短命ながらもハードロックファンを
唸らせたテンペストの
デビュー作『テンペスト』

『Tempest』(’73)/Tempest

『Tempest』(’73)/Tempest

ブリティッシュロック界において、ドラマーとしてジンジャー・ベイカーと並び称されるジョン・ハイズマン。グレアム・ボンド・オーガニゼーションやジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズなど、60年代中盤からの彼の活躍は、ジャズ、ロック、R&B、ブルースなどのジャンルを軽々と超えた目覚ましいもので、後世の多くのアーティストたちに影響を与えている。68年に結成したジャズロックグループのコロシアム時代には、圧倒的なライヴなパフォーマンスで多くのファンを獲得した。テンペストはコロシアムの解散後に結成したハードロックグループで、今回取り上げるデビュー作では若手のジャズロックギタリストとして頭角を現し始めていたアラン・ホールズワースをメインに据え、その超絶テクニックが多くの人を驚かせることとなった。

ジョン・ハイズマンの目のつけどころ

イギリスでは60年代後半〜70年代初頭にかけて、コロシアム、ソフトマシーン、ニュークリアス、ブライアン・オーガーといったジャズロックのアーティストに人気が集まっていた。ニュークリアスのリーダーで、60年代初頭からジャズ奏者として活動していたイアン・カーのソロアルバム『ベラドナ』(‘72)は、カーの依頼でコロシアムを解散したばかりのジョン・ハイズマンがプロデューサーとして参加することになるのだが、この作品に参加していたのが若手ギタリストのアラン・ホールズワースであった。ここでのホールズワースはジャズ的なプレイが中心であるものの「Remadione」ではロック的なフレーズも弾いており、クリームのようなスタイルのグループを作りたかったハイズマンはホールズワースに新グループへの加入を要請する。
ホールズワースはそれまでにロック的なプレイを正規録音としては残しておらず、ロックギタリストとしては未知数であったが、ハイズマンの目に狂いはなかったようだ。

アラン・ホールズワース

ホールズワースはジャズピアニストの父親から音楽理論を学んでいたが、ギターを始めたのは17歳とかなり遅かった。しかし、努力を積み重ねて20歳になる頃にはいくつかのバンドでプレイするようになる。プロとしてのデビューはジャズロックグループのイギンボトムで、アルバム『Igginbottom’s Wrench』(‘69)を1枚リリースしている。イギンボトム解散後はライヴハウスやコンサートで腕を磨き、正確な早弾きと父親譲りの音楽理論に基づいたプレイを身上として、徐々にその名は知られていく。そして、イアン・カーの『ベラドナ』のギター奏者として抜擢され、ハイズマンと出会うことになる。テンペストではデビュー作に参加した後に脱退しソフトマシーンに加入するも、『収束(原題:Bundles)』('75)1枚のみに参加して渡米してしまう。その後はトニー・ウィリアムス&ニュー・ライフタイムで活動する。2枚の作品に参加した後に脱退、78年にはジョン・ウェットン、ビル・ブルフォードらとスーパーグループのU.K.を結成するもアルバム『憂国の四士』をリリース後すぐに空中分解してしまう。その後はさまざまなセッション活動に参加、80年代以降はソロアーティストとして多くのアルバムをリリースする。2017年4月没。フランク・ザッパはあるインタビューで、ホールズワースについて「地球上で最も興味深いギタリストの一人であり、彼のプレイをリスペクトしている」と語っている。

OKMusic編集部

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