佐野元春が大ブレイク直前にリリース
した2ndアルバム『Heart Beat』は21
世紀の10代の心も震わせる名盤! 

佐野元春はロックンローラーであり、パンクスであり、ラッパーであり、都市の息づかいを瑞々しくも鋭い言葉で描く詩人である。1982年に発表されたアルバム『SOMEDAY』がオリコンアルバムチャートの4位を獲得し、佐野元春の名前は全国的に有名になるが、その前の年の1981年にリリースされた2ndアルバム『Heart Beat』はまぎれもない名盤であり、大ヒットこそしなかったけれど、当時、確実にティーンエイジャーの心を掴んでいた。「佐野元春の新しいアルバム聴いた?」という会話がクラスで交わされ、レコードを持っていなくても、友達に貸してもらったり、カセットに録音してもらったり、もしくはドライブに行ったら彼氏が車の中で曲をかけていたりーー。当時、学生だった人はそんな経験をしている人がけっこう多いのではないのだろうか。ブレイクの予兆になったのが『Heart Beat』だったと言っても過言ではないと思う。

都市型のラディカルなポップアーティス

東京で生まれ育った佐野元春は思春期の頃から洋楽を聴き、中1の時にエレキギターを購入、ボブ・ディランにハマるうちにビート・ジェネレーションに影響を受け、音楽とほぼ同時に文学、詩の世界にも傾倒していく。デビューシングル「アンジェリーナ」がリリースされたのは1980年の3月。日本の自動車生産台数が世界第1位になり、山口百恵が引退を発表し、ジョン・レノンが暗殺された年である。いわゆるバブル前夜の時代。男子のデートマニュアル本として一世を風靡した雑誌『Hot-Dog PRESS』が『POPEYE』のライバル誌として創刊されたのが1979年。いろいろな価値観が変わり始めていく時だったと言えるかもしれない。
佐野元春の音楽も存在も新しかった。今は亡き大瀧詠一が彼を気に入り、自身のプロジェクト“ナイアガラ・トライアングル”に杉真理とともに参加することになったのは有名な話だが、佐野元春の曲はは尖っていながら、どこか洗練されていて、星ではなくイルミネーションが街を彩る都市の匂いがプンプンした。汗の匂いのするロックンロールとは対極にある印象さえ受けた。そして、たぶん、多くの人がぶっ飛んだのが、彼のマシンガンのように発せられるリリックとビート感だったと思う。歌詞については後に触れるが、その豊富なボキャブラリー、鋭い感覚は小説や詩を読みふけっていた10代の時に養われたものなのだろう。佐野元春の初期の楽曲を語るときによくJ.D.サリンジャーの代表作「ライ麦畑でつかまえて」が引用されているが、確かにあの小説を初めて読んだ時に通じる斬新さ、瑞々しさがある。
そして、佐野元春はトップアーティストに君臨して間もなく、誰もが想像しなかった行動に出る。自らの音楽をさらに追求すべく渡米、ニューヨークにアパートを借り、多くのアーティストと交流する中で、ラップなどのクラブミュージックを吸収し、当時、革新的だと評価されたアルバム『VISITORS』を作り上げ、1984年に発表したのである。今年、2014年5月は『VISITORS』をリリースして30周年目に当たり、佐野元春はThe Hobo king Bandとともに『FUJI ROCK FESTIVAL』に初出演することが決定している。
1987年に佐野元春やBOOWY、尾崎豊、ザ・ブルーハーツ、岡村靖幸、渡辺美里などが参加し、九州の阿蘇で開催された伝説のロックフェス『BEATCHILD』が2013年に映画化されたのは、まだ記憶に新しいが、成功に甘んじることなく、常に時代の空気を敏感に察知し、吉川晃司や尾崎豊を始めとする数え切れないミュージシャンやフィールドを超えて多くのクリエイターに刺激を与え続けてきたそのアティチュードは今なお変わることがない。

アルバム『Heart Beat』

まさにタイトル通り、聴くたびに鼓動の高鳴りを覚えるアルバムである。あまりに有名なのは1曲目の「ガラスのジェネレーション」だろうか。《ガラスのジェネレーション さよならレボリューション》という歌い出しからして、メロディーと歌詞が合わさった瞬間のマジックを感じさせるナンバーであり、都市に生きる人を“フラミンゴ”とか“カンガルー”に例えるセンスにもワクワクさせられた。鍵盤とサックスを取り入れたビート感あふれるサウンドは当時の佐野元春の特色で、この曲に出てくる《つまらない大人にはなりたくない》という一節は多くの若者の共感を呼んだ。そして、メロディメーカーでもある彼の才能を感じさせるのが「バルセロナの夜」や「彼女」だ。切ないメロディー、心地良い洗練されたサウンドは彼が大瀧詠一を始めとするシティポップスの先輩アーティストからも一目置かれる存在だったことを物語る。例えば「彼女」はひとり置き去りにされた喪失感を歌ったストリングスを取り入れたメロウなバラードだが、そのハスキーで少し乾いた声の響きのせいなのか、哀愁とか情念という言葉は似合わない。映画音楽のような美しく壮大なアレンジが施され、優雅さすら感じさせてくれる。ハンドクラッピングで幕を開けるパーティチューン「IT’S ALRIGHT」はもう、すでにラップである。佐野元春の言語感覚や歌い方がいかに新しかったか、今、聴いても脱帽だ。《フォアグラの月に照らされて シナトラの声に身をゆだね マティーニの海に溺れる》といったフレーズがマシンガンのごとく発せられる。ライヴの定番曲になった「悲しきRADIO」のヴォーカルも出だしから持っていかれるインパクトがある(彼はこういったスタイルを“スポークンワーズ”と呼んでいる)。伊藤銀次と共作したこのナンバーは古き良きラジオに捧げられたナンバーと思われるが、ビルに囲まれた都市に生きる人間の鼓動をみごとに描き出し、“ジーン・ビンセント チャック・ベリー リトル・リチャード バディ・ホリー”と往年のロックンロールアーティストの名前を早口で叫ぶところもカッコ良いとしか言いようがない。聴き進めていけばいくほど、佐野元春というアーティストがいかに冴えているか、その才能に驚かされるのが本作である。ストーリーテラー、佐野元春を存分に感じさせてくれる「君をさがしている(朝が来るまで)」から、夜明けの海をイメージさせる「INTERLUDE」をはさんで、7分を超える大作「HEART BEAT (小さなカサノバと街のナイチンゲールのバラッド)」へと移行する流れは素晴らしいとしか言いようがない。まるで短編映画のようなラストナンバーを聴いて、どれだけの少女が佐野元春に恋をし、どれだけの少年が胸を焦がしただろう。時代は移り変わっても、“つまらない大人になりたくない”という想いは若者の中でループする。21世紀のティーンエイジャーにもぜひ聴いてもらいたい名盤である。

著者:山本弘子

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

新着