奥田民生と
SPARKS GO GOのロック熱が注がれた
『THE BAND HAS NO NAME』
結成の経緯から感じる失意と再生
ただし──ここからが肝心だが、メンバーが集うまでの経緯は偶発的なものであったとしても、現場でそこに臨む4人の姿勢はまったくもって間に合わせなどではなかった。スパゴーの3人には“俺たちはまたバンドをやれるんだ!”という高揚感があったというし、UNICORNは上記の通り、大ブレイクを果たした直後でまさに油が乗り切ったところ。熱が入らないわけがない。イベント出演後、即渡米してレコーディングすることになったというのは、いかにもCDバブル期ならではのことと思わず遠い目をしてしまうが、スタッフもその熱に当てられたんだと、ここは好意的に捉えたい。急きょLAへ渡ったものだからバンド名すらなかった。レコーディングスタジオでアシスタントにバンド名を訪ねられたが答えようがない。そこで、そのアシスタントは楽曲がレコーディングされた媒体に“THE BAND HAS NO NAME=名もなきバンド”と書いた。これがこのバンド名の真相だという。
冒頭で、本作からはバンドで演奏すること自体の楽しさ、いい意味でのアマチュアイズムを感じることができると書いた。それは彼らが集まった経緯とそのスピード感がそのまま反映されたものだと見ることができる。その時点でBe Modernは解散していたわけで、予定されていたイベントが終われば、残りのメンバーも事務所との契約が解除されていたと考えるのは普通であろう。そういう意味では、スパゴーが民生に声をかけた時点では“音楽活動はこれが最後”という開き直りがあったのかもしれない。いい意味で肩の力が抜けたと想像もできよう。サウンドとメロディーの開放感はそこで説明がつく。また、Be Modernは北海道出身のバンドだが、めんたいロックの影響があったとも聞く。メジャーデビュー時にはTHE MODSのオープニングアクトを務めたこともあるという。本作にはモッズ系のロックンロールと受け取れるものもあるが、これもいい意味で肩の力が抜けた結果だったと見ることができるのではないだろうか。後ろ向きな言葉が並ぶ歌詞は、Be Modern解散前後における精神の吐露ではなかったかと筆者は考える。どん底とも言える失意からの再生。いや、ほとんど起死回生と言ってもいいだろうか。そんなふうにも受け取ることができると思う。結成された時のメンバーのパッションと併せて、そんなバンドマンの想いがパッケージされたレコードは、どう考えてもやはり名盤となるのであろう。
TEXT:帆苅智之