アメリカ庶民の苦悩を
淡々と歌う
ジョン・プラインのデビュー作
『ジョン・プライン』

『John Prine』(’72)/John Prine

『John Prine』(’72)/John Prine

4月7日、ジョン・プラインが新型コロナウイルス感染症で死んだ。なぜか、すごく悲しかった。彼が亡くなって、こんなに悲しくなるなんて想像もしていなかったので不思議だったのだが、自分にとって彼の存在が“いて当たり前”だったのだということに気づいた。そういう意味では、ジョン・プラインは志村けんの存在とよく似ている。志村の死は未だに多くの人の心に穴をあけてしまっているが、その死がこんなにショックに感じると想像できただろうか。それだけ、志村の真摯な芸が日本人の心の中に入り込んでいたのである。まさしく、その卓越した芸を通して、志村という人間を無意識のうちにリスペクトしていたのだろう。ジョン・プラインは日本ではほとんど知られていないが、僕の大好きなシンガーソングライターだ。今回取り上げるのは、彼のデビューアルバムとなる『ジョン・プライン』で、本作と出会ってから45年ほど経つが未だに愛聴し続けている。

フォークリバイバルとボブ・ディラン

フォークリバイバルのムーブメントでは、60年代に多くのフォークシンガーがアメリカ東部を中心に登場した。ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、フィル・オクス、フレッド・ニール、トム・パクストン、リチャード・ファリーニャ、ボブ・ギブソン、パトリック・スカイなど枚挙にいとまがないが、中でもボブ・ディランの影響力はずば抜けていて、世界中で彼のフォロワーが存在した。

当時、ロックンロールやブルース好きはやんちゃな人間が多く、フォークソング好きは概ね裕福な家庭育ちであった。だから、当時の大人たち(日本でも同じだった)はロックンロール(=エレキギター)を不良の音楽だと決めつけ、認めたがらなかった。60年代中頃、ディランはビートルズをはじめとするブリティッシュのビートグループに影響され、フォークからロックへと転向する。ディランの転向は、当初高学歴の富裕層からは反発を受けるが、彼の文学的な歌詞やフォークロック(ロックンロールのようにうるさくない)サウンドはほどなく受け入れられていくことになる。

ディランのロックへの転向は、グリニッチビレッジやボストン界隈で活動する多くのフォークリバイバリストにも大きな影響を与え、フォークシンガーたちはブルースロックに進む者、ブルーグラス、カントリーロック、ポップロックへと転身する者などが現れて、呼び名もシンガーソングライターへと変わっていく。

政治的なスタンス

フォークリバイバル初期の重要なアーティストであるピート・シーガーやボブ・ディランは、当初プロテストソングと呼ばれる政治的な内容を歌っていたことでも知られるが、60年代のアメリカでは赤狩り、ドラッグ、ベトナム戦争、公民権運動、ウーマンリブなどに代表される社会的な問題が山積しており、歌を通してそれらの問題に鋭く切り込むことが多かった。

そもそもフォークソングのルーツは、貧困や差別、組合活動などについての歌を、全米を放浪しながら歌い続けたウディ・ガスリーにある。その反骨精神をシーガーやディランは生前のガスリーから受け継いでおり、政治的であるのは当然なのである。ただ、前述したように東部で活躍したフォークシンガーの一部は裕福な家庭の育ちであり、そういった歌手にとっては歌の内容が政治的なものからラブソングなどの個人的性質を持つ歌へと変わっていく。やがて、これらの多種多様な歌がアメリカンロックに進化していくのだ。アメリカンロックとは、突きつめればロックンロール(カントリー+ブルース、R&Bのミクスチャー)とフォークソング(進化系としてフォークロック、カントリーロックを含む)のフュージョンなのである。

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

新着