カルメン・マキ&OZの『カルメン・マ
キ&OZ』は、日本のロック史を語る上
で不可欠な名盤!

今から約40年前、1975年に発売されたカルメン・マキ&OZの1stアルバム『カルメン・マキ&OZ』は日本のロックのヒストリーを語る上で欠かせない一枚だ。日本でまだロックバンド自体がアンダーグラウンドな存在だった(たぶん、まだ和製○○○みたいな表現が残っていた時代だと思う)時に、このアルバムは10万枚というセールスを叩き出したのである。カルメン・マキという名前が世の中に浸透していたという背景もあったとは思うが、ロックのみならず、歌謡曲、フォークファンも巻き込まないと、あり得ない数字だ。それぐらい彼らの存在は鮮烈で、カルメン・マキのヴォーカルには迫力があり、11分を超える代表曲「私は風」は今、聴いても十分に衝撃的である。バンド結成のいきさつとともにタイムスリップして、この名盤について振り返ってみたい。

導かれるようにロックへと転向したカル
メン・マキ

まず、一世を風靡したカルメン・マキの大ヒット曲と言えば、1969年にリリースされた「時には母のない子のように」である。エキゾティックな顔立ちと1度、聴いたら忘れられない陰りのある声質は深い青のようなイメージ。まだ17歳だったとは思えないぐらい大人びて見えた。哀愁を帯びた曲の記憶のせいかもしれないけれど、孤独なイメージが強く残っていた。
アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたカルメン・マキは、デビューの前年、寺山修司の劇団『天井桟敷』の舞台を友人に連れられて観に行ったのがきっかけで、入団を決め、同年、「書を捨てよ町へ出よう」で初舞台を踏む。この舞台が関係者の目に止まり、レコード会社と契約することになったというから恐るべきスピードだ。結果、寺山修司作詞によるデビューシングル「時には母のない子のように」は子供から大人まで口ずさめるほどのヒットを記録し、彼女はレコード大賞を受賞、NHK紅白歌合戦に出場するほどの国民的歌手になるのである。
シンガーとして活躍していた彼女の音楽人生を変えたのは、レコード会社の社長からプレゼントされたステレオセットと洋楽のアルバムだった。その中にあったジャニス・ジョップリンとジミ・ヘンドリックスを聴いて、衝撃を受けたことがカルメン・マキをロックシンガーへと転向させることになる。考えてみれば、彼女がデビューした年、1969年はアメリカで前代未聞の大規模な野外フェス『ウッドストック』が開催された年だ。ジャニスやジミヘン、ザ・フー、グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、サンタナ、ザ・バンドなどが出演したこのフェスは社会現象になり、その後、日本でも映画が公開された。多感な彼女がロックに傾倒していったのは必然だったのかもしれない。“バンドを組もう”と決意したカルメン・マキが、近田春夫らと結成したバンドや、武田和夫率いるクリエイションとコラボしたバンドを経て、1972年にギタリスト、春日博文(のちにRCサクセションに参加)とともに結成するのがカルメン・マキ&OZである。オリジナルを作り、ライヴで力をつけていったバンドは1974年にシングル「午前1時のスケッチ」でデビュー。翌年、1975年に今でいうライヴのキラーチューン、「私は風」を含む3曲入りの1stアルバム『カルメン・マキ&OZ』をリリースする。
話は少し飛ぶが、カルメン・マキを生で初めて観たのは、現在も続いている下北沢音楽祭の第1回目、1979年だったと思う。OZは1977年に解散していたが、生で聴く彼女のヴォーカルはど迫力で、近づきがたいオーラが漂っていた。現在、本多劇場になっている空き地で行なわれたこのライヴにはRCサクセションも出演、もちろん、日本にはまだロックフェス(ジャズフェスはあったと思う)なんて根づいていなかったけれど、あの空の下で観たライヴは自分にとって夏フェスの原点のような思い出として残っている。

1stアルバム『カルメン・マキ&OZ』

アルバムはいきなり8分を超える「六月の詩」で幕を開ける。6曲入りという今でいうミニアルバムではあるが、この曲の他に11分を超える楽曲が2曲も収録されているのだから、これはもうフルアルバムサイズである。当時の音楽業界事情がどうだったのかは分からないけれど、3分代の曲が主流、シングルメインの風潮の中で、この形態は相当、画期的だったのではないのだろうか。作曲は春日博文と加治木剛(東京おとぼけキャッツのダディ竹千代)、作詞は加治木剛とカルメンマキ本人。本作を改めて聴いて驚いたことは、いわゆる大作の長い曲がまったく飽きずに聴けるということだった。ピアノで幕を開ける「六月の詩」は“静”から“動”へとドラマチックに展開していくナンバーで、内なる情熱を解き放つような彼女のヴォーカルにもドキッとさせられるが、春日博文の楽曲の構成力にも唸らされる。たぶん、当時はまだ20歳ぐらいだったと思われるが、ギターソロひとつとっても“俺が、俺が”という若気の至り的な主張はなく、楽曲の風景を彩るようなフレーズを弾いている。このあっと言う間感をさらに感じられるのがアルバムの最後に収録されている11分を超える「私は風」である。ひとり汽車に乗る主人公の心情が描かれるカルメン・マキによる歌詞の世界と見事にリンクする疾走感と起伏のあるイントロダクション(2分近くある)の時点で引き込まれ、彼女の歌が入ってくる時点で聴き手はすでに一緒に旅をしている感覚に陥るのではないだろうか。叙情的な歌のメロディーから、サビで一気に爆発する展開は今、聴いても鳥肌モノで、シャウトするカルメン・マキのヴォーカルからはジャニス・ジョップリンに影響を受けたことがダイレクトに伝わってくる。「六月の詩」にしてもそうだが、このあたりの曲はハードロックというよりも完全にプログレッシブロックである。それでいて洋楽寄りになりすぎず、日本人の琴線に触れるメロディー、フレーズが盛り込まれているのが素晴らしい。春日博文の泣きのギターとカルメン・マキのヴォーカル力に圧倒されるデビュー曲「午前1時のスケッチ」も5分弱に収められているが、ソロのフェイドアウトで終わっていることを思うと、本当はもっと長い曲だったのかもしれない。このアルバムには濃厚な曲ばかりが収録されているわけではなく、清涼感すら漂う「朝の風景」やラグタイム風の短い曲「きのう酒場で見た女」などサラッと聴ける曲もあるのだが、やはり、このバンドの真骨頂はドラマチックで構築度の高いナンバーだろう。なお、ベースは千代谷晃と初期メンバーだった成瀬ヒロ(Charとスモーキーメディスンを結成)、ドラムは古田たかし、ピアノ&オルガンは石川清澄、スペシャルゲストとしてのちに作曲家、プロデューサーとして活躍する深町純がキーボード&ストリングスアレンジで参加している。カルメン・マキ&OZのメンバーはマキと春日以外は流動的だったが、全員が実力派だったことは間違いない。
「私は風」に関しては寺田恵子や中森明菜、松本孝弘(B'Z結成前にカルメンマキのバンドに参加)がカバーしていることでも知られているが、本作はこの曲が入っている時点で名盤であり、時代を切り開くバンドのエネルギーが充満している。

著者:山本弘子

OKMusic編集部

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