FIEND』。当時のインディーズブームを積極的に取り上げていた雑誌『宝島』が自ら“キャプテン・レコード”というレーベルを立ち上げ、その第一弾としてリリースしたもので、発売に先駆けてNHKで『インディーズの襲来』なる特集番組が放映されるなど、まさにブームと呼ぶに相応しい盛り上がりの中で発売された(この番組名も昭和の匂いがプンプンするが、当時NHKでインディーズ・バンドが取り上げられるなど、ほとんどあり得ない出来事で、好事家たちの間ではかなり話題となった)。『GOOD EVENING WONDERFUL FIEND』はブームの渦中であったがゆえにヒットしたのかというと、無論それだけでなく、この作品のクオリティーの高さによるところが大きかったことは言うまでもない。THE WILLARDがパンクか否か論争はその当時からあったが、エッジの立ったギターサウンドと性急なリズムはまさにパンク──02「BORECIDE BOYS」、05「VANGUARD」、06「TOO MUCH LOVE LIKE HELL」、09「LAY TO REST」、10「BONDAGE DREAM」、11「C'MON WHIPS」はまさにパンクであるものの、それだけに留まらないサウンド面の豊かさが1stアルバムからすでに発揮されていた。
 01「JOLLY ROGERS」。これも基本はパンクらしい疾走感あふれるナンバーだが、オープニングSE的なイントロからリズムが変わり、また別のイントロから歌へ入っていくという構成は当時のパンクシーンでは珍しく、1曲目から「おっ!?」と思わせる作りなのである。ギターサウンドも多彩で、これもまた当時のパンクシーンでは余り聴けないタイプだったと思う。03「GOOD EVENING WONDERFUL FIEND」や07「THE END」でのイントロのアプローチは当時かなり新鮮であったことも思い出す。ともに間奏も秀逸な構成で、THE WILLARDの非凡さを示すには十分である。コンポーザーのJUN(Vo)はギタリストとしても活動していた時期があったというが、その辺りがアレンジ面でも活きていたのかもしれない。歌メロはキャッチーなものが多いが、ギターもそれに負けず劣らずキャッチーで、その相乗効果が楽曲に独自の高揚感を生んでいた。
 サウンド面での白眉は何と言っても04「NIGHTMARE」だ。本作のベストトラックであることは間違いない。「The Phantom of the Opera」を彷彿させるイントロのメロディー、女性の悲鳴&扉が開く効果音、アウトロの鐘の音──この方法論は当時のパンクシーンにはないものだった。彼ら以外には考えられなかったといった方がいいだろうか。しかし、これこそがインディーズの面目躍如であっただろう。インデペンデントならではの何者にも縛られない精神。今思えばサウンド面でのその発露が04「NIGHTMARE」だったとも言える。その後、THE WILLARDはメジャー進出し、外音を積極的に取り入れるなどバンドはどんどん深化していくが、1stアルバム『GOOD EVENING WONDERFUL FIEND』からそのポテンシャルの高さは表れていたというわけだ。
 インデペンデントならでは精神は歌詞にも表れている。01「JOLLY ROGERS」の《黒く染まった旗を 揚げて進め! まだ見ぬ夜と昼の間を行け!!》がそれ。漫画『ワンピース』や映画『パイレーツオブカリビアン』よりずっと早く、“海賊”というコンセプトを掲げたJUNの先見性もさることながら、おそらく当時THE WILLARDが音楽シーンのメインストリームへ乗り出すことを未知の領域へと進む海賊と重ねた詩的センスも素晴らしい。また、《WAIT!! でまかせにのせられるのはWHY? 黄色いまま、ここにいるのさ 染まることすら出来ないままに ここで目を覚まし、ここで眠るさ》《墓標にたたき込め! 存在したと》と歌われる08「BORN IN THE FAR EAST END」からパンクらしい反骨心が垣間見えるのもいい。THE WILLARDはビジュアル系の元祖か否かという論争も一部にあるようだが、清春(黒夢)がJUNからの影響を公言していることから、THE WILLARDもKISSやJAPAN等と並びビジュアル系の元祖のひとつであることは否定しようがないだろう(清春以外にもTHE WILLARDから影響を受けたアーティストは少なくないだろう)。ジャケットにも写っている JUNのメイクもさることながら、ここまで解説してきた『GOOD EVENING WONDERFUL FIEND』のクオリティーの高さ──作者がやりたいことをしっかりと作品に閉じ込めるという、これまた今となっては当たり前のスタンスが後輩たちに多大なる影響を与えたことは疑いようがない。稀代の名作と言わざるを得ない傑作である。

『GOOD EVENING WONDERFUL FIEND』

01. JOLLY ROGERS
02. BORECIDE BOYS
03. GOOD EVENING WONDERFUL FIEND
04. NIGHTMARE
05. VANGUARD
06. TOO MUCH LOVE LIKE HELL
07. THE END
08. BORN IN THE FAR EAST END
09. LAY TO REST
10. BONDAGE DREAM
11. VAIN FOR YOU(Congratulation)
12. C'MON WHIPS

著者:帆苅竜太郎

OKMusic編集部

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