スクリッティ・ポリッティの名盤『キ
ューピッド&サイケ85』は80年代中期
以降にデジタル録音の頂点を極め、多
くのアーティストに影響を与えた

1980年以前と以降では、ポピュラー音楽の何が変わったのか。そのもっとも大きい変化は、デジタル機器を使った録音方法だと言える。70年代末に劇的な進化を遂げたデジタル技術は、ロック、ソウル、ファンクなどのポピュラー音楽の概念を変えてしまうほどの影響力を持ち、ジャズやカントリーを除いたほとんどのジャンルで主流になっていく。ところが、80年代初頭の録音ではまだサウンドが硬く、チープさが否めなかった。しかし、84年に12インチシングルとしてリリースされたスクリッティ・ポリッティの「ウッドビーズ」は、人力演奏とデジタル楽器の良さをミックスした驚異的なサウンドを持ち、以後のポピュラー音楽への指針ともなった記念碑的な作品だ。今回は、そのナンバーも収録したアルバム『キューピッド&サイケ85』を紹介する。

デジタル録音の80年代

80年代初頭に巻き起こったデジタル録音だが、当初は物珍しかったこともあり支持されていた。しかし、2~3年もすると“低音が出ない”“音がチープすぎる”“ドラムマシーンが安っぽい”など、多くの問題点が指摘されるようになる。実際、僕も低音が出ないことにイライラし、ロックを聴くことをやめてしまった。そして、人力での演奏が多かったジャズやカントリー音楽を聴くことが増えた。60~70年代からロックを聴いている人間にとって、ベースの重低音や複雑なドラムフレーズがないと、どうしても物足らなさを感じてしまうのだ。僕と同じような理由で、80年以降の音楽に希望を持てなかった人は少なくなかったはずだ。

トレヴァー・ホーンの功績

そんな時に登場してきたのが“ZTTレコード”(1)というレーベルだ。このレーベルは「ラジオスターの悲劇」(‘79)のヒットで知られるバグルスのメンバー、トレヴァー・ホーン(2)が設立した会社である。ZTTが送り出す音楽は他のどれとも違い、デジタル録音にもかかわらず、かなり重厚なサウンドになっていた。最初に僕が聴いたのは実験音楽集団アート・オブ・ノイズの「誰がアート・オブ・ノイズを…」(’84)で、このグループにトレヴァー・ホーンが関わっていることを知った。「ラジオスターの悲劇」はチープなシンセサウンドだったのに、その変貌ぶりに驚いたのだが、その秘密はシンセやサンプラーの大きな技術革新によるものであった。
もっとも大きな変化はアナログシンセからデジタルシンセへの移行で、シンクラヴィア(3)、フェアライト(4)、ヤマハDX7(5)といった機器の登場は、デジタル録音のクオリティーを大幅にアップすることになった。80年代半ば、デジタル録音がアナログ録音を本気で駆逐する時代がやってきたのだ。このデジタル革命は、機器の進歩はもちろんだが、トレヴァー・ホーンの尽力がなければ、もう少し時間がかかったはずだ。ちなみに僕は、このあたりから再びロックも聴くようになった。

スクリッティ・ポリッティの挑戦

トレヴァー・ホーンが成し遂げたデジタル録音の手法はあっと言う間に浸透し、チープさは回避できたものの誰もが同じようなサウンドになってしまった。機器中心の音作りだけに、ツマミの調整によってまったく同じサウンドが出せるのだ。これはデジタル録音のメリットでもありデメリットでもある。
この頃のミュージシャンたちはデジタル録音の全盛にあって、いかに独自の個性派サウンドを作り出すかが問われていたが、ピーター・ゲイブリエル、ロバート・パーマー、ティアーズ・フォー・フィアーズらは創造性に満ちあふれた音作りで、時代を先取りしていた。彼らのような優れたミュージシャンたちは、血の通った打ち込みというか、無機質になりがちなデジタル録音に人力での演奏をマッチさせるなど、アナログの良い部分をしっかり組み込んだ音作りを提示していたように思う。
そして、忘れもしない84年…ようやくスクリッティ・ポリッティの12インチ・シングル「ウッドビーズ」がリリースされた。ソウルやファンクをベースに、重低音を生かしたヒップホップ感覚を持つダンスナンバーである。はっきり言って、そのすごさにぶっ飛びました! 曲のイメージを決定付ける重低音のドラムサウンドは、まるで70年代のロックグループのような骨太さがあったからだ。
レコード裏のクレジットを見ると(まだ持ってます)、ギターはポール・ジャクソン・ジュニア、ドラムはスティーヴ・フェローニ(アヴェレージ・ホワイト・バンドのメンバーで英国屈指の名ドラマー)が参加している。あとはシンセサイザーズと複数表現があり、フェアライト・アシストという表記があることからフェアライトを使用していることも分かった。プロデュースと編集はアトランティックレコードの著名なプロデューサー、アリフ・マーディンが担当。マーディンはアレサ・フランクリン、ホール&オーツ、ラスカルズ、ジョージ・ベンソン他、多くのスーパースターたちを育てた名プロデューサーだけに、彼の参加には驚いた。
「ウッドビーズ」リリース後、スクリッティ・ポリッティの名前は全世界に轟き、デジタル録音は新時代に入った…と言いたくなるぐらい、このシングル盤の意義は大きかった。そして、立て続けに12インチシングル「アブソリュート」「ヒプノタイズ」を発表し、高い評価を得ることになる。こうなると、アルバムへの期待は否が応でも高まり、ようやく85年に本作『キューピッド&サイケ85』がリリースされたのである。
チープでないデジタル録音の手法としては、トレヴァー・ホーンが先鞭を付けたとはいえ、圧倒的な音圧を持つスクリッティ・ポリッティのこのシングル3部作が、ポピュラー音楽界にもたらした影響は計り知れず、今でもそのサウンドはまったく古びてはいない。

本作『キューピッド&サイケ85』につい

本作発表前に前述のシングル3部作が出ていただけに、アルバムの内容はソウルやファンクをベースにした曲が中心になるのではと思ったが、実際には彼らが影響されたさまざまな音楽が詰まっていて、結構ポップな仕上がりとなっている。レゲエ風のナンバーやイギリスっぽいバラード(スクリッティ・ポリッティのリーダーであるグリーン・ガートサイドは、もともとイギリス生まれで、本作はニューヨークで制作されている)、そして前述のシングル3部作はアルバム用にエディットされてはいたが、もちろん圧倒的なパワーで迫ってくる。
サンプラーやデジタルシンセの使用など、最新テクノロジーを駆使した複雑なサウンドプロデュースがされているにもかかわらず、分かりやすいダンスポップに仕上げているあたりに、その音楽性の高さがよく分かる。なお、「ウッドビーズ」「アブソリュート」「ヒプノタイズ」の3曲は、CD化に際し12インチシングル・ヴァージョンを追加収録している。
では、メンバーのことについて少し。異論はあるかもしれないが、スクリッティ・ポリッティは基本的にはグリーン・ガートサイドのワンマンバンドだと言ってもよいだろう。シングル3部作を含め、アルバム制作にはデヴィッド・ギャムソンとフレッド・メイハーのふたりが全面的に参加してはいるが、あくまでもグリーンの思考を具体的なかたちにするサポート的な役割である。
最後に、言っておきたいこと。現在のCDがリマスターされているのかどうか分からないのだが、シングル3部作に関しては、CDよりもLPのほうがはるかに音が良い。特に「ウッドビーズ」の重低音のすごさは、CDではよく分からないかもしれない。できたら12インチを探して大音量で聴いてみてほしい。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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