『ダスティン・ホフマンに
なれなかったよ』に
“愛を唄う吟遊詩人”大塚博堂の
本質を垣間見る

『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』('76)/大塚博堂

『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』('76)/大塚博堂

1月25日、“愛を唄う吟遊詩人”と言われたシンガーソングライター、大塚博堂のオリジナルアルバム7作品が全てCDで復刻された。1972年に別の芸名で歌手デビューするもヒットに恵まれずに不遇の時代を過ごしながら、弾き語りでのステージを重ねることで評価を上げて、1976年に大塚博堂の名前で再デビュー。自身の作品の他、布施 明のヒット曲「めぐり逢い紡いで」(1978年)など他者への楽曲提供も多数行なった上、コンサートは年間100カ所以上と実に精力的に活動を展開するも、1981年5月に37歳という若さで急逝。活動期間が長かったとは言えないので、若い音楽ファンにはその名を知らない人も多いとは思うが、作品を聴けば必ずやその存在感の大きさを感じるはずだ。デビュー作『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』を取り上げる。

近年にはいないタイプのシンガー

この『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』は初めて聴いたのだが、フォークともロックとも歌謡とも区別が付かないアルバムであるように感じた。シームレスにつながっていると言えばそうだし、ジャンルレスと言えばそう言えるだろう。そもそも当人はそんな意識すらなかったというのが案外正解なのかもしれない。平成以降、この大塚博堂のようなシンガーソングライターはいただろうかと少し考えてみる。ジャンルにとらわれないというところで言えば、桑田佳祐、玉置浩二ら大御所が思い浮かぶ。けれども、やはり両人はロック色が強いようにも思う(あと、ともに昭和から活動しているし)。その下の世代で言うと、德永英明、平井 堅、宮本浩次辺りがわりとジャンルレスのようにも思われるが、それはカバー曲を歌っているせいだろう。自らが手掛けた楽曲において幅広くジャンルを超越しているかと言えば、少なくとも演歌に近いテイストの歌謡曲を手掛けていたような記憶はない(手掛けていたら御免)。

話は前後するけれど、桑田佳祐も同様で、氏が演歌、歌謡曲を歌うのはカバーにおいてであって、サザンオールスターズを含めて、自作でも歌謡曲テイストはあってもさすがに演歌はなかったように思う(あったとしてもごくわずかであろう)。宮本浩次で言えば、エレファントカシマシのアルバム『生活』(1990年)はロック的な文脈から乖離していたようなところはあったけれど、かと言って、フォーク、歌謡曲に寄ってはなかった。

“そう言えば槇原敬之はどうだろう?”と思ったものの、やはり彼はポップスの人。演歌、フォークもやっていたかもしれないが、常時それらを取り込んではいないはずだ。さらに下の世代になると、筆者がそもそもその辺りのアーティストをよく知らないというところもあって誰が何だかよく分からないというのが正直なところだが、大塚博堂のようなタイプはたぶんいないと思う。ナオト・インティライミや岡崎体育もさすがにムード歌謡に近いところまではやってないだろう。『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』を聴いて感じた大塚博堂の特徴を何とか書き留めてみたいと思い、平成以降のシンガーソングライターと比較してみたが、少なくともここ30年間程度を軽く振り返ってみても、氏が他に類を見ないタイプのアーティストであったと言えそうだ。

また、この『ダスティン・ホフマンに~』は全12曲中、藤公之介が歌詞を手掛けていて、いわゆる“詞先”であったようだ。藤氏の歌詞に大塚氏がメロディーを付けたものだという。全てがそうではないかもしれないけれど、少なくとも表題曲は[博堂が売れなかった頃、ふと寄った本屋で藤公之介の詩集を見つけ、それに自分でメロディーをつけた]ものだそうだ([]はWikipediaからの引用)。“詞先”自体が最近では稀のようだが、詩集にメロディーを付けて歌うというのは近頃でまったく聴かない話ではなかろうか。1970年代のフォーク少年たちを描いた江口寿史の『マークII』(1985年)という短編漫画に“オレ今度高村光太郎の「道程」に曲つけたんでその発表の場もちたいし”という台詞がある。なので、もしかすると、詩集に曲を付けるというスタイルは昭和40年代のフォーク全盛期には好事家たちが好んで用いた手法なのかもしれないが、それにしても、メジャーシーンで誰も彼もがやっていたわけではなかろう。よって、そこも大塚博堂、ならびにアルバム『ダスティン・ホフマンに~』の特徴と言えるのではないかと思われる。

氏の経歴を見ると、中学時代に大分県合唱コンクールで優勝したり、『NHKのど自慢大会』の県大会で入賞したり、高校、大学では音楽科に在籍(大学では東洋音楽大学 声楽科)と、早くからその歌声には定評があり、本人もそれを自覚されていたようではある。歌声が武器であったことは疑いようもないが、それだけでなく、大塚博堂という人はその武器である歌に大衆性と叙情性を注入したシンガーではなかったのだろうか。ジャンルレスのスタイルと、詩集にメロディーを付けたというエピソードからはそんなことが想像できる。

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

新着