ジェファーソン・エアプレインの
『フィルモアのジェファーソン・
エアプレイン』は
ライヴアクトとしての実力を
世界に知らしめた傑作!

『Bless Its Pointed Little Head』(‘69)/Jefferson Airplane

『Bless Its Pointed Little Head』(‘69)/Jefferson Airplane

ジェファーソン・エアプレインはアメリカを代表するロックグループのひとつであり、その存在はドラッグやヒッピーといったアメリカならではのアイテムと密接に関連しているため、日本人には理解しにくい部分がある。ジェファーソンとともにサンフランシスコの3大グループと呼ばれたグレイトフル・デッドやクイックシルバー・メッセンジャー・サービスについても同じことが言えるのだが、サイケデリックロックと呼ばれた彼らの新しいスタイルは、60年代半ばに起こったブリティッシュ・インヴェイジョンからの巻き返しを図っただけでなく、ロックンロールが“ロック”へと変わったことを実感させるサウンドで、70sロックへの橋渡し役も務めた。今回取り上げるのは彼ら初のライヴ盤となった5thアルバム『フィルモアのジェファーソン・エアプレイン(原題:Bless Its Pointed Little Head)』では、ライヴアクトとして大いに評価されていただけに、スケールの大きい演奏が繰り広げられている。クリームやザ・フーなど、ブリティッシュロックのアーティストにも大きな影響を与えた傑作である。

ライヴ可能なコーヒーハウスの隆盛

1950年代末、すでにロックンロールが生まれていたとはいえ、その頃の流行はフォーク・リバイバルであり、アーティストが多くいた東海岸ではライヴ演奏のできるクラブの開店が待たれていた。日本でよく知られているのは、グリニッチ・ビレッジのビターエンドやガーズ・フォーク・シティ、ボストンのクラブ47あたりだろうか。60年代初頭には大小さまざまなクラブが作られ、フォークシンガーたちは毎夜のように出演していた。ボブ・ディラン、エリック・アンダーソン、フィル・オクス、ハッピー・アンド・アーティ、デイヴ・ヴァン・ロンク、トム・パクストン、ジョーン・バエズ、ジュディ・コリンズ、ティム・ハーディン、ジェリー・ジェフ・ウォーカー等々、この時代のフォークシンガーは今でも忘れられてはおらず、彼らの歌や精神は現代の若手シンガーにも影響を与え続けている。

西海岸への移住

フォーク・リバイバルの噂を聞きつけた全米各地の若者たちは、グリニッチ・ビレッジやボストンへと押し寄せるようになるが、純粋に音楽の腕を磨きたいアーティストたちにとっては音楽を聴くでもなく増えていく迷惑な観客に我慢できず、離れていく者が増えた。新天地を求めて彼らが向かった先は、はるか遠く離れたロスアンジェルスやサンフランシスコといった西海岸の町である。60年代半ばにはサンフランシスコのヘイト・アシュベリー周辺に居つく若者たちが急増し、「自然に還ろう」や「愛と平和」をスローガンにした西海岸独特の文化が生まれる。彼らは申し合わせたようにジーンズ、バンダナ、長髪、ヒゲで、反戦思想を持ち自然を愛した。アルコールやタバコはもちろん、大麻やLSDなどの麻薬もよく使っていた。彼らは“ヒッピー”と呼ばれ大人たちが主導する文化を否定、若者たちだけのコミューンを作るなど、カウンターカルチャーを押し進めた。「30歳以上は信じるな!」という時代であった。

西海岸でヒッピーが激増したこともあって、さまざまな音楽イベントや朗読会などを開くために会場の確保が急務であった。ビル・グレアムはフィルモア・オーディトリアム(のちに移転しフィルモア・ウエストとなる)を作り、サンフランシスコでロックのメッカとして知られるようになる。ここでヒッピーたちを中心に大きな人気を誇っていたのが、グレイトフル・デッド、クイックシルバー・メッセンジャー・サービス、ジェファーソン・エアプレインの3グループである。アドリブ中心のサイケデリックロックは、アシッドやアルコールでトリップ状態になっているオーディエンスにとっては文句なしの演奏であった。中でも、ジェファーソン・エアプレインはライトショー(トリップ状態を高めると言われる)と長尺曲のライヴ演奏を組み合わせるなど、地元周辺で大きな支持を得ていた。

OKMusic編集部

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