ヒーリング、テクノ、アンビエントな
どに直接的な影響を与えたマイク・オ
ールドフィールドの傑作『チューブラ
ー・ベルズ』

本作がリリースされたのは1973年5月、マイク・オールドフィールドが20歳の時。8カ月間スタジオにこもり、ギター、ベース、キーボードなど20種類以上の楽器を操って多重録音で作り上げられたのは、約50分に及ぶ1曲であった。このアルバムはプログレファンでレコード店を経営していたリチャード・ブランソンが設立したばかりの「ヴァージン・レコード」の最初のレコードとしてリリースされることになった。結局、1年以上の時間をかけてチャートを上昇し、74年の10月に全英1位を獲得、アメリカでも3位を記録している。今回は後進のロックやニューエイジ音楽に大きな影響を与えた『チューブラー・ベルズ(原題:Tubular Bells)』を紹介する。

ヴァージン・レコードの原点

その昔、日本でも展開していた大型CDショップの「ヴァージン・メガストア」を覚えているだろうか。現在は全て閉店しているが、当時はタワーレコード、HMVなどと並んで、大きな街ではよく知られていたレコードショップである。その原点が1972年に設立されたヴァージン・レコードだ。当時20歳そこそこで、プログレ好きの英国人、リチャード・ブランソンが始めた小さなレコードショップが始まりとなった。本場イギリスをはじめ、ヨーロッパものを集めたプログレ専門店としてスタートすると大当たりし、店舗数を増やしながらスタジオ経営もスタートさせる。

当時のプログレ人気

70年代初頭のプログレ人気はすごかった。キング・クリムゾンをはじめ、ピンク・フロイド、エマーソン・レイク&パーマー、ジェネシス、イエスなど、本場イギリス出身のグループは日本でも大人気で、国内ヒットチャートの上位に入ることも少なくなく、今では考えられないほどの盛況であった。ヨーロッパではクラシック音楽が基本部分でもあるので、ドイツ、オランダ、フランス、イタリアなどのグループも多数現れるなど、日本盤でのリリースも相次いだ時期だ。ただ、ロックの本場で、ブルースやカントリーをそのルーツに持つアメリカには、プログレファンはいたものの、プロのミュージシャンは至っては少なかった。これは音楽だけに限ったことではないが、創作にとって風土や地域性がいかに重要かが分かる明快なエピソードだろう。

マイク・オールドフィールドの音楽の背

オールドフィールドは幼い頃からクラシック音楽を学び、10代半ばになると姉のサリー・オールドフィールドと一緒にブリティッシュフォークのグループを結成する。「トランスアトランティック」というイギリスを代表するインディーズレーベルからアルバムをリリースしているぐらいなので、かなり早熟な子供であった。というか、そもそもこのレーベルは、ペンタングル、ラルフ・マクテル、ジョン・レンボーン、バート・ヤンシュなど、イギリスの至宝とも言うべきミュージシャンたちが在籍していたこともあり、トランスアトランティックからアルバムを出すこと自体がすごいことなので、10代半ばにしてオールドフィールドはミュージシャンとして認められていたことになる。
その後、ソフトマシーンのオリジナルメンバー、ケヴィン・エアーズのバックメンとして活動し、この時の経験が彼にとって大きな収穫となる。ここまでの彼の経歴をみても、クラシック、ブリティッシュフォーク、ジャズ、ロック、プログレなど、多くの音楽遍歴が見てとれるし、すでに数多くの楽器が演奏できるマルチ奏者になっていたことも分かるのだ。

リチャード・ブランソンとの出会い

オールドフィールドは自分の音楽を追究するためにエアーズのグループを抜け、その後はスタジオミュージシャンとして活動しながら、それまでに培った音楽的素養をもとにソングライティングを始めている。彼は時間があればブランソンの経営するレコード店に行き、新しいプログレのレコードを入手していたのだが、ブランソンは彼の才能を早くから見抜いており、新しくスタートさせた貸しスタジオでエンジニアの仕事を与え、スタジオの空き時間には自由に機材を使わせるなど、彼の創作活動を陰で支えたのである。
結局、彼は8カ月間そのスタジオにこもり、ソングライティングをしながら合計28種類の楽器を使って多重録音、出来上がった作品(最終的にリリースされた作品は、何名かのミュージシャンが参加している)をブランソンに聴かせた。当時はデジタル録音ではないので、録音作業は困難を極めたと思われる。アナログの機器を使い、何百回何千回と音を重ねていったのだろう。出来上がった作品を聴いて、ブランソンはその内容の濃さに驚き、それを世に出すためにレコード会社を設立することに決めた。それが後にプログレやパンクの秀作をリリースすることで知られるヴァージン・レコードである。
73年5月、マイク・オールドフィールドが満を持して作り上げた『チューブラー・ベルズ』がヴァージン・レコードの第1号アルバムとしてリリースされた。彼がまだ20歳の時である。このアルバムの成功によってヴァージン・レコードは、ロバート・ワイアット、タンジェリン・ドリーム、ゴングなど、単なるプログレではなく、創造性にあふれた前衛的ロック作品を次々にリリースし、ロック界でも一目置かれる存在となる。そして77年には、セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ !!(原題:Never Mind The Bollocks)』を出し、ブランソンとヴァージン・レコードは世界的な成功を収めることになるのである。

本作『チューブラー・ベルズ』について

『チューブラー・ベルズ』はリリースから1年以上が経過した1974年10月、イギリスのチャートで1位を獲得、プログレに疎いアメリカでも3位になるなど、新人アーティストとは思えない躍進であった。しかし、このアルバムは、AB面を通して1曲(50分弱)しか収録されていない上、歌のないインストゥルメンタル(一部、語りとしてのヴォイスは入っている)作品である。
いかに芸術的な仕上がりであっても、ロックとしての商業的な成功を収めるには、ある程度のポップさや分かりやすさが必要となる。おそらくブランソンがいなければ、このアルバムは世に出なかったはずだ。大手レコード会社にとって、1)新人、2)1曲しか収録されていない、3)インストゥルメンタル作品…とまぁ、絶対に契約するはずのないアルバムなのである。では、プログレの専門家であるブランソンが太鼓判を押したら売れるのか。そうではない。前述したように、世間に認知されるためには、最低限のポップさと分かりやすさが必要不可欠だからである。
では、この作品はなぜ売れたのだろうか…。
それは映画のおかげである。ご存知の人も多いと思うが、アメリカのオカルト映画『エクソシスト』(‘73)に本作のイントロのメロディーが使われた(ただし版権の問題からか、演奏しているのは彼ではない)のだ。この映画は全世界で大ヒット、73年の興行収入1位となる。その結果、オールドフィールドの名は世界中に知られ、本作に興味を持つファンが一挙に増えたのだ。1年以上かけて、本作がチャートの1位にまで昇りつめたのは、ラッキーなことにこの映画の成功が大きく関係しているのだ。
しかし、それだけの理由でこれだけの大ヒットになったわけではない。グラミー賞でも最優秀インストゥルメンタル作品賞を受賞するなど、純粋に優れたアルバムであったことが大きい。もちろん、優れた内容であっても難解な音楽であれば一般の音楽ファンの耳には届かなかっただろうが、映画がヒットすることで、本作の一部のメロディーが多くの人によく知られるようになり、作品に入りこみやすくなったのである。そういう意味で『エクソシスト』のヒットが、オールドフィールドやブランソンにとって予想もしなかった大きな追い風になったことは間違いない。
オールドフィールドが奏でるサウンドは音楽でありながら、自然の息吹を感じさせるような、リスナーの想像力によってどんなふうにも解釈できる創造性にあふれていた。それまでのポップスの常識とはまったく違った音楽であったと思う。この作品のあと、アンビエントやヒーリングといった新たな音楽ジャンルが生まれたが、明らかに本作がその概念を作ったのである。
本作は“プログレの代表作のひとつ”とか“プログレの歴史的名盤”と呼ばれることがあるが、僕はプログレというよりはクラシックや現代音楽に近いのではないかと考えている。プログレっぽい部分ももちろんあるが、ドラマチックというよりは、風のそよぎや水面の動きといったような穏やかな静寂を感じるからである。ロックにありがちな強い自己主張も見られない。僕にはクリムズンやイエスより、サティやドビュッシーの音楽に似ている気がするのだ。もっと言えば、ロックであろうが現代音楽であろうがカテゴライズはどうでもよくて、本作『チューブラー・ベルズ』が素晴らしいアルバムであるという事実こそが重要なのである。未聴の人はぜひ聴いてみてください。そうそう、トレヴァー・キーのデザインによる、マグリットふうのアルバムジャケットも最高!

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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