真のパンクのパイオニア、リチャード
・ヘルと彼のバンド、ザ・ヴォイドイ
ズのデビューアルバム『ブランク・ジ
ェネレーション』

ラモーンズやジョニー・サンダースとともにニューヨーク・パンクを代表するバンド、リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズ。この『ブランク・ジェネレーション』はパンクシーンの黎明期からカリスマ性を放ちながらデビューがやや遅れたリチャード・ヘルがついにリリースしたデビューアルバムだ。

SIONや斉藤和義の作品に参加経験もあるギタリスト、ロバート・クワイン(04年没)を擁するバンドという紹介も今ならできるかもしれない。リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズ。この『ブランク・ジェネレーション』と『デスティニー・ストリート』という2枚のアルバムを残して、ヘルが音楽活動よりも俳優業および文筆業に力を入れるようになってしまったせいか(ヘルはもともと詩人志望だったそうだ)、 ラモーンズやジョニー・サンダースに比べたら知名度は負けるかもしれない。しかし、ニューヨーク・パンク、いや、ニューヨークと限定する必要はあるまい。パンクを語る上では絶対欠かせないバンドである。
高校時代の友人、トム・ヴァーラインと結成したネオン・ボーイズ~テレヴィジョン、そしてニューヨーク・ドールズを脱退したジョニー・サンダースとジェリー・ノーランと新たに始めたザ・ハートブレイカーズというロック史に名を残すことになるバンドを経て、ヘルがついに自ら主導権を握るバンド、ザ・ヴォイドイズ結成したのは、76年の9月のことだった。ニューヨーク・ドールズのマネージャーだったマルコム・マクラーレンはロンドンで新たに売り出そうとしていたバンド=その後のセックス・ピストルズにヘルを誘ったというから、その頃からヘルは強烈な個性と魅力を持っていたのだろう。しかし、断られてしまったため、マクラーレンは当時のヘルのファッション――逆立てた髪、破れたシャツ、シャツに刺した安全ピンだけをロンドンに持っていき、自分のバンドに真似させた。それがパンク・ファッションとして、その後、広まったことは有名な話だ。その他、マクラーレンとピストルズがパンクのイメージを作り上げる際、ヘルによるオリジナルと言えることをかなりヒントにしていると言われているが、もちろん、それだけがパンクを語る上で、ヘルが絶対外せないアーティストと謳われる理由ではない。一番の理由はやはり強烈な虚無を打ち出した『ブランク・ジェネレーション』の唯一無二性だ。
C.C.R.、フランク・シナトラ、キンクス、ボブ・ディラン、トロッグス。これらはヘルがヴォイドイズとともに2枚のアルバムでカバーしたバンド/アーティストだが、デビューアルバムであるこの『ブランク・ジェネレーション』の時点で、すでに彼らからの影響を脱け出して、ヴォイドイズにしか奏でられないサウンドを奏でていることに驚かされる。ちなみにニューヨークパンクのテーマソングだった「ブランク・ジェネレーション」やアルバムのオープニングを飾る「ラヴ・カムズ・イン・スパーツ」はテレヴィジョン、およびハートブレイカーズ時代からのヘルのレパートリーだが、ヴォイドイズのヴァージョンは、テレヴィジョンともハートブレイカーズとも違うものになっている。
その「ラヴ・カムズ・イン・スパーツ」のテープの逆回転を思わせるフレーズをはじめ、クワインのエキセントリックなギタープレイにギクシャクと絡むアイヴァン・ジュリアンのギター。マーク・ベルが叩き出すつんのめっているようなリズム。そして、喉をしめつけるように歌うヘルのうわずった歌声。それらが今にもバラバラになりそうでならずに、かろうじて形になっているアンサンブルをとらえたこのアルバムは、ある意味、奇跡の一枚と言ってもいいかもしれない。
真のパンクロックを聴きとるセンスを持っているか持っていないか。それによって、このアルバムの聴こえ方は全然、違うものになると思うが、ひょっとしたらそんなところも彼らの知名度に影響を与えているのかもしれない。誤解を招く言い方かもしれないけれど、ヴォイドイズはロックンロールではあるけれど、同じロックンロールを演奏していたラモーンズ、ハートブレイカーズ、セックス・ピストルズほど分かりやすくはない。その意味では、90年代にソニック・ユースのメンバーたちがほとんど引退状態だったヘルを担ぎ出して、ディム・スターズ名義でアルバムを作ったことが証明しているんだから、オルタナティヴロックに早々と先鞭を付けた作品と受け止めたほうが『ブランク・ジェネレーション』は楽しめるのかもしれない。いや、そんな言い訳がましい後付けを加える必要は、これっぽっちもないのだ。なぜなら、このアルバムの持つ衝撃は今も全然消えていないのだから!
最後に、メンバーのその後についても記しておきたい。ヴォイドイズ解散後、ロバート・クワインはセッション・ギタリストとして活躍。80年代のルー・リードを支えたことはあまりにも有名だ。日本人にはマシュー・スウィート・バンドのギタリストとして知られるアイヴァン・ジュリアンは自らのバンドを結成するほか、プロデューサー/エンジニアとしてもさまざまな作品に関わっている。そして、マーク・ベルは『ブランク・ジェネレーション』一枚でバンドを離れ、ラモーンズに加入。マーキー・ラモーンになった。

著者:山口智男

OKMusic編集部

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