ジェファーソン・エアプレインの
『フィルモアのジェファーソン・
エアプレイン』は
ライヴアクトとしての実力を
世界に知らしめた傑作!

マトリックスの登場

ジェファーソンのリーダー、マーティ・ベイリンはフィルモアの成功を見て、自分たちのホームとなるライヴハウスを作ろうと奔走する。ベイリンと友人3人の投資によって65年にできたのがマトリックスである。ジェファーソンがマトリックスのハウスバンドとして出演すると、新聞等で彼らのことが取り上げられるなど大きな評価を得る。マトリックスには他にもグレース・スリック&グレート・ソサエティ、サンタナ、ビッグブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーなどシスコの人気ロックグループや、ジョン・リー・フッカー、ハウリン・ウルフ、オーティス・ラッシュらのような本物のブルースマンも出演するなど、マトリックスはフィルモア・ウエストと並んで、サンフランシスコの音楽シーンにおいて大きな役割を果たしたと言える。

ジェファーソン・エアプレインの
デビュー

ほどなく、ジェファーソン・エアプレインはRCAレコードと契約が決まり66年にデビューアルバム『テイクス・オフ』をリリースする。彼らはサンフランシスコ以外でライヴを行なったことがなく、メディアに取り上げられることもなかったため、レコード会社もそんなに売れるとは思っていなかったが、蓋を開けてみると好セールスを記録する。しかし、このアルバムはフォークロックの要素やバーズやビートルズの影響が強く、彼ら独自のサウンドはまだ確立されてはいなかった。

この後、女性リードヴォーカルのシグネ・トリー・アンダーソンとドラムのスキップ・スペンスが脱退(モビー・グレープを結成する)。その代わりにヘイト・アシュベリーで圧倒的な人気を誇っていたグレート・ソサエティのグレース・スリックが参加することになり、グループは大きな注目を浴びることになる。当時、頭角を現し始めたジャニス・ジョプリンでも、グレースのカリスマ性にはかなわないと言われていたほどのスターである。なんと言っても彼女は容姿が美しく、日本でも当時ママス&パパスのミッシェル・フィリップスと人気を二分していた記憶がある。ドラムはスペンサー・ドライデンが加わり(のちにニュー・ライダース・オブ・ザ・パープル・セイジに加入)、グループはこの時点で最強の布陣となった。

大きな評価を得た
『シュールリアリスティック・ピロウ』

リードヴォーカルとコーラスは、マーティ・ベイリン、グレース・スリック、ポール・カントナーの3人が担当、ある時はユニゾンで、ある時はハモるという彼ら独特のヴォーカルアレンジはユニークで、こういうスタイルは今でも他にはいない。巧みなリードギターとヴォーカルにはヨーマ・コーコネン、ベースにジャック・キャサディ、ドラムにスペンサー・ドライデンというメンバーで、これまでにも増してライヴ演奏の評価は高まっていく。

このメンバーで2ndアルバム『シュールリアリスティック・ピロウ』(‘67)をリリースすると、全米チャート3位という驚異的な成功を収める。シングルカットした「あなただけを(原題:Somebody To Love)」は5位、「ホワイト・ラビット」は8位になった。この2曲はスリックのグレート・ソサエティの頃からの持ち歌で、サンフランシスコのヒッピーたちの間ではすでによく知られていたのである。創刊されたばかりのロック専門誌『ローリング・ストーン』でもこのアルバムは大いに評価され、ジェファーソン・エアプレインの名は世界レベルで広まっていく。ヒットした2曲はサイケデリックロック(ガレージパンクというほうが的確か)の香りはあるものの、アルバム全体を通すとフォークロック的な要素が強く、ライヴ演奏時の激しさがあまり感じられなかったため、ライヴ盤を待ち望むファンは多かった。

OKMusic編集部

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