サザンオールスターズとは違う
桑田佳祐の魅力が詰まった
ソロの傑作『孤独の太陽』

『孤独の太陽』('94)/桑田佳祐
この夏、誰もが最も耳にした歌声
民放5系列による『2020年東京オリンピック共同企画』のテーマソング。7~8月の数週間はどのチャンネルを点けても流れてきた。その物量は半端じゃない。決して持論を曲げて白旗を揚げるということではない…と一応、最低限の抵抗をしておくが、あそこまでいくと、もはや“国民的流行歌”と認識せざる得ないところはある。納得せざるを得ないと言ってもいいかもしれない。そもそも同曲、そして桑田佳祐は[プロジェクトチームがテーマソングのアーティストを決める際に「桑田さんしかいない」という意見が多数上がり、起用が決定した]ものだという([]はWikipediaからの引用)。これが仮に若手~中堅の当代人気アーティストであったのならば、この夏の流行歌に認識しつつも、別の意味で訝しさを感じることもあっただろう。桑田以上のベテランが担当したとしたら、多分、若い世代からはあまり支持を得られなかったのではないかと自分なんかでも想像できるし、アナクロ感の漂うものになっていたような気もする。オリンピックのような世界的イベントの日本国内でのテーマソングを担当するアーティストとして、老若男女の多くが丁度良く感じるのが桑田佳祐だっただろう。“丁度良い”という言い方をすると語弊があるように思われるかもしれないが、まさか凡庸などという意味では言ってないので、そこんところは誤解のないように。あえて言うなら中庸。平均でも中間でもなく、中庸である。変な偏りが少ないというか、多くの人が“この人なら…”と腑に落ちるポジションにいるアーティストが桑田佳祐だと件のプロジェクトチームの方々は思ったと思われる。そのプロジェクトチームもさすがに適当な人たちの集まりではなかろうし、間違いなくプロフェッショナルがマーケティング等も加味して推したのだろう。案外それが“国民的”なる形容の正体かもしれない。
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