70年代末のニューヨークの
音楽シーンをリードする存在だった
テレヴィジョンを率いたギタリスト、
トム・ヴァーライン
孤高と呼ぶに相応しい異能のギタリスト
※ヴァーライン、ヴァーレーン、ヴァーレイン、どれが正確な発音/表記なのか分からないが、マレルメやランボーと共にフランスに象徴派詩人として名高いポール・ヴェルレーヌから名前の綴りを借りたという話である。
偶然、私の友人にその頃のリチャード・ヘルのポエトリー・リーディングを観たという人物がいる。スティーブ・ディニーノという、当時ロングアイランドシティに住んでいたという彼が言うには「リチャード・ヘルの詩はお世辞にもとても聞けたものじゃなかったよ。およそ文学的なセンスは感じられなかった」と苦笑いしながら「ただ、街角やカフェでやるそのリーディングにはアコギの伴奏がついて、それは不思議な陶酔感を誘うものだった。今思えば、あれはヴァーラインだったのかも」と話してくれたものだ。本職はイラストレーターだと言っていたが、ニューヨークに住んでいた時に一時期週末に版画を学んでいたのが縁で知り合ったスティーブは当時のNYのパンク・ムーブメントをリアルタイムで体験した男で、パティ・スミスやトーキング・ヘッズ、ラモーンズ、ブロンディ、ブライアン・イーノ、ルー・リード、そしてテレヴィジョンのギグなども何度か観たという。
「それから何年かしてテレヴィジョンのライヴを観たんだけど、リチャード・ヘルはもういなかった。彼はヴァーラインと喧嘩別れしてジャンキーのジョニー・サンダースとハートブレイカーズを組んだり、ヴォイドイズを結成してたんだね。ヴォイドイズの詞も酷かったね」と、ことヘルに対しては酷評ばかりだったが、テレヴィジョンのライヴは絶賛していた。「ステージングも独特だった。チューニングがやたら長くてヤキモキさせられたもんだけど、曲が始まるとそんなイライラを忘れさせるほど、演奏はすごかった。1曲の演奏が長くてね、例えは変だけど、ジャムバンドみたいなところがあった。おまけにアルバムと違い、彼らのライヴはすごくアグレッシブだった。ヴァーラインともうひとりのギタリスト、リチャード・ロイドも信じられないくらいギターが上手かったが、ふたりの微妙なギターの絡みはそれまで聴いたことがないスリリングなものだったし、その後も出会わない類の奇跡的なコンビネーションだったと思う。ヴァーラインのプレイはあの時代のNo. 1ギタリストだったんじゃないかな? 誰も言わないけど」と言っていた。
ちなみにスティーブはテレヴィジョンの2作が出たのとほぼ同時期にリリースされたダイヤー・ストレイツのデビュー作『悲しきサルタン(原題:Dire Straits)』(’78)も愛聴していたそうなのだが、片やギタリストとして激賞されていたマーク・ノップラーにひきかえ、まるで話題に上らないヴァーラインの才能に「みんな、もっと知るべきだよ。まぁ、クラプトンやジミー・ペイジは無関心だろうけど。でも、少なくともディランはノップラーではなく、ヴァーラインを起用していたら、もっと面白いアルバムが作れたんじゃないかな?」と言って、暗に低迷期のディランを皮肉っていた。
※ダイヤー・ストレイツを気に入ったディランは自身のアルバム『スロートレイン・カミング』(’79)のセッションにマーク・ノップラーを起用、以降、アルバム、ライヴで競演を続けた。一方、ヴァーラインはと言えば、実はボブ・ディランをモデルにした映画『アイム・ノット・ゼア』(’07)のサントラにギターで参加している。