森山直太朗という
シンガーソングライターの奥深さを
1stフルアルバム
『新たなる香辛料を求めて』で痛感
森山直太朗は君に語りかける
と、そんな冗談とも付かない話はさておき、初めて『新たなる~』を聴いて、少なくともこれはさわやかなアルバムではないし、森山直太朗というアーティストも当時の見た目やその歌声に反して、決して“さわやか”だけで括られるものではないことは確信した。ハイトーンに突き抜けるメロディーラインと(巷間で耳にする限り)強い癖があるわけではない声質。「夏の終わり」にしても、「さくら(独唱)」にしても、日本らしい叙情性を日本ならではの季節感に重ねているのは間違いないし、百歩、二百歩譲って、それらをさわやかな楽曲と思考停止するのも分からなくもない。大衆歌にはそういう側面もあろう。しかしながら、少なくとも『新たなる~』で示されていることは、何も考えない…とは真逆と言えるものであろう。本人が声高にそう言っているわけではないけれど、このアルバムは“考えろ”とリスナーに問うている。“考えろ”は“考えてみてください”でもいい。もしかすると、聴いた人が自然と考えて、何かに思いを巡らせる──そんな仕掛けが施されているアルバムという見方もアリかもしれない。いずれにしても随分と硬派な作品と言えるのではないか。これは私見であって、しかも生粋のファンにしてみれば“何を分かり切ったことを?”と訝しがられることかもしれないが、以下、その辺りに主眼をおいて、この『新たなる香辛料を求めて』を紐解いていきたい。
オープニング、M1「太陽〜邂逅編〜」。4thシングルにもなったこのナンバーは《ちょっと一曲歌わせて 今訊いておきたいことがある》で始まる。まさに問いかけだ。そして、サビではこんなことが綴られている。
《この真っ白いキャンバスにあなたなら何を描きますか “自由”という筆で/目眩く些細な悩みは とりあえず今は置いておいて/そのうち忘れればいい》《花咲き誇るこの小さな列島にこれ以上何を望みますか 殿様じゃあるまいし/透き通る風に誘われて土筆の子供が顔を出した いつかのあなたのように》(M1「太陽〜邂逅編〜」)。
ここでもまた問いかけているし、聴いた人それぞれにその答えを考えさせているようでもある。何に向けてそう言っているのか分からないけれど、やや批判的な文脈も見て取れる。バンドサウンドでありつつも、メロディーを崩して歌うトーキングスタイルで、前半(Aメロ)はフォークソング的と言ってよかろう。しかしながら、サビはメロディアスで、伸びやかな箇所はソウルっぽくもある。これを米国音楽のハイブリッド…と言うのは考えすぎかもしれないが、変にトラディショナルなものにこだわっていないことは伺える。後半で若干サイケデリックロック風なサウンドが聴こえてくることからもそれは分かるし、彼自身、文字通り、“自由”という筆を走らせている。さわやかではない…と言い切れるものではないけれども、さわやかとも言い切れない。そもそも、そういった観点で語られるような楽曲ではないのかもしれないとも思う。ちなみに、「太陽」のMVは、彼がチンドン屋風のスタイルで日の丸をバックに歌い始め、そのまま人の多い商店街(谷中銀座商店街らしい)を歩き出すという内容。1シーン1カットで、これも随分と示唆に富んだものではないかと思う。MVを観た限りでも、この人は耳障りがいいだけの音楽を発信していないことは分かる。
続くM2「紫陽花と雨の狂想曲」が、これがなかなかの曲者だ。イントロはロック的というかアッパーなバンドサウンドで、《紫陽花と雨の狂想曲》のコーラスが印象的に鳴る。聴き進めていくと、Bメロで“PPPH”が入ってもよそうなリズムとなることから、アイドルポップスを意識しているようではある。そう考えると、歌い方もシアトリカルというか、おどけているように思える。梅雨時の話であることは差っ引くとして、タイトルからもこれはさわやかと言っていい楽曲ではないかとの想いが過る。…と思ったのも束の間、歌詞が以下のように展開していき、さわやかではないどころか、穏やかではないことに気づかせられる。
《名前も生い立ちも知らないのに/赤い糸が見えているのだ》《こうなったら 仕方ないや/後を付けて君を護るよ 花柄のオールスター》《君の家の灯りが消えた後 お迎えに行くよ 僕らロミオとジュリエット(笑)/忍び足で君の眠る部屋のドアを開けたら》(M2「紫陽花と雨の狂想曲」)。
ストーカー? 変質者? 実はかなり恐ろしい話ではある(と思う)。この楽曲も後半でサイケっぽいサウンドが聴けて、アウトロ近くでどんどんバンドアンサンブルも混沌としていくが、それは歌詞の内容にマッチさせた気持ち悪さの演出でもあるようだ。事ここに至っては、本作を聴く以前に生じていた“森山直太朗はさわやかか否か”の観点はもはや度外視していいことに気づく。このアーティストが提示しているのはそういうことではないのだ。彼はサラッと聴けるJ-POPばかりを提供するシンガソングライターではない。時には毒を盛ることすらある。このアルバムは冒頭2曲でそれがはっきりする。