ユーリズミックスがソウルとシンセポ
ップを融合させた『ビー・ユアセルフ
・トゥナイト』

80年代に入ってシンセサイザーを多用したサウンドが増え、他との差別化をどう図るかはミュージシャンにとって大きな課題であった。ある者はMTVのような映像方面で傑出した作品を作り、またある者は徹底的に最先端の機材を取り入れ、逆にシンセは一切使わず人力演奏にこだわるグループが現れたりするなど、いわば本末転倒とも言えるような戦略に真面目に取り組む時代でもあった。そんな中で、シンセポップのサウンドに熱いソウルを感じさせるヴォーカルが中心のグループが登場した。一見、水と油のようなテクノとソウルをミックスし、世界的なヒットを生み出したのがユーリズミックスだ。今回はデイブ・スチュワートとアニー・レノックスからなるユーリズミックスの『ビー・ユアセルフ・トゥナイト』を紹介する。

テクノが飽和状態になった80年代中期

80年代初頭からロックの世界はシンセサイザーを中心としたシンセポップやテクノが中心となり、レコーディングもアナログからデジタルへと移り変わっていった。当初はそれぞれに趣向を凝らし、誰もが新しい時代へと突入した感覚を味わっていた。イエロー・マジック・オーケストラの『ソリッド・ステイト・サバイバー』(‘79)やバグルズの『ラジオスターの悲劇(原題:The Age Of Plastic)』(’80)などを皮切りに、トーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』(‘80)、ブライアン・イーノ&デビッド・バーンの『マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ』(’80)、ピーター・ガブリエルの『ピーター・ガブリエル』(‘80)がリリースされ、これらの秀作は80’sロックがどう進化していくかの道標であったと言えるかもしれない。
80年代中頃になるとシンセポップも飽和状態になり、スクリッティ・ポリッティの『キューピッド&サイケ』(‘85)やニュー・オーダーの『ロウ・ライフ』(’85)などを頂点として、シンセを中心としたロックは徐々に衰退していく。80年代後期から90年代初頭になると、人力演奏を中心としたヘヴィメタル、オルタナカントリー、レゲエ、ソウルなどが台頭するようになる。

ユーリズミックス結成と「スイート・ド
リームス」の大ヒット

ユーリズミックスはシンセポップのグループで、ギターのデイブ・スチュワートとヴォーカルのアニー・レノックスによって80年に結成された。最初は鳴かず飛ばずであったが、83年にリリースした2ndアルバム『スイート・ドリームス(原題:Sweet Dreams [Are Made of This])』に収録されたアルバムタイトル曲「スイート・ドリームス」が全米チャートで1位を獲得する大ヒットとなり注目される。確かに「スイート・ドリームス」はレノックスの哀愁味のあるヴォーカルと良いメロディーに恵まれた曲であった。しかし、この時点ではグループの個性はあまり感じられず、失礼ながらもすぐに消えていくのではないかと感じていた。

水と油の組み合わせ

「スイート・ドリームス」のヒットで、その後の進む道を模索していたスチュワートはレノックスのソウルフルなヴォーカルを活かすべきだと考えたのだろう。ただ、クールで軽いシンセポップと汗臭いソウルは水と油のようなもの。なかなか上手くは混ざらない。3rdアルバムの『タッチ』(‘83)と、続く映画のサントラ『1984』(’84)も健闘してはいたが、まだ「これだ!」というサウンドを掴むまでには到達していない。
レノックスのシンガーとしての魅力は、ソウルっぽいヴォーカルだけでなく、クラシックというかオペラ的な歌い方もできるところで、『タッチ』では控えめではあるがその両方をちょっとだけ披露している。おそらく試行錯誤を繰り返していたに違いない。レノックスとしては自分の好きな音楽がソウルとクラシックであることは認識していたであろうが、なぜそれを活かそうとしなかったのか…。80年代は無表情でクールに徹するスタイルが流行っていたことは事実で、ソウルの暑苦しさがカッコ悪いと思っていたのかもしれない…。

イギリスのミュージシャンに多いソウル
フルな歌唱

余談であるが、イギリスのロッカーには本場アメリカの黒人シンガーばりに歌うミュージシャンが多い。R&Bをバックボーンにしていたヴィネガー・ジョーにはロバート・パーマー(後にソロとなり80年代に大ブレイクした)とエルキー・ブルックスという男女のすごいシンガーがいたし、ストーン・ザ・クロウズにはジャニスを上回るほどのマギー・ベルがいた。他にも、エリック・バードン、ロッド・スチュアート、ヴァン・モリソン、スティービー・ウインウッドなど、アメリカのソウルシンガーのように歌える人がごろごろいる。
アメリカでは逆にソウルシンガーが近くにいるので、そっくりに歌うことはあまりなく、ジャニス・ジョプリンやボニー・ブラムレットみたいに、ソウルに影響されているけれど、自分なりの歌唱方法を確立しているミュージシャンが多い。これはどちらが良いとか悪いとかではなく、それぞれの国のミュージシャンの性質や置かれた環境によるものだ。

本作『ビー・ユアセルフ・トゥナイト』
について

アニー・レノックスは思い切りソウルに影響されていて、その歌唱力はすごいのひと言に尽きる。しかし、これまでのアルバムではそれをなぜかほとんど出さず、どちらかと言えばクールに抑えたヴォーカルで勝負していた。ところが、85年に発表された4thアルバムの本作『ビー・ユアセルフ・トゥナイト』では、一転してレノックスはヴォーカリストとしての自分が表現すべきことをやり切り、独創的かつ強烈な個性で多くの人を魅了した。
1曲目の「ビリーヴ・ミー(原題:Would I Lie To You?)」から、すでにこれまでとまったく違ったユーリズミックス・サウンドが展開する。アレサ・フランクリンの「リスペクト」を参考に、レノックスのヴォーカルがソウルフルにシャウトする。スチュワートのギターもこれまでになく、ハードでキレのいいカッティングを聴かせるなど、新生ユーリズミックスというか、まるで別グループのようなグルーブを感じさせる。当時、この曲を聴いて「レノックスってソウル好きだったんだ」と思った人は少なくなかったはず。そう言えば、容姿といい力強いヴォーカルといい、和田アキ子に似てるって話があったなあ…。
そして、2曲目は世界中で大ヒットした「ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル(原題:There Must Be An Angel [Playing With My Heart])」だ。ソウルとロックの合体というだけでなく、クラシック的なスキャットまで登場、それらが三位一体となって、これまでにないユーリズミックスのサウンドが繰り広げられる。この曲がリリースされてから30年ほど経つが、日本では未だにコマーシャルや効果音的にも使われているから、ユーリズミックスを知らなくても「この曲知ってる!」って人は多いと思う。間奏ではスティービー・ワンダーがハーモニカで参加し、この革新的な曲に花を添えている(名演!)。
他の収録曲でも骨太なサウンドは揺るぎなく、聴く者を圧倒するようなレノックスのヴォーカルをはじめ、スチュワートのギターも泥臭くハードに迫っている。バックを務めるミュージシャンは、クラプトン・バンドでお馴染みのネイサン・イースト、ハートブレイカーズ(トム・ペティのバッキングメンバー)など豪華で、シンセポップというよりはバンド演奏が中心だ。ゲストには前述のスティービー・ワンダーの他、エルビス・コステロとアレサ・フランクリン(!)が参加、これもシンセポップのグループとは思えない布陣である。
本作は、オーストラリアのチャートでは1位となり、アメリカで9位、イギリスで3位となるなど、各国で好成績を収めている。このアルバムのヒットを受け、次作『リベンジ』(‘86)は1500万枚以上のセールスを挙げるものの、本作のような優れた作品はリリースできず、1990年に解散することになる。その後はお互いがソロ活動をスタートさせ、99年には再結成もするがこれといった作品を作れないまま、活動停止となった。
ロック、ソウル、テクノ、クラシックを違和感なく組み合わせ、80年代の軽いシンセポップ時代に肉声の力強さを再認識させてくれた本作『ビー・ユアセルフ・トゥナイト』は、シンセポップ以降のロックが進む道を示唆した名作だと言えるだろう。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

新着