『歩いていこう』は青春の清々しさ
、甘酸っぱさをパンクに反映させた、
J(S)Wのマスターピース

JUN SKY WALKER(S)は90年代前半のバンドブームでその一躍を担ったパンクバンドであり、00年代以降のパンクムーブメントにも絶大なる影響を与えた存在である。1997年に解散を余儀なくされたものの、2007年に再結成。今年5月23日にはメジャーデビュー27周年記念ライヴを日比谷野外音楽堂で行なうことが決定しており、リスタート後も着実に歩を進めている。


 “青春パンク”というジャンルがある。元来パンクは退廃の意味合いが強い上、超コマーシャリズム的なワードでもあるので、筆者のようなロートルは青春との食い合わせが悪い気がしつつも、これは極めて日本的な加工ではあると思うし、素敵な融合だとも思う。70年代半ばにあった“四畳半フォーク”もそうで、西洋の民謡から派生した音楽ジャンルが、ウサギ小屋と揶揄された日本の住宅事情の中でも、さらに狭さの象徴とも言える四畳半と合体することで叙情性を増している印象があり、その日本らしい加工技術が何とも味わい深い。その辺りをキチンと分析して歴史的な意義等を掘り下げたい気もしてきたが、話を戻す──。調べてみると、“青春パンク”とは字義通り、青春時代ならではの感情を歌うパンクロックのことで、GOING STEADY、ガガガSP、175R、ロードオブメジャー辺りが、その代表的なバンドとのこと。彼らが活躍したのは00年代前半ということで、このジャンルそのものは、良い言い方をすれば“シーンに定着した”と言える。
 そもそもそのルーツがどこにあるかと言えば、LAUGHIN' NOSE やTHE BLUE HEARTSに辿り着くらしいが、感情をパンクロックに乗せたという点で上記2バンドは邦楽パンクの元祖とも言えるし、それはそれで間違いではなかろうが──これは個人的な見解ではあるけれども──前者はパンク本来の退廃感を残していた気がするし、後者は抽象化されている歌詞も少なくなく、どちらかと言うと人生訓的な色合いが濃い気がするので、“青春パンク”への直接的な影響は薄いような印象がある。では、このジャンルの始祖は…というと、JUN SKY WALKER(S)(以下J(S)W)ではないかと思う。本稿制作にあたって超久しぶりにアルバム『歩いていこう』を引っ張り出したのだが、20数年ぶりに本作を聴いて思ったことは「この清々しさ、甘酸っぱさが後の“青春パンク”につながったのでは…!?」であった。
 90年代前半の第二次バンドブーム時には、THE BLUE HEARTS、ユニコーン、THE BOOMと並んで“バンド四天王”と呼ばれていた(らしいが、自分はそんなふうに呼んだ記憶はない)J(S)Wなのでヒット作も多く、ライヴでのキラーチューンが多く収録された『全部このままで』『ひとつ抱きしめて』は当然として、『Let's Go Hibari-hills』だって『START』だって代表作と呼ぶに相応しいが、個人的によく聴いたということで本コーナーでは『歩いていこう』を取り上げさせてもらう。タイトルチューンM1「歩いていこう」やM11「僕の気持ち」、M13「悲しすぎる夜」といったJ(S)Wらしいキレキレなサウンドにキャッチーなメロディーを乗せたナンバーの他、M2「エルマーの夢」、M3「風見鶏」、M9「変身」、M12「砂時計」など一般的な知名度こそ低いものの、秀曲と呼ぶに相応しいナンバーも多数収録。全14曲で収録時間50分というのはややボリューム過多な気がしなくもないが、これもまたJ(S)Wのマスターピースであることは疑いようのないアルバムである。80年代らしい音の固さはあるものの、J(S)Wの場合、森純太(Gu)のレスポールカスタムの音といい、小林雅之(Dr)のスネアやシンバルの鳴りといい、あの固さこそJ(S)W…といった雰囲気すらあるので、これは肯定的に受け止めたい。特に純太のピックスクラッチ! あれがあってのJ(S)Wサウンドだと思うが、それは本作でも如何なく発揮されている。
 ミディアム~スローのナンバーやピアノをフィーチャーしたナンバーもあるものの、ベーシックは疾走感のある3ピースで、国産パンクを代表するアルバムの『歩いていこう』であるが、注目はやはり前述した“青春”部分にある。これは概ね歌詞によるところが大きい。《時間止めて夢を見てる 少年のままでいい》(M2「エルマーの夢」)でズバリ言っている通り、そもそもその世界観が“forever boyhood”(=永遠の少年時代)なのである。M4「Street One Boy」もまたタイトルからしてズバリで、《このあいだ起こった 出来事は 二人を別々の世界へ 星を見上げて 君はつぶやいた いったい私は誰の物なの》《死ぬまでいっしょに その言葉を もう一度だけ聞かせておくれ》と内容もいい意味でかなり青いし、M8「翼を広げて」では《毎晩 夢にうなされて 紙切れ一枚に ゆすられて 似合わねえ服を 着せられて》《やってみろ やってみろ 権力主義者よ やってみろ やってみろ 保守的ロボット》と反抗心を示しつつ、《その小さな翼広げ 飛び立つんだ はるかかなたまで Ah-必ず飛べる日が来る》と前向きに締め括る。M10「ランドセル」もそうで、《行きたくねえ 学校がつまらねえ》《毎日 会社に行きたくねえ》《スターになんか 俺はなりたくねえ》とのたまわった挙句、《ランドセルに夢だけ入れて 行きたい場所へ走れ早く》とポジティブなメッセージを発信している。その他、《勇気と君を 僕は信じる 君は平気さ 僕がいるから》(M3「風見鶏」)の胸をキュンキュンさせる甘酸っぱさや、《分った僕は今 おお金つまれたって ただの紙切れに 火をつけて燃やしてやる》(M1「歩いていこう」)の「おい、言い切ってしまっていいのか!?」と当時ですら突っ込みを入れずにいられなかった愛すべき無謀さなど、『歩いていこう』の“青春”的歌詞は随所で見られるが、それを艶めかしくリスナーに伝えているのは宮田和弥(Vo)のヴォイスパフォーマンスと、森純太のコーラスとのアンサンブルだろう。失礼を承知で言うが、共に天使のような歌声というわけではない。宮田の声は圧しが強く、独特のビブラートが効いており、森の声は所謂ダミ声と言われるもので、もしかすると理想的な歌唱法からは程遠いのかもしれないが、それだからこそいいと断言したい。このレコードはそれも見事にパッケージしてあると思う。

著者:帆苅竜太郎

OKMusic編集部

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