【ライヴアルバム傑作選 Vol.6】
NUMBER GIRLらしさが
如何なく貫かれた
『シブヤROCKTRANSFORMED状態』
その日の演奏をそのまま収録
ここまで持って回ったように“微妙”とか“ほんのわずか”とか“少しばかり”といった形容を多用してきたが、本作は、古今東西のライヴ盤でたまに見かける劇的なアレンジの変化はほとんど見受けられないと言っていい。Deep Purple『Live in Japan』(1972年)での「Smoke on the Water」の超有名なギターリフがオリジナルと変わっているとか、戸川純『裏玉姫』(1984年)で『玉姫様』収録の「蛹化の女」がパンクアレンジの「パンク蛹化の女」になっているとか(共に古くて申し訳ない)、そういう明確に分かる変化は『シブヤROCKTRANSFORMED状態』にはない。イントロやアウトロにスタジオ盤にない要素が足されている楽曲もあるにはあるが、楽曲本編ではそれが見られない。そこにもNUMBER GIRLのバンドとしてのスタンスを垣間見ることができるようにも思う。個人的にはあえてそういうことをしていないのではないかと推測する。
楽曲はそれをレコーディングした時、あるいは最初に演奏した時が生まれたてであり、そこから成長していくものだ…というような話をよく聞く。とりわけライブアーティストがそういうことを言っているように思う。何度も演奏することで楽曲のディテールが変化していくということだろう。だが、どうもNUMBER GIRLの場合、少なくとも『シブヤROCKTRANSFORMED状態』においては、そういうことでもないように思う。分かりやすくアレンジを変えずとも楽曲とは演奏毎に異なるもので、場所も日付も異なればテンションが変わるのも当然で、それがそのまま演奏に反映される。勝手な想像でしかないけれど、その場でしかできない演奏、その時間でしかあり得ない演奏がライヴであり、ライヴアルバムはそれを余すところなく閉じ込めたものという想いがあったのではなかろうか。だとすると、冒頭で述べた、一般的には所謂噛んだと言われるMCをそのまま収録したことにも合点が行くように思う。新聞をあしらった本作のジャケットと歌詞カードである。これもまた後日そこで起こったことを客観的に報じるということに準えたのではなかろうか。
TEXT:帆苅智之