忌野清志郎の
バンドマンとしてのビギニング
RCサクセション初期の傑作
『シングル・マン』
バンドの代名詞的名曲も収録
M8「うわの空」はブルースだろう。これもGAROとかBUZZっぽいと言うと、またいずれのファンにも怒られるだろうが、未聴の人に楽曲の雰囲気は分かってもらえるのではないだろうか。つまり、コーラスワークもいい楽曲である。ストリングスもきれいだ。
M9「冷たくした訳は」はアコギ基調でありつつも、アップテンポのロックチューン。R&B的なブラスもあしらわれている上に、間奏ではエレキギターも鳴っていて、清志郎の♪ガッタガッタ〜も飛び出すし、完全にのちのバンド編成に通じるところがある。
M10「甲州街道はもう秋なのさ」もファンのよく知る名曲。[レコーディングでは星勝アレンジによるストリングス・パートが録音されたが、後にメンバーのみで再度トラックダウンされ、これがほぼ取り除かれている]そうである([]はWikipediaからの引用)。前半のベースは弓で弾かれているように聴こえて、何ともサイケな雰囲気。丁寧に重ねられた楽器のアンサンブルと鬼気迫る印象の清志郎のボーカルとが生み出す緊張感が、《うそばっかり》と繰り返される歌詞の世界観を奥深くしているように思う。
アルバムのラストはRCを代表するナンバーのひとつ、M11「スローバラード」。改めて聴くと、歌のメロディーと歌詞がいいことはもちろんのこと、イントロから流れるピアノの旋律と、全体を彩るホーンセクションも同曲になくてはならない要素であることが分かる。イントロのピアノはもちろんのこと、ホーンのアレンジもその後のさまざまなライヴ録音を聴く限り、大きな変化はない。それにも気付く。このレコーディングに参加したTower of Powerのテイクは、その後、RCのサポートを務めることになる梅津和時(Sax)や片山広明(Sax)らによる生活向上委員会(のちのブルーデイ・ホーンズ)に比べてきちんとした印象ではあるが、ここでのアレンジがあってこそ、同曲はジャパニーズソウルの傑作となったのだろう。躍動感溢れる梅津や片山の演奏もいいが、Tower of Powerもまた素晴らしいと思う。
ひと口に語るのは簡単ではないとは言ったものの、こうしてザっと解説してみると、前述した通り、その後のRC、そしてRCの活動休止後に清志郎が展開したワークスの礎のようなものを感じる『シングル・マン』である。歌詞も実に奔放だ。
《贈り物をもらったら ぼくがあの娘に贈るのさ/つまらないものは ゴミ箱に捨てるぜ》(M1「ファンからの贈り物」)。
《誰もやさしくなんかない/君と同じさ いやらしいのさ/誰もやさしくなんかない/だからせめて 汚ないまねは/やめようじゃないか》(M3「やさしさ」)。
《バイバイ 君といたってしょうがない。/バイバイ お別れにキスでもしようか/感違いにまたがって 君は泣くことができる/ぼくはおりるよ さようなら/いつまでもお元気で》(M4「ぼくはぼくの為に」)。
《君を傷つけたけれど ぼくは乱暴者じゃないよ/やさしくだってできるさ/君にやさしく》(M9「冷たくした訳は」)。
《ぼく まっぴらだ/もうまっぴらだ/これからは来ないでくれないか/ぼくもうまっぴらだよ/うそばっかり/うそばっかり/うそばっかり/うそばっかり》(M10「甲州街道はもう秋なのさ」)。
M6、M7、M11辺りはストレートに優しさ、柔らかさを感じさせつつも(M8もそんなニュアンスがあるかもしれないが)、上記の歌詞にはあっさりとしたところもあっけらかんとしたところもあるし、怒りもある。意味や背景がよく分らないものもあるが、はっきりとした物言いであることは間違いないだろう。清志郎自身が本作制作時を振り返ったインタビュー記事を読むと、歌詞では自身の想いを包み隠さなかったようではある。物語の整合性はないが、自身が思ったことを歌詞にしているという点では一貫していたと思われる。そんなアーティストであったから、その後、反原発も反戦反核も歌詞にしたし、それが発売禁止となれば怒るのも無理はない。歌いたいことを止めるのは自身にはできなかったのだろう。たとえ、それがテレビの生放送だったにせよ…である。『シングル・マン』の歌詞からものちの不屈さはうかがえるところである。
TEXT:帆苅智之
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