“めんたいロック”の始祖、サンハウ
スのアルバム『有頂天』にあふれる先
達への敬意

海外ではザ・ローリング・ストーンズを筆頭に、レッド・ツェッペリン、ザ・フー、ビーチ・ボーイズとメンバーが70歳を超えた大御所バンドも存在するが、年齢的な問題か、さすがに定期的に音源を制作したり、ツアーを行なったりしているわけではない。その点では、今年3月に最新ライヴアルバム『タイガーインユアタンク!(マディに捧ぐ)』をリリースしたサンハウスは世界に誇れる日本のロックバンドと言えるかもしれない。今回の邦楽名盤列伝は“老いては益々壮んなるべし”を地で行く、伝説的ロックバンド、サンハウスのデビューアルバムをレビューしてみたい。

“めんたいロック”の先陣を切ったバン

福岡ソフトバンクホークスが強い。昨年は防御率、打率、本塁打数といった成績がリーグ1位で、貯金40以上でリーグ優勝と、攻守ともに、まさに手がつけられない強さ。日本シリーズでもセリーグ1位の東京ヤクルトスワローズを4勝1敗で下して、見事に日本一となった。交流戦も1位だったのでパーフェクト優勝だったと言ってよい。V9時代の読売ジャイアンツ、V5時代の西武ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)をも上回る史上最強チーム説も飛び出しているが、あながちそれも否定できないほどの強さだ。今シーズンは、6月から北海道日本ハムファイターズが交流戦後半から神がかった連勝で追い上げてきたことで、ホークスのオールスター前のマジック点灯なくなったが、それでも日ハムとはまだ5ゲーム程の差があるから(7月10日現在)、その強さはにわかに揺るぐものではないだろう。──と、プロ野球の世界で今や福岡が中心であるようだが、こと音楽、芸能面においても日本の中心は福岡であった…と言わないまでも、それらをリードしていたのが福岡のシーンであったことは否定できない。福岡県が輩出した歌手、タレントは枚挙に暇がないほどであるが、我々のようなロック好きには忘れてはならないムーブメントがある。そう、“めんたいロック”である。
何を持って“めんたいロック”と成すか。明確な基準はない。ほんのさっきまで九州・福岡のロックだと思っていたのだが、同じ福岡県の中でも福岡市と北九州市とではスタイルが異なるらしく、いろいろと議論もあるようである。そこで、今回はそこを掘り下げることはご勘弁をいただき、ここではわりと一般的な説に従って1970~80年代前半に福岡県で生まれたロックを“めんたいロック”と呼ばせていただく。具体的にはシーナ&ロケッツ、ARB、ロッカーズ、ルースターズ、THE MODSの名前が挙がるが、諸説ある“めんたいロック”でも、そのムーブメントの先陣を切ったのが70年に結成されたサンハウスであることに異論のある人は少ないだろう。75年、メジャーデビュー。“めんたいロック”と同時期に、これまた日本の重要な音楽ムーブメントと言える“東京ロッカーズ”があったが、アルバム『東京ROCKERS』の発売が79年だから、サンハウスの登場はそれより若干早い。75年はダウン・タウン・ブギウギ・バンドが年間セールスのトップになり、井上陽水のアルバム『氷の世界』が日本のアルバム史上初のミリオンセラーを記録した年でもあるので、邦楽シーンにおいてバンドやロックが本格的に萌芽した年だったのかもしれない。

ブルースロック、R&Bへのリスペクト

サンハウスは、その結成から83年の再結成、10年の三度目の再結成まで何度もメンバーチェンジがあったが、中心人物は柴山俊之(Vo)、鮎川誠(Gu)、篠山哲雄(Gu)。奈良敏博(Ba)、浦田賢一(Dr)も重要人物に違いないが、バンドの中心と言えば上記3人であろう。60年代半ば、彼らは福岡市内のダンスホールでハコバン(専属バンド)として活躍していたという。ダンスホールというと今はレゲエを想像する人が多いかもしれないが、ここで言うダンスホールとは文字通り、ダンスをする場所(概ね店舗)のことである。昭和には社交ダンスのブームとともに各地にダンスホールがあったそうだし、来場者のリクエストで流行歌を演奏したりするホールもあったという。サンハウスのメンバーたちがハコバン活動をしている頃はその過渡期であり、彼らはかなり自由に演奏ができていたそうだ。店側から「GSをやれ!」だの「そんな曲はやるな!」といった口出しがなかったことはかなり幸運だったと言ってよい。フォー・トップスやテンプテーションズなどのモータウンナンバーや、ウィルソン・ピケット、ソロモン・バーク、オーティス・レディング、ジェームス・ブラウン、ブッカー・T&ザ・MG'sなどのスタックスナンバーを演奏していたという。毎日4ステージ、日曜は8ステージやることもあったというから、彼らにとってダンスホールは最高の修行の場だったと言える。その後に「ブルース・バンドをやろう!」という意気込みで結成したのがサンハウス。すでに鮎川と一緒にバンド活動していた篠山が柴山をバンドに誘ったというが、柴山はもう一人のギタリストが鮎川であることを知って心を躍らせたという。
バンド名の由来はアメリカ合衆国のブルース歌手、サン・ハウス。フリートウッド・マック、サヴォイ・ブラウン、ポール・バターフィールド、マディ・ウォーターズ、ジョン・リー・フッカー、エルモア・ジェームスら、ブルースに傾倒していった彼らにとっては自然な命名だったのだろう。サンハウスは75年、1stアルバム『有頂天』にてメジャーデビューを果たすが、このアルバム、まったくと言っていいほど、先達からの影響を隠していないのが大きな特徴だ。B.B.キング、エルヴィス・プレスリーに始まり、ザ・ローリング・ストーンズ、ヤードバーズ、ザ・フー。ほぼカバーじゃなかろうかとも思えるナンバーもある。ていうか、ほとんどがそうだ。しかし、ハコバン時代を考えれば、これもまた彼らにとっては極めて自然なことであったのだろう。表現は適切じゃないかもしれないが、和歌での“本歌取”に近い行為ではなかろうか。あるいはヒップホップでのサンプリング元のようなものかもしれない。そこに最大限のリスペクトが感じられるのだ。何と言っても、2本のギターがいい。ストロークであれ、単音弾きであれ、鮎川、篠山両名ともに、流石にブルースフィーリングあふれるプレイを聴かせているのだが、何と言うか、いずれも生真面目なのだ。M9「スーツケース・ブルース」辺りが分かりやすいだろうか。「R&RやブルースはルーズでもOK」といった雰囲気は今もあるし、聴き手もそれを許容しているきらいがなくもないが、サンハウスのギターにはそれがない。「スーツケース・ブルース」はアコギ基調なので、その生真面目さをごまかしようがないと言ったところだろうか。タイプは異なるが、M8「地獄へドライブ」やM10「なまずの唄」もそんな印象だ。

突き抜けたセクシャルなリリック

一方、柴山の歌唱には天性のワイルドさが感じられる。ロックの不良性を具現化したような声と言えばよかろうか。何ともいい雰囲気だ。歌詞にはこれまた先達へのオマージュを感じさせるものもある。M3「風よ吹け」の《風よ吹け吹け風よ吹け/俺をどこかへ飛ばしておくれ》は「ギミー・シェルター」の《If I don't get some shelter/Oh yeah, I'm gonna fade away》を彷彿とさせるし、M10「なまずの唄」はタイトルからして「キャットフィッシュ・ブルース」からのインスパイアだろうが、《深い深い沼の底/俺はただの一匹のなまず/めったに顔を出さない/無精者 無精者 無精者/俺のこと誰も知る奴はいない》辺りの無常さには独自性があることも分かる。しかしながら、サンハウスの歌詞と言えば、何と言ってエロス表現であろう。
《俺の身体は黒くて長い/夜になったらぬけだして/手当りしだいにはいまわる/俺のあだ名は キングスネーク》《じめじめ湿った草むらが/小さな秘密のほら穴が/俺の大事なかくれがさ/あきたら他の穴ぐらさがし/俺のあだ名は キングスネーク》(M1「キングスネークブルース」)。
《しぼって 僕のレモンを/あなたの 好きなだけ/たっぷり 僕のレモンを/あなたの紅茶の中に》《いまにも はちきれそうに/熟した 僕のレモン/一滴も こぼさず/あなたの 紅茶の中に》(M5「レモンティー」)。
《俺のミルクのみ人形は大事な秘密の宝物/一滴もこぼさずミルクを/飲みほしてくれるんだい/そいつは俺を喜ばず/やりかたを心得てたんだ》(M7「ミルクのみ人形」)。
やり切っている。お見事である。ロックバンド、いや、表現者たるものこのくらい躊躇なくやってしかるべきであろう。この手の歌詞は、日本では忌野清志郎が始祖かと思っていたが、公式音源としては柴山、鮎川両名の方が幾分早かったようだ。そう考えると、日本のロックのスタイルのひとつはサンハウスによって始まったと言えるのかもしれない。
サンハウスはその後、76年に篠山が脱退し、78年に3rdアルバム『ドライヴ・サンハウス』を発売したが、それと同時に解散を発表。解散後、柴山は作詞家として福岡県のバンドに歌詞を提供、鮎川はサンハウス後期メンバーとシーナ&ロケッツ結成とそれぞれの道を進むことになった。しかし、前述の通り、83年に再結成、10年に再々結成、そして15年には初期のメンバーで再び再結成され、以降は不定期ではあるものの、現在も活動中である。ちなみに柴山俊之は69歳の誕生日を迎えた6月9日にソロアルバム『ROCK’N ROLL MUSE』を発売したばかりだ。このアルバムは鮎川が弾いた69年型レスポールを始め、ビンテージ機材・楽器をふんだんに使用して、全曲スタジオで一発録りしたというから、この人らの徹底ぶりには心底敬服させられる。上を見上げれば、70歳を超えた内田裕也氏が鎮座されているが、“アラセブ”(Around seventy…そんな言葉はあるのか!?)で、バンド単位でも動いているサンハウスはまさしく生きる伝説。今、彼らの音源を聴いたり、ライヴを観たりすることは、伝説を目撃することである。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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