「ワンダフル・トゥナイト」
「レイ・ダウン・サリー」を収録した
エリック・クラプトンの
『スローハンド』
デラニー&ボニーとザ・バンドの影響
その後、スティーブ・ウインウッドやリック・グレッチらと結成したブラインド・フェイス時代には早くもザ・バンドに影響された「プレゼンス・オブ・ザ・ロード」をクラプトンは書いているのだが、このグループも残念ながら長続きしなかった。
ブラインド・フェイスのアメリカツアー中に参加したデラニー&ボニーのグループで本場アメリカのルーツロックに触れ、彼はその後スワンプロックへとシフトしていく。その成果はデラニー&ボニーの『オン・ツアー』(’70)と、その延長線上にある初のソロアルバム『エリック・クラプトン』(’70)、そして、デレク&ザ・ドミノズの『いとしのレイラ(原題:LAYLA and other assorted love songs)』(’70)で明らかにされるが、グループのメンバーはアメリカのロック界で多くのセッションに駆り出される名プレーヤーばかりであっただけに、クラプトン自身、グループが長続きするとは考えてはいなかったはずである。事実、グループはすぐに分裂してしまう。しかし、多くの優れたアメリカのアーティストたちとの交流は、クラプトンの次なるステップへの足がかりとなった。
ヘロイン中毒と再起
彼が再起したのは74年の傑作『461オーシャン・ブールヴァード』である。このアルバムに収録された「アイ・ショット・ザ・シェリフ」は大ヒットし、そのレゲエタッチのリズムは彼の新境地とも言えるものであった。また、このアルバムでは、ジョージ・テリー(Gu)、ディック・シムズ(Key)、ジェイミー・オールデイカー(Dr)、イヴォンヌ・エリマン(Vo)ら、以降のクラプトン・バンドの布陣が揃い、クラプトンがグループのリーダーとして采配を振るえるようになったことは、これまで自己主張の強かったメンバーとばかり組んできたのとは対照的に、心身の安らぎが“レイドバック”的なサウンドを生み出したのではないかと思う。