『センチメンタル・
シティ・ロマンス』の
サウンドから
付き付けられる貫禄と奥深さ
日本語ロックの正統なる系譜
M10「マイ・ウディ・カントリー」は30秒程度の短いミドルバラード。頭のハーモニーが何かそれっぽいと思っていたら、コーラスには山下達郎が参加しているとのこと。センチとシュガーベイブはコンサートで共演したこともあったようで、その流れだったのだろう。ボーナストラックのようでもある。そのスキットから披露されるアルバムのフィナーレがM11「ロスアンジェルス大橋Uターン」。各パートが絶妙に絡み合うバンドアンサンブルは、ここまでアルバムを聴いてくると、センチの王道と判断できる。やはり間奏が顕著で、ベースから始まってギター、キーボード、ギターと順に音が重なってサウンドを構築していき、テンションが上がっていく様子は、“待ってました!”というか、歌舞伎の大向こうじゃないが、“センチ!”と叫びたいほどだ(ゴロが悪いから、告井屋とか中野屋とかメンバーの名前がいいか)。アルバムの大団円である。
巧みなバンドアンサンブルがセンチの最大の醍醐味と書いたが、無論それだけではない。歌のメロディーのポピュラリティーの高さ、親しみやすさも忘れてはならない。とりわけ音符へ言葉がはっきりと乗っている点は特徴的だ。言ってしまえば、はっぴいえんど的というか、その系譜を受け継いでいる印象が強い。細野氏がセンチを絶賛したのは、この歌にもその要因があったのではないかと勘繰ってしまうほどである。実際にその辺はどうだったのだろう。
また、単に歌詞がメロディーに上手く乗っているだけでなく、その歌詞も個性的。M1の《兜の緒をしめても》や《腹の虫が治まらねえだ》、M6の《ちょっぴり しょげかえる》《目抜き通りとにらめっこ》、あるいはM11《へのへのもへじの へそまがり》がそれに当たる。M1では《どうせ涙にゃ縁がにゃあ》と名古屋弁もある。M9の《シッシと追っぱらうオカメときたら/空虚な眼(まなこ)をこすりながら/日除け笠で顔隠し言うにや/「あんたは ひょっとこ」》辺りは、ロックはおろか、日本のポップミュージックではまったく他でお目にかかったことがない代物だろう。ロック、ポップスで見かけないのは、そもそもタイトルがそうで、「籠時(こもりどき)」「暖時(くつろぎ)」「小童」もさることながら、このバンドを知らない人であれば、「庄内慕情」や「うちわもめ」からウエストコーストサウンドはおろか、ロックもポップスも想像しないであろう。そうしたところもセンチの面白さであることは間違いない。ロックは米国生まれのものであることは疑いようもない事実であり、そこに対する徹底したリスペクト、オマージュは貫きながらも、自らの足場が日本や地元・名古屋にあることを忘れていない。そんな印象がある。忘れていない…というよりも、忘れようがないのかもしれないし、上記のような歌詞があるのは極めて自然体で臨んだ結果だったのかもしれない。いずれにしても、米国への憧憬だけでなく、オリジナリティーのあるところにバンドの志しを感じざるを得ないところである。そういう人たちだからこそ、センチは結成から一度も解散することなく、50年の長きに渡って存在しているのだろう。
TEXT:帆苅智之