『金字塔』(’97)/中村一義

『金字塔』(’97)/中村一義

『金字塔』は天才・中村一義ならでは
の不滅の神品

今年は結成20周年やデビュー20周年の有名アーティストが多いようで、当コラムでは今までもそんな節目を迎えたバンドやミュージシャンの名盤を紹介してきたし、これからも紹介していく予定だが、この人も今年デビュー20周年。先月、セルフカバーによるベストアルバム『最高築』、ライヴDVD『ERA最高築 〜エドガワQ 2017〜』を同時リリースしたばかりの中村一義である。“10年に1人の天才”と評されるに相応しい、彼のアーティストとしてのセンスが詰まったデビュー作『金字塔』を取り上げる。

10年に1人の天才

“○年に1人の天才”や“○年に1人の逸材”という言い方がある。最近では将棋の藤井聡太四段によく用いられているように思う。50年に1度だとか、100年に1度だとか言われているようで、50年はともかく、100年となると客観的な比較材料が乏しいのではそれはどうなんだと思ったりするが、まぁ、ご存知の通り、そのくらいずば抜けた才能の持ち主ということである。この形容はアイドルやスポーツの世界で使われることが多いようで、軽く調べて見たら、これがなかなか面白い。10年に1人の逸材といった捉え方をされているのは、元モーニング娘。の後藤真希、SKE48の松井珠理奈らで、確かに後藤と松井とはデビューが10年ほど離れているので妙に納得。dropのメンバー、滝口ひかりは2000年に1人のアイドルと言われているそうで、今世紀で唯一無二の存在という意味と思えばこれもなるほどと思うが、NMB48の太田夢莉は“1万年に1人の美少女”、さらにAKB48の小栗有以は“2万年に1人の美少女”だそうで、大分インフレも激しいようだ。ちなみに1万年前の日本は縄文時代、2万年前は旧石器時代だ。スポーツの世界ではファンからは“何で毎年、10年に1人の逸材が出てくるんだ?”と半ばギャグにされているようだが、プロ野球のドラフト会議でこのフレーズをよく聞く。ボクシングでは世界初挑戦の時に100年に1人の天才と呼ばれていた具志堅用高に対して、大橋秀行はそれを超える天才という意味で150年に1人の天才と言われた。拳闘の世界にも世代を超えた闘いがあるようである。
さて、音楽、ことロックシーンにおいてこのような形容で忘れ得ないのが中村一義である。高名な音楽評論家氏曰く“10年に1人の天才”。前述の通り、“○年に1人の天才”にもいろいろあるが、ことデビュー時の中村一義のこの形容にはうなづかざる得なかったリスナーは多かったと思う。アルバムの中身についてはこれから後述するが、あの時、あの音源を聴けば誰でも──いや、今聴いても“これは天才の所業だ”と思うのではなかろうか。何しろ、1997年のデビュー時、中村一義は若干22歳。1stアルバム『金字塔』はセルフプロデュース作である。CDバブルのピークであったこの年は、所謂小室ブームの只中であり、小室哲哉以外にも小林武史、佐久間正英らプロデューサーの活躍が表立ってきた頃でもあった。また、X JAPANやLUNA SEAから衣鉢を継ぐようなかたちでGLAY、L'Arc〜en〜Cielが大ブレイクしたのもこの年(X JAPANが解散、LUNA SEAがバンド活動を休止して各メンバーがソロ活動を始めたのも1997年)。そんな中、22歳の若者がセルフプロデュース作、しかもソロでデビューしたというのはそれだけでも十分にメインストリームに対するカウンターカルチャーになり得たし(即ちロックであったし)、何よりも彼が提示したメロディー、サウンド、歌詞は、少なくとも同性代の中においては他に類するものがなかったことは間違いない。では、順を追って1stアルバム『金字塔』を構成する要素のすごさを分析していこう。

聴き手を選ばないメロディーセンス

まずメロディー。SEというか、インタールード的な楽曲もあるため、全てがそうだとは言わないが、歌詞のある楽曲においてはワールドワイドな意味で分かりやすいメロディーを有している。ゆったりした流れの中にもしっかり抑揚があるM2「犬と猫」。音符のひとつひとつを疎かにしていない、丁寧な歌い方という印象のあるM 3「街の灯」。奥行きがあるというか、広がっていくような、昇っていくような開放感のM6「魔法を信じ続けるかい?」。柔らかさに中にも確かな力強さを宿したM8「ここにいる」。そして、ブルースロックの流れを汲む極めて洋楽的なアプローチを見せるM12「謎」。ポップかつキャッチー、そしてメロディアスな歌は、(歌詞の乗せ方や声質に対する好き嫌いは別として)聴き手を選ばないと思う。主にサビで聴かせるヴォーカルレンジの広さが実にソウルフルで、躍動感にあふれるものであることも特筆したい。歌の旋律そのものに確実に魂がある感じ──具体的に言うならば、ちゃんと聴き手に何かを伝えようとしているメロディーと言ったらいいだろうか。もっと噛み砕いて言えば、歌の抑揚そのものが“聴いてよ!”と叫んでいるようだ。このメロディーセンスだけでも中村一義はただ者ではないと言っていいと思う。

惜しみないThe Beatlesオマージュ

前述の通り、『金字塔』はセルフプロデュースであり、そのサウンドは基本的には中村独りで構築したものである。しかも、本作発表時は22歳、制作を開始したのは若干18歳だったというから、その事実だけでも彼のすごさが分かろうというものだろう。また、完成版では外部からミュージシャンが参加してギターやキーボードを重ねているが、ベーシックは歌、コーラスは勿論のこと、ドラムス、ベース、ギター、パーカッションを全て中村が独学で演奏。このミュージシャンとしてのマルチっぷりだけ見ても、10年という尺度がどうかはともかく、彼に“天才”の称号が相応しいことが分かる。では、そのサウンドの特徴はというと、ひとまとめにするのも乱暴だが、The Beatlesへのオマージュと言える。これはのちに中村本人も公言している。“The Beatlesみたいな音楽が作りたい”と、まずは1960年代のアナログレコーディングの手法を勉強することからスタート。自宅の木造の部屋で行なったという実際のレコーディング作業おいては、ベースはカール・ヘフナー・500-1、ギターはエピフォン・カジノやリッケンバッカー・325-12、ドラムはラディックといったビートルズが使っていた機材を持ち込んだという。曰く“ビートルズの中に音楽的に入っていく”ような状態だったそうである。その成果はM3「街の灯」、M8「ここにいる」、M13「いつか」、M14「永遠なるもの」で確認できる。これらのサイケサウンドは玄人好みでもあると思うが、とはいえ、そこにスノッブさが感じられないというか、子供がキャッキャッ言いながら作り上げた作品を満面の笑みで周りの人に見せているような、いい意味でのこれ見よがし感がいい。無論、The Beatles以外にも彼がポップと認める要素がさまざまに取り込まれており、アーティストとしてのバックボーンを包み隠さずオープンにしているところにも好感が持てる。

前向きで熱い歌詞も素晴らしい

最後に『金字塔』の歌詞について触れよう。歌詞もまた中村一義にしか書けない独特なものであるが、何よりも前向きなところがいい。
《どう? どう?/町を背に僕は行く 今じゃワイワイ出来ないんだ/奴落とす もう さぁ行こう!/探そぜ 奴等 ねぇ/もうだって 狭いもんなぁ》(M2「犬と猫」)。

《老若男女と、いいバカ連れ、行こうよ。音の世界へ僕と。/条件は"単純なことを想う"。/行こうよ。行こうよ。時間も疲れてんだし。/君の心の"暇"でさ、魔法は創られる。/そこには、あるんだ。まぁ、理想郷までじゃないが。/この歌を二十年後に聴けば、夢が解る。もうすぐさ。/そこには、あるんだ。永遠の気持ちが。/そこには、あるんだ。/そう、色褪せずに、自分自身を支える魔法が。》(M6「魔法を信じ続けるかい?」)。

《まだ、大きな無限大が、みんなを待ってる。/闇を抜けると、そこは、優雅な今日だ。/ただの平々凡々な日々に埋まる、/宝を探す僕が、今、ここにいる。》《まだ、大きな無限大が、みんなを知ってる。/トンネルを抜けると、今日は、解放記念日だ。/ただの平々坦々な生活に潜む、/敵を越え行くみんなが、今、そこにいる。》(M8「ここにいる」)。

《愛が、全ての人達へ…。/あぁ、全てが人並みに…。/あぁ、全てが幸せに…。/あぁ、この幼稚な気持ちが、どうか、永遠でありますように。》(M14「永遠なるもの」)。
1990年代後半、時は世紀末。一部ビジュアル系がそうだったと記憶しているがデカダンなものだったり、ダンスミュージックでは享楽的なラブソングであったり、当時のシーンにはそうした歌詞も少なくなかったが、『金字塔』にはそれらとは趣を異にする、俗に言う“熱い”内容が多い。M11「いっせーのせっ!」に《デカダンもね、ポップもね、もう同じとこにあるんだ。/"死にそう"もね、"希望"もね、もう同じとこにあるっていう意味で…。》とあるように、これまたいい意味で達観もしている。だが、そこは音楽である。メロディー、サウンドがその内包したメッセージをポップにコーティングしているようなところがあり、それが嫌味に聴こえないのだ。言葉のチョイスも巧みだ。例えば、M4「天才とは」。《夕方みんなでね、有能な天才、三人思い出してたんだよ。》では“You’ve got”(あるいは“You Gotta”)や“You know”を連想させるフレーズを入れ、日本語に洋楽的な響きを委ねている。いとうせいこうが“桑田佳祐を継ぐ日本語詞の使い手”と評したそのセンスはまったくもって正鵠を射ていると思うし、その評価は20年経った今も色褪せることはない。

著者:帆苅智之

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OKMusic編集部

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