“Jポップ”を創造した革命的なアル
バム! シュガー・ベイブの名盤『So
ngs』!
シュガー・ベイブは、山下達郎、大貫妙子が在籍した幻のスーパーグループだ。1975年にリリースされた彼ら唯一のアルバムは、何年経っても色褪せない名曲がぎっしり詰まっている。“Jポップはこのアルバムから始まった”と言っても過言ではない!
アメリカ・イギリスの先駆的作品に勝る
とも劣らない『Songs』
本格派のポップス志向を持ったロックグ
ループ
彼らの音楽が売れなかった理由は単純だ。それは、当時の日本にまだシュガー・ベイブを受け入れる土壌がなかったからである。それまでにない、まったく新しい音楽であったために、聴く者がリアクションできなかっただけなのである。言い換えれば、彼らの音楽は時代の先端を通り越してしまっていたのだ。曲作り、演奏、コーラスワーク、どれもがあまりに斬新で、それまでにないスタイルだったから、認知されるまでに長い時間を必要としたのである。
“ロックもポップスだ”=“ポップスは
ロックだ”
現に達郎は、『Songs』30周年記念盤のライナーで、“(前略)~そんな中で、ひとつだけ変わらずに30年の時をつないでくれるもの、それはロックンロールへの忠誠心です。シュガー・ベイブのアルバムがどこからか流れてくるたびに、私は昔の自分から「おまえの中のロックンロールはまだ生きているか」と聞かれているような気になります。そのたびに私は「だいじょうぶ、まだ生きているよ」と答えるのです”と発言している。これはまさしく“ポップスもロックだ”という、彼の逆説的表現なのだ。
そして、彼のこの精神は、彼や大瀧詠一に影響を受けたミュージシャンたち(ピチカート・ファイブ、オリジナル・ラブ、グレート3など、主に「渋谷系」)にも受け継がれているし、達郎の“先人たちの音楽を徹底的に学ぶ”という教え(?)もまた、しっかり受け継がれているのだ。
シュガー・ベイブの音楽性
もうひとつ、シュガー・ベイブの特徴として特筆すべきことがある。それは、ルーツ音楽臭がほとんど感じられないことだ。当時、はっぴいえんどをはじめとして、アメリカのロックに影響されたミュージシャンたちは、ブルース、R&B、フォーク、カントリー等、ルーツ音楽のバックボーンが必ずあった。これはザ・バンドからの大きな影響だと言えるが、当時の日本のミュージシャンはほとんど(ハードロックやプログレ以外は)、土臭い音楽を自分たちの音楽に取り込んでいたのだ。
シュガー・ベイブに似たミュージシャンはアメリカにも少ないが、僕の知る限りでは、フィフス・アベニュー・バンド『The Fifth Avenue Band』(’69)、ピーター・ゴールウェイ『Peter Gallway』(’72)、エリック・カズ『CUL-DE-SAC』(’74)、ジョー・ママ『Jo Mama』(’70)、ダニー・コーチマー『KOOTCH』(’73)、ネッド・ドヒニー『Ned Doheny』(’73)あたりだが、面白いのは、これらのどの作品も売れなかったこと。シュガー・ベイブと同様に、リリースされてから何年も経ってから評価されているのだ。やっぱり、この手のサウンドに時代がまだ追いついてなかったってことだろうね。
収録曲
グループ一番の魅力は、何と言っても達郎の伸びやかで美しい声。「SHOW」「DOWN TOWN」の冒頭2曲は、曲・歌詞・編曲・演奏・コーラスのどれをとっても完璧な仕上がりだけに、聴いている者は圧倒されてしまう。特に、若いJポップファンは“今のJポップと何が違うの?”と思うかも知れない。いやいや“このスタイルを作ったのがシュガー・ベイブなんだよ”と、おじさんは力説したい。大貫妙子が歌う曲は、線が細いなあとは思いつつも、ひとつひとつ言葉を大切にしながら丁寧に歌う姿勢に、目頭が熱くなる。やっぱり彼女の存在感はスゴイと再認識したのだった。
他にも、リズムの多彩さやサックスソロの導入など、このアルバム由来の新しい試みがあるのだが、この作品の一番の功績は、これまで引きこもりがちだったロックを、陽の当たる場所に引っ張り出してくれたところである。若い人は何のことを言ってるのか分からないかもしれない…かつてロックは暗いロック喫茶やジャズ喫茶で、頭を振りながら聴くものだったのに、シュガー・ベイブが登場してからは、ロックは街を歩きながら陽の当たる場所で聴くもの…こんな大きな意識転換を生み出したグループが、偉大なシュガー・ベイブなのである。
著者:河崎直人