80年代HM/HRの決定盤、ホワイトスネ
イクの『白蛇の紋章~サーペンス・ア
ルバス』

 4月にリリースされたセルフカヴァーアルバム『ザ・パープル・アルバム 』が洋楽シーンで異例のヒットを記録し、改めて存在感を示したハードロックバンド、ホワイトスネイク。本稿では、その代表作である『Whitesnake(邦題:白蛇の紋章~サーペンス・アルバス)』を取り上げる。

 1976年のディープ・パープル解散を機に、デイヴィッド・カヴァデールは、ソロアーティストとしての活動をスタート。ソロアルバム第一弾のタイトルにちなみ、自身を中心としたグループ、ホワイトスネイクを結成し、1978年にアルバム『トラブル』でデビューする。ブルーズをベースにしたハードロックは、本国イギリスをはじめ、ヨーロッパや日本でも人気を博したものの、アメリカだけは事情が違った。1980年のアルバム『レディ・アンド・ウィリング』では全米チャートのトップ100圏内に入ったが、本国イギリスにおけるほどの成功とは比較にならないほどのものだった。
 ヴォーカリストがリーダーのバンドに多いパターンとして、ギタリストを変えることで音楽的方向性を計ることがある。ホワイトスネイクもそのひとつと言えるだろう。1984年の6作目アルバム『スライド・イット・イン』を最後に、初期ホワイトスネイクのサウンドを支えてきたミッキー・ムーディ(Gu)をクビにしたデイヴィッドが、後任として抜擢したのは元シン・リジィのジョン・サイクス。ジョンのメタリックかつフラッシーなリードギターを被せた『スライド・イット・イン』のUSリミックス盤は、バンドとして最高位の全米42位をマークする。デイヴィッドは確信したに違いない。「こいつと手を組めば、アメリカを狙える」と。そして、続くアルバムで、それまで実践してきた70年代テイストのブルーズロックから、80年代の洗練されたハードロックへと大きく舵を切ることを決意。そうして完成したのが『白蛇の紋章~サーペンス・アルバス』だ。原題の“Whitesnake”からは、“この音こそがホワイトスネイクなんだ”という自信に満ち溢れた表情が垣間見える。
 デイヴィッドの目論見は的中した。ビルボード全米アルバムチャートで最高2位まで登り詰め、2005年までに1000万枚のセールスを記録。まさに全米制覇と言える成功だ。米MTVでオンエアされた「スティル・オブ・ザ・ナイト」のファースト・インパクトは絶大だった。レッド・ツェッペリンを彷彿させるグルーブで捲し立てつつも、骨太さを備えたハードロックは、それまでの渋めのホワイトスネイクのイメージを一掃。クワイエット・ライオット、ディオ、オジー・オズボーンといったハードロック界きっての大物バンドを渡り歩いてきた実力派ミュージシャンが一堂に会す光景は、さしずめオールスターバンドといった様相。黒髪だったデヴィッド・カヴァデールはいつしか金髪になり垢抜け、それまでのファンはその変貌ぶりに驚いたものだ。
 アルバムからの最大のヒットシングルとなった「ヒア・アイ・ゴー・アゲイン」のMVも強烈な印象を残した。デイヴィッドが自らのガールフレンドとイチャつく姿をまざまざと見せつけられるMVが、ホワイトスネイクが後に“ヘア・メタル”(アメリカにおける80年代のグラム系HM/HRバンドの総称。日本における“LAメタル”に近いニュアンス)に分類される一因になったことは疑いようもないが…。
 「ヘヴィメタル・ブームに便乗した」「アメリカンマーケットにすり寄った」という初期からのファンによる揶揄は、完全に的外れとは言えないだろう。それほど清々しいほどの変貌ぶりだった。しかし、本作の肝は楽曲の完成度の高さだ。洗練されたアレンジ、万人受けするメロディー、ドラマティックな構成…トップバンドの楽曲に必要な要素が全て詰め込まれているのだ。ひとつ釈然としないのは、アルバムにおける最大の貢献者であるはずのジョン・サイクスが、リリース時にはすでにバンドを離れていたこと。MVに登場するラインナップも魅力的だが、一度レコーディング時のメンバーでこのアルバムの楽曲を演奏する姿を見てみたかったものだ。ジョンはこのアルバムが空前のヒットを記録する様子を、どのような思いで見ていたのだろうか。

著者:金澤隆志

OKMusic編集部

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