『フーズ・ネクスト』はザ・フーが挫
折しながら創り上げた、永遠に聴き継
がれるべき名盤

1971年に発表された本作の2年前、彼らはロックにオペラを導入した『トミー』('69)という作品で、全世界にその名を知らしめた。メンバーのピート・タウンゼンドのアイデアによるロックオペラへの試みは世界中で大きな成功を収め、ブリティッシュロック界の頂点を極めたのだが、誰も成し遂げたことのない初のジャンルであったため、アルバム制作は困難を極めている。しかし、この作品での苦労がグループの音楽的成長を促したことは確実で、『トミー』から2年後、流行とは無縁のロック史に残る名盤『フーズ・ネクスト』を生み出すことができたのである。

日本ではあまり人気が出なかったグルー

僕が中学低学年の頃、各種音楽雑誌で『トミー』の記事がよく出ていたことは、今でもよく覚えているのだが、自分も含め周りのロック好きの友達が、このアルバムを買っているのは見たことがない。それはなぜかと言うと、当時『トミー』は2枚組で値段が高かったことがひとつ。もうひとつは、当時の日本のロック少年は、やっぱりギタープレーヤーが大好きで、どうしてもクラプトンやジェフ・ベック、ジミー・ペイジらのような“リード・ギタリスト”に夢中であったことが挙げられると思う。
ザ・フーのピート・タウンゼンドは、カッコ良いギターソロを弾きまくるタイプではなく、コードプレイや印象的なリフが巧い、どちらかと言えば渋めのギタリストなので、子供にはまだその魅力がよく分からなかった。もちろん、彼はフィードバック奏法やハウリング奏法を生み出しているし、何よりステージでギターを放り投げたり壊したりする怖い人(笑)であることは知っていたのだが、彼が知的で渋いパフォーマーだということを理解したのは、もう少し大人になってからのことであった。

『トミー』の成功と『フーズ・ネクスト

ヨーロッパではオペラ(もしくはミュージカル)という音楽形式自体が親しみやすかったのだろう。映画の世界では60年代に、英米を中心にミュージカル作品が数多く制作されていて、『サウンド・オブ・ミュージック』『メリー・ポピンズ』『マイ・フェア・レディ』『シェルブールの雨傘』などを全部観たロック少年は、僕をはじめ少なくなかった…(60〜70年代の娯楽って、子供に限っては映画・本・音楽・芝居・テレビぐらいしかない時代だからね)。そこに目を付けたタウンゼンドの思惑は正解だったと思う。
それまでのフーは、コンパクトにまとめたポップなロックをヒットさせてはいたものの、中堅どころのグループであった。それだけに『トミー』での変貌ぶりは業界を驚かせたが、音楽家の両親を持つタウンゼンドは、かなり若い頃からミュージカル的な音作りを考えていたようだ。彼はひとりで『トミー』の台本や歌詞を書き下ろし、メンバーやエンジニアにそのコンセプトを細かく説明している。そして、スタジオに入った後も、内容を修正したり、メンバーの意見を取り入れながら、誰も踏み込んだことのない領域でのアルバム作りを進めていった。
結局、半年余りの時間をかけて『トミー』は完成すると、イギリスではチャートで2位、アメリカでも4位になるなど、大ヒットしている。日本でもシングルカットされた「ピンボールの魔術師」(これは買いました♪)は、かなりヒットした。また、アルバムやシングルだけでなく、ヨーロッパやアメリカのオペラハウスで公演を行なうというロックグループでは初となる試みや75年には映画化もされ、彼らは世界中を飛び回ることになる。
多忙で、曲作りやレコーディングもままならず、次作はライヴ盤の『ライブ・アット・リーズ』('70)が発売されるのだが、『トミー』とはまた違うハードロック的な優れたパフォーマンスで、これもまた大ヒットする。『ライブ・アット・リーズ』はパンクロッカーだけでなく、オルタナ系やノイズ系のロッカーたちにも影響を与えるなど、これをザ・フーの代表作に挙げるファンも少なくない
思うに、『トミー』レコーディング時の苦労のおかげで、メンバー間のコミュニケーションは密になり、この経験がスタジオ録音盤としての次作『フーズ・ネクスト』の完成度を引き上げることにつながったことは間違いない。『トミー』までにリリースされた3枚のスタジオ作品も決して悪くはないが、『トミー』以降のスタジオ録音盤『フーズネクスト』と『四重人格』('73)については、それまでとは次元が違うぐらいの高い完成度となっているのだ。

初の全英1位を獲得した『フーズネクス
ト』

『トミー』の成功もあって、タウンゼンドは次なるロックオペラに取りかかっている。それは、あるロックグループが聴衆と一体となって恍惚する模様をSFファンタジー的に表現しようというもので、“ライフハウス”というタイトルまで決まっていたのだが、タウンゼンドの台本が難解でグループのメンバーのみならず、スタッフにも理解できなかったこと、上演場所のヤング・ヴィック・シアターでメンバーと聴衆役の役者が共同生活することになっていたが、多くの参加者が帰ってしまったこと、ザ・フーのマネージャーであり助言者のキット・ランバート(彼はタウンゼンドの絶大な信頼を得ていた)が、この企画に乗り気でなかったこと…などの理由で『ライフハウス』の制作は頓挫してしまう。
次に、アメリカでのレコーディングの話が持ち上がり、ニューヨークのレコード・プラントで録音が開始されることになった。ところが、このスタジオがニューヨークの繁華街に建っていたことから、メンバーたちの夜遊びがすぎ、またランバートがヘロイン中毒でどうしようもない状態だったため、レコーディングは早々に切り上げられることになる。
このアルバムのミキシングのために呼ばれた、敏腕エンジニアとして知られるグリン・ジョンズは、その不出来さに驚き、レコーディングのやり直しを提案すると同時に『ライフハウス』の企画をも考え直すようメンバーを説得する。タウンゼンド以外はこの申し入れを受け入れ、ここで『ライフハウス』の企画は終わりを迎える。ただ、タウンゼンドは楽曲の完成度には自信を持っていて、それらの曲を次作に使用することにはメンバーも異存はなかった。
いろいろと紆余曲折はあったが、こうして『フーズ・ネクスト』の制作がスタートし、1971年8月に発売された。アメリカでは10日間ほど先行リリースされ、チャートで最高位4位という素晴らしい結果であった。イギリスでも、発売されると同時に喝采をもって迎えられ、ザ・フーとして初の全英1位に輝いたのである。

ライブ時の躍動感とスタジオ録音の緻密
さが一体となった作品

『フーズ・ネクスト』はジョン・エントウィッスルの「マイ・ワイフ」を除いて、全てタウンゼンドの作品で占められ、かつそれらは『ライフハウス』のために用意された作品ばかりである。本作が名盤となり得たのは、タウンゼンドの才能だけではなく、先にも述べたように、ここに至るまでの試行錯誤と、メンバー内におけるコミュニケーションの再構築がもたらした成果だと思う。
特に、この頃のタウンゼンドの才能は底知れないものがあったようで、ロジャー・ダルトリーやエントウィッスルは「ピートが作ってきたデモテープを、自分らなりに演奏し直すだけで良いものができた」と後年語っている。そのデモテープは、ピートが全楽器を多重録音していて、ビートルズ、ストーンズ、イーグルス、ジョー・コッカーなどを手がけてきたグリン・ジョンズは「デモテープといっても、そのまま発売できるぐらいの仕上がりだった」と、誰よりもタウンゼンドの才能をリスペクトしている。
ただ、ザ・フーのすごいところは、プレーヤー各人の力量と個性が際立っているところにある。コードワークとリフがカッコ良いピート・タウンゼンドのギター(2011年の「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」で第10位)、キース・ムーンの派手で奔放なドラム(2010年の「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」で、レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムに次ぐ第2位となっている)、エントウィッスルの緻密で音数の多いリードギターのようなベース(2011年の「ローリング・ストーン誌が選ぶ最も偉大なベーシスト」で、なんと第1位)、ロジャー・ダルトリー(2013年の「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第61位)のパワフルなボーカルがあってこそ、ザ・フーなのだ。
本作は『トミー』のコンセプトアルバムとしての緻密さと『ライブ・アット・リーズ』のパワフルさが同居したかのような力強い演奏を軸に、名演かつ名曲がぎっしり詰まっている濃密なアルバムだ。『トミー』以前のポップなグループではなく、ローリング・ストーンズやキング・クリムゾンと並ぶほどの骨太のグループに変革しているのだが、これは前述したように『トミー』の成功と『ライフハウス』の挫折が、彼らをこれほどまでに成長させたのだと思う。
特筆すべきは、彼らの作品としては初めてとなるシンセサイザーの導入である。1
曲目「BABA O'RILEY」の冒頭、テープループっぽい音が収録されているが、これはループではなく、タウンゼンドが長時間弾き続けて録音したらしい。これはシンセサイザー黎明期のあるある話である。作品全編を貫く、キース・ムーンの常識を度外視したドラミングも必聴だ。この作品がライブ感覚にあふれているのは、彼のドラムによるところが大きい。

モッズとパンクスに愛されたグループ

ザ・フーは後に登場するロッカーに大きな影響を与えていることでも知られる。60年代にはモッズ(1)たちに愛され、日本では甲本ヒロト、奥田民生、佐野元春、ミッシェル・ガン・エレファントらがフー好きを公言している。海外では何と言ってもザ・ジャム時代のポール・ウェラーがその代表だろう。ウェラーはザ・フーを手本に、70年代にモッズを復活させた仕掛け人でもある。
また、パンクスに愛された60年代ロッカーなんてザ・フーぐらいじゃないかと思う。セックス・ピストルズもそうだし、リチャード・ヘルはフーの「マイ・ジェネレーション」にインスパイアされて「ブランク・ジェネレーション」をリリースしてるぐらいだからね。他にも、W.A.S.P. 、パールジャム、オアシス、デヴィッド・ボウイなどなど、キリがないぐらい、ザ・フーの影響はあちらこちらに及んでいるのだ。
2015年現在、キース・ムーンとジョン・エントウィッスルは既に亡くなっており、タウンゼンドとダルトリーのみで、活動と休止を繰り返している。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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