角松敏生との邂逅で
中山美穂がアイドルから完全脱皮!
『CATCH THE NITE』は
女性シンガー史上屈指の名盤
1980年代後半のシーンを席巻
また、これは1990年代に入ってからのことであるが、[1994年2月、「ただ泣きたくなるの」が100万枚を超える売上げを記録し、自身単独名義での初ミリオンヒットとなる。「世界中の誰よりきっと」と合わせると2曲目のミリオンヒットとなり、80年代デビューの女性歌手でミリオンヒット2曲は初の快挙で、現在までにこの快挙達成は中山美穂と今井美樹のふたりだけである]([]はWikipediaから一部修正して引用)というから、彼女は邦楽史にその名を刻む、押しも押されぬトップアイドル、いや、トップシンガーのひとりであることは疑いようがない。
ただ、デビュー当時の中山美穂は…というと、やや型破りであったものの、その存在はアイドル然としていたことは否めない気がする。彼女は歌手より先に女優としてデビュー。初演はテレビドラマでのツッパリ少女役であった。“やや型破り”と言ったのがそこでの演技で、台詞もシーンもテレビドラマにしては刺激的な内容だった。ドラマの放送後にそのシーンが写真週刊誌に載ったような記憶もある。続いて、映画『ビーバップ・ハイスクール』でのヒロイン役も話題となった。映画自体が大ヒットし、彼女が歌った主題歌で3rdシングル「BE-BOP-HIGHSCHOOL」もスマッシュヒット。[この曲でTBS系で放送されていた『ザ・ベストテン』に初ランクインした]というから、映画も主題歌も中山美穂の完全な出世作だったと言える。その後も数多くのドラマで主役を務め、[月9枠の常連となり、主演が7作品と、女性では最多を記録している(男性を含めると木村拓哉に次ぐ第2位)。また、主演と主題歌を担当した作品も4作で、最多である]とのことで、アイドルとしての活躍は申し分のないものであったと言える([]はいずれもWikipediaから引用)。
その一方で、デビューから2年間ほどの彼女の楽曲に目新しさはなかったとも思う。そう言うと、大変失礼な物言いに聞こえるかもしれないが、楽曲のレベルが低かったというようなことを言いたいわけではない。シングル曲のほとんどは“作詞:松本 隆/作曲:筒美京平”なので、レベルが低いはずもない。しかしながら、松本&筒美はすでに黄金コンビとして数多くのヒット曲を世に送り出していたし(つまり、それだけ新人の中山美穂が力を入れられていた証拠でもあるのだけれど)、松本 隆の歌詞は先行した松田聖子楽曲のイメージも強い。筒美京平に至っては手掛けた曲が多すぎて(作曲作品の総売上枚数作曲家歴代1位!)、どれがどうと言えないほどである。つまり、中山美穂の当初の楽曲はオリジナリティーが薄かったと言い換えたほうが分かりやすいだろうか。4thシングル「色・ホワイトブレンド」(1986年)で竹内まりや、5th「クローズ・アップ」(1986年)で財津和夫、6th「JINGI・愛してもらいます」(1986年)と10th「50/50」(1987年)とで小室哲哉からも楽曲提供を受けていたものの、ブレイク前のTKはともかくとしても、竹内まりや、財津和夫もまた作曲家としてのバリューが十分にあった頃であったし、そのコラボレーションによって大きな化学変化があったのかと問われたら、正直言って、“あった”とは言いづらいのではなかろうか。彼女にとって明らかに歌手としての転機となったのは角松敏生との邂逅であろう。具体的に言えば、シングル「You're My Only Shinin' Star」と、今回紹介する6thアルバム『CATCH THE NITE』である(ともに1988年)。