ザ・モップスの
驚異的な先鋭サウンドが遺る
『サイケデリック・サウンド・
イン・ジャパン』
サイケを自らのバンドに巧みに導入
M3「アイ・アム・ジャスト・ア・モップス」は“ジャパニーズガレージパンク”として世界からも注目されたというのも頷ける音像。楽曲全体を引っ張るベースラインに躍動感がある。歌詞に放送禁止用語があるとして一時期はアルバム未収録だったM6「ブラインド・バード」は、ミドルテンポではあるものの、手数の多いドラミングがなかなか個性的で、個人的にはパンク~グランジにも通じる空気を感じたところ。
M10「朝日よさらば」でのギターもいい。イントロから軽快なリフを聴かせているが、そこだけで終わるのでなく、終始、歌に並走していく。ギターが楽曲の中心であるようなスタイルは、1960年代後半ではかなり新鮮ではなかったかと考えるが、実際にはどうだったのだろうか。
極めつけはアルバムのフィナーレ、M12「消えない想い」で間違いなかろう。シタールをあしらった、まさにこれぞサイケデリックロックというサウンドである。単にシタールを入れるというだけでなく、ギターとのアンサンブルが実にスリリング。サイケの要素をバンドに取り込んだ様子はお見事という他ない。当時GSのグループにこんなふうに外音を導入したバンドがどれくらいいたのかは分からないけれど、ザ・モップスはその急先鋒であったことは大方想像がつく。M12はシングル表題作にこそならなかったが、『サイケデリック~』に先駆けて発売された「ベラよ急げ」のB面であったということで、その推し具合も分かるし、アルバムのラストを飾る位置に置いたことでもバンドサイドが重要視していたこともうかがえるところだ。
当時のマネジメント会社の社長の他、作詞の阿久悠、作曲の村井邦彦や大野克夫も一丸となってサイケデリックロックを標榜していたとも伝え聞く。ザ・モップスを取り巻く環境はすこぶる良かっただろうことは、本作収録曲の伸び伸びとした様子からも想像できる。しかしながら、1stシングル「朝まで待てない」はそれなりに売れたとのことだが、2nd「ベラよ急げ」は芳しくなかったらしいので、『サイケデリック~』もバンドサイドの意気込みほどには成功しなかったようだ。その後、バンドは方向を変え、一時期はコミックバンドのようになったというから驚きではある。才能あるミュージシャンの集まりであったゆえに、何でも対応できたのだろうか。以降、冒頭で取り上げた「たどりついたらいつも雨ふり」(1972年)がスマッシュヒットするものの、バンドは1974年に解散。メンバーは前述の通り、それぞれに俳優業や音楽制作の裏方に従事することとなった。
だが、[1980年代以降、サイケデリック期の楽曲については、欧米のガレージ・ロックファンから評価されるようになった。「ブラインド・バード」などの楽曲は複数の海賊盤コンピレーションに収録され、アメリカでは1stアルバム『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』が何百ドルというプレミアつきで販売されていたという(1994年当時)]。また、これも先に少し触れたが、2001年にリリースされた[世界的なガレージロック・コンピレーションアルバム『Nuggets』シリーズの「ナゲッツII:オリジナル・アーティファクツ・フロム・ザ・ブリティッシュ・エンパイア・アンド・ビヨンド、1964-1969[Disc4]」の5曲目に、ザ・モップスの「アイ・アム・ジャスト・ア・モップス」が収録されている]([]はWikipediaからの引用)。ザ・モップスが世界的な評価を得たのは解散から10年近く経ってからで、しかもその高評価は一過性ではなく、今も続いているのである。ザ・モップスは早過ぎるほど早過ぎた日本ロックの最大最強のレジェンダリ―バンドなのだ。
TEXT:帆苅智之