アメリカ西海岸から南部サウンドを発
信し続けたCCRの代表作、全米No. 1に
輝いた『コスモズ・ファクトリー』

彼らの大ヒット「雨を見たかい」(6thアルバム『ペンデュラム』に収録)は、アメリカ人でなくとも、世代を問わず耳にしたことがあると思う。1970年にリリースされてから現在まで、彼らの曲の中ではもっとも愛されてきた曲のひとつだ。日本では、すでに忘れられてしまった感が否めないが、クリーデンスには多くのヒット曲はもちろん、優れたアルバムが少なくない。特にシングルヒット6曲(当時は珍しい、両面がA面扱いであった)を含む彼らの5th アルバムとなる本作は、全米1位を獲得、のちのパンクロッカーたちにも大きな影響を与えた傑作である。

60年代後半におけるアメリカ西部のロッ

言うまでもなく、アメリカは広い。それだけに、場所が変われば言葉のイントネーションや音楽もかなり違ったものになる。日本でも沖縄発祥の琉球音楽、青森の津軽三味線、南大阪の河内音頭など、地域によって独特の音楽や文化がある。日本程度の大きさでも言葉が通じなかったりするのだから、広い北アメリカでは尚更で、大きい境界線を引くだけでは意味をなさないが、便宜上ここでは、西部と南部という区切りで音楽について説明する。
アメリカ西海岸(カリフォルニアのサンフランシスコやロスアンジェルスを指す)は文字通り西部で、60年代後半からヒッピーが登場し、“ラブ&ピース”を合言葉に、ベトナム戦争反対を唱えコミューン(1)を作っていた。また、マリファナやLSDを使用しながらコンサートにも参加、その頃はグレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、イッツ・ア・ビューティフルデイ、モビー・グレープらに代表されるサイケデリックロック(2)に人気が集まっていた。サイケデリックロックは、サウンド的にはゆったりしたリズムで、1曲あたりの時間が長いといった特徴を持つ。これは音楽の特徴というよりは、当時流行していたLSDやマリファナでトリップするための、補助的役割とみなすほうが妥当かもしれない。スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』(‘68)をご覧になった方はご存知だと思うが、後半部分に色彩が飛び回るサイケなシーンが延々と続くのだが、その部分もトリップ用だと言われている。この映画、僕は高校生になって初めて観たのだが、このシーンは当時意味不明で、頭が痛くなったことはしっかり覚えている。

60年代後半におけるアメリカ南部のロッ

60年代後半の南部(ジョージア、フロリダ、ルイジアナ、テネシーなど)には、ほぼヒッピーはいなかったと言っても過言ではないだろう。保守的なこの地域では、ブルースやカントリーの根強いファンがおり、若者が長髪にジーンズといった格好をしているだけで嫌な顔をする大人が少なくなかった時代である。69年に公開されたデニス・ホッパー監督の映画『イージー・ライダー』では、カリフォルニア(西部)からルイジアナ(南部)まで、バイクで旅をするヒッピーが描かれているが、開放的な西部と保守的な南部の生きざまの、あまりにも大きな違いをため息まじりに描いた作品である。このあたりを押さえておかないと、この映画を観ても少しも理解できないまま終わってしまうかもしれない。
当時、南部のロックで注目を集めていたのは、オールマン・ブラザーズ・バンドや、トニー・ジョー・ホワイト、チャーリー・ダニエルズらであった。中でももっとも強力なオールマン・ブラザーズのサウンドは、ブルースやカントリーを混ぜ込んだハードなロックで、のちにデレク・アンド・ザ・ドミノスでクラプトンと共演することになるデュエイン・オールマンが在籍、サザンロック(3)というジャンルを生むほど独創的なサウンドを持っていた。余談だがオールマンの『ライヴ・アット・フィルモア・イースト』(‘71)はロック史の中で1、2を争うライヴ盤の名作だ。

西部と南部の違いとは…

強引にまとめると、西部ではゆったりした開放的なポップさが好まれ、南部では泥臭いルーツ指向のマニアックな音楽が盛んであったと言える。実はこの感覚、西部と南部の音楽性の違いとして今でも通用するほどだ。面白いのは、そういった指向の違いによって、ロックグループの多くが西部(西海岸)に向かったり、南部に向かったりしながら、自分たちの音楽を構築していったこと。日本のように「売れるためには東京に行くしかない」という狭い了見でないところが大陸的というか不器用というか、僕としては好ましいと思う。

西海岸で南部サウンドを目指したCCR

クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルは、リード・ヴォーカル&ギターのジョン・フォガティを中心に、カリフォルニアで結成された4人組。デビュー盤のリリースは1968年。先ほどの方程式に当てはめると、西海岸出身で68年にデビューなので、彼らもLSDでトリップしながらのサイケデリックロックのはずである…。ところが、彼らのサウンドはなぜか南部っぽさを感じさせるアーシーなロックであった。デビュー盤の『クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル』から最後の『ライヴ・イン・ヨーロッパ』まで、どのアルバムも50年代のロックンロールやR&B、カントリーなどのテイストに満ちている。時にはその時代の大ヒット曲をカバーするなど、彼らが影響されたミュージシャンが手に取るように分かる、ある意味では懐古趣味的なサウンドで勝負していたところもあった。
しかし、彼らが単なる懐古趣味のグループで終わらなかったのは、ジョン・フォガティの卓越したヴォーカルと、それに加えて彼のソングライティングのセンスが際立っていたからである。一見、懐かしのメロディーを演奏するように見えて、その実、もっとも“新しいかたちのロック”(同時代に登場した多くのサイケデリックロックのグループよりも)を提示していたのだ。
彼らがデビューしてしばらくあとに、レオン・ラッセル、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド、デラニー・アンド・ボニーらに代表される、スワンプ・ロック(南部テイストのロック)のミュージシャンたちが相次いで人気を獲得していくが、その先鋒的な役割を果たしたのがCCRなのである。イギリスでも、エリック・クラプトンやローリング・ストーンズ、ロッド・スチュアートらがスワンプロックのアルバムをリリースしているぐらいだから、CCRが果たした役割は相当大きいものであったと言えよう。

『コスモズ・ファクトリー』の収録曲

僕が中学生の頃、ロックファンなら誰もが最低でもCCRのシングル盤を1枚は持っていた。それだけでも、日本での彼らの人気ぶりが分かると思うが、時代に媚びなかった分、何年経ってもサウンドが古くならないところが彼らの大きな魅力である。
本作から大ヒットしたのは「Travelin' Band」(最高5位)「Up Around The Bend」(最高2位)「Lookin' Out My Back Door」(最高1位)で、カップリングの「Who'll Stop The Rain」「Run Through The Jungle」「Long As I Can See The Light」もヒット。アルバム収録曲は全11曲で、うちカバーが3曲(「Before You Accuse Me」「My Baby Left Me」「I Heard It Through The Grapevine」)なので、オリジナルの8曲中、6曲がヒットしたことになる。
こう書くと、シングル曲の寄せ集めみたいなアルバムのように思われるかもしれないが、そうではない。アルバムとしての出来栄えは極めて良く、それが証拠に本作は全米1位(彼らにとって2回目)を獲得しているのだ。それにしても、どの楽曲もレベルが高く、僕は個人的には1曲目の7分以上に及ぶ「Ramble Tamble」が好きだ。ロカビリー(4)やロックンロールをベースにしつつも、ちゃんと70年代ロックを構築しているところが、他の同時代のグループには見られない特徴(唯一、ザ・バンドとは類似性がある)で、そこが彼らの魅力なのである。
このあと、6thアルバム『ペンデュラム』をリリースするも、多忙の中でバンド内の人間関係が上手くいかず、ジョンの兄でギタリストのトム・フォガティが脱退。そしてトリオとなって最後のアルバムである『マルディグラ』をリリースした後に解散、2度と全米1位を獲得することはできなかった。彼らのCCRとしての活動は3年半程度の短いものであったが、ロック史上に残る名グループであったことは間違いない。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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