INTERVIEW / 門口夢大(MMNC)稀有な
生い立ちと、そこで形成されたアイデ
ンティティ。Monthly Mu & New Cale
doniaフロントマンが語る、これから
のスタイル 稀有な生い立ちと、そこ
で形成されたアイデンティティ。Mon
thly Mu & New Caledoniaフロントマ
ンが語る、これからのスタイル

Monthly Mu & New Caledoniaが、3ヶ月連続で新曲をリリースする。第1弾は先月発表された「愛されたいよ」、次が「涙」、そして7月の「Rollin’」である。本文でぽろっと触れられているように、バンドは初のアルバム制作に向けて動き出しており、3つの新曲はそこへ向けた序章である。今回はギアを上げていく彼らのモードを探るべく、門口夢大のソロ・インタビューと、メンバー全員での2本立て取材を行った。
前編は門口の人生を辿るパーソナル・インタビューである。幼少の頃に抱えていたコンプレックスから、逃げるように発った中国での留学期間、そして「出会いに恵まれた」という高校時代……さらには大学進学、就職とステップを踏む中で、彼はどんな音楽に揺さぶられてバンド活動をしているのか。そのアイデンティティ形成に関わった、重要なトピックをざっくばらんに語ってもらった。
Interview & Text by Ryutaro Kuroda(https://twitter.com/KURODARyutaro)
Photo by fukumaru(https://www.instagram.com/fkdmnm_08/)
Hair & Make-up:Komomo Satou
幼少期に感じた生きづらさ
――小さい頃の記憶で強く覚えているものはありますか。
門口:2歳から7歳までタイにいたんですけど、幼稚園では日本人が多い学校に通っていて、デカい運動場で遊んでいました。あと、家がめちゃくちゃ豪華でプールがあったんですよ。ゲリラ豪雨が多かったので、よくプールが氾濫してロビーが水浸しになっていたのを覚えています(笑)。
――小学校のときは日本に?
門口:そうですね。愛知県の安城市という田舎で育ったんですけど、その頃は結構キツいなって思うことが多くて。なんでかと言うと、田舎だと価値観が一緒になるというか。何をするにも友達と遊ばないといけない空気感があって。みんなと遊ばないとハブられるし、それはめちゃくちゃ苦痛でしたね。
――その空気に馴染めないと辛いですね。
門口:しかも毎日遊ばないといけない、みたいな。放課後に公園に行かないと呼ばれなくなるし、次に学校行ったときにも、「なんで来なかったんだよ」って言われるから。で、大人になると地元で有力な自動車メーカーに就職して、いくつまでに結婚して、子供を産んで……とか、そういうのが小さいときからあって。キツかったですね。
――中学に上がってからも、そうした風潮は変わらずでした?
門口:いや、それが嫌で中学に上がると同時に、ひとりで中国に行ったんです。
――その歳でひとりっていうのはすごいですね。
門口:父親が上海に住んでいたので、それで中国という発想が出てきたんだと思うんですけど。当時の自分にとってはそれしか生きる方法がなくて、そういうところに逃げるしかなかったんだと思います。
――向こうでの生活はどうでした?
門口:同級生は全員エリート層の子供みたいな感じで。親が金持ちだと大抵勉強をさせられるじゃないですか。ただ、結果的に僕は勉強も全然ついていけなくて。やっぱりどこに行っても変わんないんだなぁって思いました。その頃は音楽を聴いたり、お笑いを見ることが自分にとっての救いでしたね。
――中国の風景で印象に残っていることはありますか。
門口:学校では勉強していい高校に入る、みたいな雰囲気をすごく感じていたんですけど、一方で外に出たらめちゃめちゃなんですよね。列に並ぶという概念もないですし、道を歩いていていると上裸のおっさんがデカい声で電話していたり。あと、自分が乗っている自転車に、お坊さんに数珠みたいなものを入れられて、「厄除けをしたから金をよこせ」って言われたりとか。
――すごいなあ(笑)。
門口:マクドナルドに行って1000円払うと、向こうは混んでてよくわからなくなっているので、お釣りが1万円返ってくるみたいなこともありました(笑)。自分がカオスの中にいる、整備されていない状況にいるっていうんですかね。誰も人の目を気にしない感じはいいなと思っていました。
――小さい頃音楽は聴いていましたか?
門口:父親の実家が四国にあって、車で帰省するときに音楽が流れていたことを覚えていて。父親が聴いている曲と、母親が聴いている曲が交互に流れてくるんですけど、それがスピッツのベスト盤と宇多田ヒカルでしたね。
あと、父親がギターで長渕剛とかクラプトン(Eric Clapton)、ツェッペリン(Led Zeppelin)の曲を弾いていて。自分で音楽を掘るようになるまで、ツェッペリンの「天国への階段(Stairway to Heaven)」と、エリック・クラプトンの「Tears In Heaven」は父親の曲だと思ってました。
――(笑)。積極的にカルチャーにのめり込んだきっかけは?
門口:中学1年の頃ですかね。YouTubeで銀杏BOYZを見たときに、それまで聴いてきた音楽とは圧倒的に違うと思いました。自分が知ってる音楽って、着飾って何かありきたりなテーマを歌う感じだったのに、彼らは上裸どころか全裸みたいな状態で、よだれを垂らして目をひん剥きながら、援助交際について歌っている。誰かに自分の価値観を合わせていないところがものすごくくカッコいいと思いました。
特にその頃は、人から価値観を押し付けられることにすごく悩んでいたので、めちゃくちゃ救われたんですよね。銀杏BOYZとTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTは、めちゃくちゃハマっていました。
――中国から日本に帰ってきたのはいつ頃なんですか?
門口:中学を卒業するまでは中国にいて、高校入学直前に日本に帰ってきました。でも、日本の学校にコンプレックスがあるわけじゃないですか。一度失敗したわけで、すごく心配していましたね。
――確かにそれはそうですよね。
門口:でも、父親の紹介でインターナショナル・スクールみたいなところに入って。そこがめちゃくちゃよかったんです。帰国子女や海外ルーツの人しかいない学校で、刺青も入れていい、髪も染めていい、スケボーで学校に行ってもいいみたいな感じで。見学に行ったときも先輩たちが坂からスケボーをプッシュしてたり(笑)、朝の放送でJames Brownが爆音でかかっているのを見て、ヤバいなと思いました。
――JBがかかるのはすごい(笑)。
門口:本当におもしろかったです。JBは校長が好きでかかっていたんですけど、生徒はアメリカから帰ってきてるやつが多かったので、ヒップホップ好きがすごく多くて。先輩は90年代みたいなでっかいラジカセを担ぎながら、2Pacを爆音で流してました(笑)。
――そこで門口さんも変わったんですね。
門口:180度変わりました。そこでいい仲間に出会いましたし、あの学校に行かなかったら、今の自分はないと思います。周りはみんなアホみたいに明るくて、他人の視線を全然気にしてないんですよ。それに衝撃を喰らって、自分もこういう風に生きたいなって思っていました。だから僕が最初に憧れを抱いたのは、周りの友達だったかもしれないです。
――その環境で流行っている音楽ってなんでした?
門口:6eyesという名古屋のポストパンクのバンドが学校で流行ってて、僕も超好きでした。彼らはその後にラッパーの呂布カルマさんともコラボしたりするんですけど、まだアングラな時代に高校生10人ぐらいでDAYTRIVEという名古屋のめちゃくちゃ暗いライブハウスに観に行ったのを覚えています。
海外旅行で形成されたアイデンティティ
――海外の音楽に出会ったのもその頃ですか?
門口:高校3年のときにバンドを始めるんですけど、一緒にやっていたベースの兄ちゃんが洋楽に詳しくて。そいつが兄ちゃんから教えてもらった音楽を、自分も聴いていました。それが例えばThe StrokesとかOasis、あとはAphex TwinとかBattlesでしたね。学校に行けばヒップホップが好きなやつがいますし、いろんな角度から知る機会があったのは大きかったです。
――バンドもその頃に始めているんですね。
門口:最初は銀杏BOYZのコピー・バンドをやっていました。でも、だんだんとオリジナルを作りたくなってきて、そのときはポストパンクが好きだったから、リフのワンループでメロディもないようなスタイルの音楽でした。それから『TEENS ROCK』という10代の大会で入賞したり、愛知県大会で優勝したりしてましたね。
――バンドで食っていきたい気持ちはありました?
門口:いや、当時は全然なくて。そこで終われればいいかな、ぐらいに思ってました。ただ、いろんな出会いはありましたね。GLIM SPANKYシャムキャッツと対バンしたり、『TEENS ROCK』ではSHISHAMOと一緒にやったりして。その大会に出たバンドが解散した後は、サスフォー(Suspended 4th)の元ドラマーと一緒にバンドを始めて、大学に入ってもそいつと一緒にやってました。
――大学で打ち込んだものはありますか?
門口:いや、大学はほとんど行ってなくて、バイトして金を貯めては海外を旅していました。そのときに行ったジャマイカを思い浮かべて書いた曲が「Jamaica」(2020年)なんですけど、とにかくいろんなものを見たいと思っていたんですよね。当時はNYやLAに行ったり、ヨーロッパで現地のクラブやフェスに遊びに行ったりもしました。
――向こうのクラブはどうでした?
門口:ドイツにベルクハインという有名なクラブがあるんですけど、あっちはクィア・カルチャーと密接に関わっていて。
――めちゃくちゃ並ぶので、中々入れないって聞きますね。
門口:当時もそうでした。セキュリティがいるんですけど、その人が誰を入れるか決めるんです。都市伝説みたいな話が色々あって、見た目がイケてるやつしか入れないとか、靴がすり減っているかを確認して、ちゃんと踊ってるやつなのかどうか判断するとか(笑)。
――なるほど。
門口:それから写真撮られないように、スマホにテープを貼られるんですよね。その中でしか体験できないものがあるっていうのはすごくいいなと思いました。
――その場所を特別なものにしているんですね。
門口:今はSNSに何でも上げちゃうじゃないですか。でも、その場でしか感じられない空気とか、そこに行った人しか味わえないことって大事だと思うんですよね。この前の(『Coachella』での)Frank Oceanもそうでしたけど、ああいうのってあるべき姿かなあって思います。例えばレイブ・パーティも、イベンターが当日友だちに開催を知らせて、それを聞きつけた友だちの友だちとかで集まるみたいな、そういうのがいいですよね。クローズドな環境とかイベントが増えたら楽しいんだろうなって思いますし、その頃の価値観が今に繋がっている気がします。
――大学時代の旅の経験が、今の自分のアイデンティティになっていると。
門口:めちゃくちゃなってますね。自分たちが主催している『PANGAIA』というイベントもそのひとつです。今のように大陸が分かれる前の、ひとつしか大陸がなかった時代の名前をパンゲア大陸と言うんですけど、その語源となった“全ての地球”を意味するギリシャ語に由来していて。年代とかジェンダーを超えて、いろんな人が集まって踊れるのが音楽だと思ってるし、Monthly Mu & New Caledoniaで表現したいことにも繋がる。そういう価値観は、大学の頃の経験から来てるのかもしれないです。
――ところで大人になってからハマった音楽はありますか?
門口:舐達麻かなあ。というのも、大人になってから一番衝撃を受けたのはラップなんですよ。自分はどういうサウンドか、どういうメロディか、というのはそんなに興味がなくて。そこで何が歌われているのか、というところに一番喰らうんですよね。で、僕の中では舐達麻と銀杏BOYZって似ているというか。彼らは何かに合わせてないと思うんです。
――なるほど。
門口:僕は舐達麻はハッパについて歌ってるわけではないと思っていて。彼らは人生の哲学というか、積み重ねることの大切さを歌っていて、そういうのがすごくいいなって思います。それはきっと誰もが思っていることだし、だから共感できるのかなって。
――大事なのはアティチュードとリリックなんですね。
門口:バンドだとNOT WONKが好きです。彼らは英語で歌っているので、内容に関してはそこまで深く理解はできてないかもしれないけど、やっていることからアティチュードを感じますよね。自分らでチケットの発送や受付をやるという活動もそうですし、ボーカルの加藤くんが言ってる言葉にメッセージがあると思います。
「自分の音楽にマジで喰らいたい」
――Monthly Mu & New Caledoniaについても聞けたらと思います。大学を卒業してから、バンドをやっていない時期があるんですよね?
門口:そうですね。就職するタイミングでやめています。それで最初はとあるメジャー・レーベルでプロモーターの仕事をしていたんですけど、そのときにもう1回音楽をやりたいと思って。それで上京してきて、広告代理店で働きながらこのバンドを始めました。
――メンバーは掲示板で募ったと言っていましたね。
門口:「OURSOUNDS」という掲示板があって。そこでメンバーを募ったときに、最初に会ったのがこの3人(鈴木龍行、若林達人、小笹龍華)でした。実はそれぞれ微妙に時期は違っていて、龍華は渋谷の道玄坂近くにある居酒屋、達人は渋谷のコーヒー屋さん、龍行は中目黒のいかり屋食堂で会いました。
――事実上の面接ですね。何が決め手だったんですか?
門口:まぁ、悪そうな人たちではなかったというか。
――(笑)。
門口:嫌な奴とは一緒にやりたくないじゃないですか(笑)。なので気が合うかどうか、ちょっと話してみたというか。でも、たぶんみんなそうだったと思うんですけど、最初は何かを目指すとかではなかったですね。楽しくバンドができればいいかなぁって感じでした。
――ラップに衝撃を受けたとのことですが、改めて音楽をやろうと思ったときにバンドを選んだのはなぜですか。
門口:自分ひとりじゃできないからじゃないですかね。自分はそんなに多才なわけではないので、助けてくれる人がいないと何もできない。そこで与えられる役割はあると思うんですけど、誰かとやるのはいいことだと思います。人生もひとりじゃ生きていけないじゃないですか。家族や友だちがいるからやっていける。それと一緒な気がします。
――門口さんはドラマチックなものを求めている印象がありますね。
門口:よく言われます(笑)。僕はすぐ人のことを好きになっちゃうんですよ。
――いいですね(笑)。
門口:デートをしていても、すぐドラマ的に捉えちゃうというか。例えば、昨日めっちゃ雨降ってたんで思い出したんですけど、広告代理店で働いていたときにすごく好きだった女の子がいて、その子とデートをしたときにも雨が降ってて。夏にゲリラ的に降ってきたので、「傘買おうよ」って言ったんですけど、その子はイギリスで育ったのであまり傘をさす文化がないみたいで。
――なるほど。
門口:それで「全然大丈夫」って言うんですけど、ふたりともびしょびしょなんですよね。で、乾かさないと帰れないし、これはダメだってなって。コンビニでアイスを買って近くのコインランドリーに入って、びしょびしょになった服を脱いで乾燥機にぶち込んで、洗濯機の上に乗っかってアイス食いながら服が回ってるのを見てるみたいな。
――映画のワンシーンですね(笑)。
門口:そういうのがめっちゃあるんです。自分がそういうものに引っ張られているから覚えているのか、それはわからないですけど。そういう記憶が山ほどあるので、その景色を曲にしたい。そのムードを捉えたいっていつも思います。
――歌詞で言うと、ここ最近は誰かに語りかけるような歌が多いように感じます。
門口:脱退した武(亮介)も歌詞を書いていたので、以前はいろんな書き方があったんですよね。でも、僕が好きなラップって、自分のストーリーを歌っているんですよ。舐達麻もそうですし、Awichもそう。だから僕も思っていることを言わないと、自分が聴いていいと思えなくて。それでこういう歌詞になってきたんだと思います。
――最初は「楽しくできたらいい」と思っていたと言われましたが、活動を続けてきて気づいたことや、今改めて抱いていることはありますか。
門口:ようやく自分らのスタイルがわかってきたんですよね。これからの活動は、そこをどれだけ出せるかだと思います。なので曲をいっぱい作りたいですし、それをライブで目の前の人に向けてどう表現するかだと思っていますね。もちろん、フジロックに出たいとかそういう目標もあるんですけど、それよりも自分の音楽にマジで喰らいたいんですよ。
――これまで作ってきたもので、そう思えるものってありますか?
門口:個人的には「Jamaica」と今度リリースする「涙」ですかね。何回歌っても感動する瞬間があります。今年はアルバムを出そうと思っているんですけど、全曲その域に達したら完璧ですね。
――自分たちのスタイルがわかってきたと言われましたが、マンスリーのスタイルってどういうものだと思いますか?
門口:スタイルがわかってきたというのは、“やらないことを決めた”ということですね。例えば歌詞で言うと、自分が思っていることや、自分の経験に即しているものしか書かない。僕らのサウンドには色々な側面があると思うんですけど、歌詞に関していえば、「夢大らしさが出ている」ってメンバーも言ってくれてるんですよね。
――なるほど。
門口:幼少期に自分の居場所がないと思ったとき、音楽だけが居場所だと思えたこと。それをリリックとライブで見せることで、いろんな垣根を超えて伝えていきたい。それが自主企画イベント『PANGAIA』だと思うし、先日リリースした「愛されたいよ」や「涙」はもちろん、これから出す曲もそれに即した音楽以外はやりたくないですね。
――はみ出している人を受け入れる、そして愛するということですね。
門口:本当にその通りで。自分の居場所がないって思っている人はいっぱいいると思うんですよ。そういう人たちに、“ここに来れば自分らの居場所あるやん”って思ってほしい。僕は銀杏BOYZを聴いた時に、この音楽を聴いているときだけはそれがあるって感じたので。僕もMonthly Mu & New Caledoniaの活動でそういう音楽をやっていきたいです。
【リリース情報】
■ 配信リンク(https://MMNC.lnk.to/i9Xahy)
【イベント情報】

日時:2023年6月9日(金) OPEN 18:30 / START 19:00

会場:東京・下北沢ADRIFT
料金:ADV. ¥3,800 (1D代別途)
出演:
Monthly Mu & New Caledonia
a子

日時:2023年6月13日(火) OPEN 18:30 / START 19:00

会場:大阪・梅田Zeela
料金:ADV. ¥3,800 (1D代別途)
出演:
Monthly Mu & New Caledonia
NIKO NIKO TAN TAN

日時:2023年6月14日(水) OPEN 18:30 / START 19:00

会場:愛知・名古屋UPSET
料金:ADV. ¥3,800 (1D代別途)
出演:
Monthly Mu & New Caledonia
ペンギンラッシュ

[問い合わせ]

東京公演:HOT STUFF PROMOTION 050-5211-6077
大阪公演:YUMEBANCHI(大阪) 06-6341-3525(平日12:00~17:00)
愛知公演:JAILHOUSE 052-936-6041
■ Monthly Mu & New Caledonia オフィシャル・サイト(https://mmnc.jp)
Monthly Mu & New Caledoniaが、3ヶ月連続で新曲をリリースする。第1弾は先月発表された「愛されたいよ」、次が「涙」、そして7月の「Rollin’」である。本文でぽろっと触れられているように、バンドは初のアルバム制作に向けて動き出しており、3つの新曲はそこへ向けた序章である。今回はギアを上げていく彼らのモードを探るべく、門口夢大のソロ・インタビューと、メンバー全員での2本立て取材を行った。
前編は門口の人生を辿るパーソナル・インタビューである。幼少の頃に抱えていたコンプレックスから、逃げるように発った中国での留学期間、そして「出会いに恵まれた」という高校時代……さらには大学進学、就職とステップを踏む中で、彼はどんな音楽に揺さぶられてバンド活動をしているのか。そのアイデンティティ形成に関わった、重要なトピックをざっくばらんに語ってもらった。

Interview & Text by Ryutaro Kuroda

Photo by fukumaru(https://www.instagram.com/fkdmnm_08/)
Hair & Make-up:Komomo Satou
幼少期に感じた生きづらさ
――小さい頃の記憶で強く覚えているものはありますか。
門口:2歳から7歳までタイにいたんですけど、幼稚園では日本人が多い学校に通っていて、デカい運動場で遊んでいました。あと、家がめちゃくちゃ豪華でプールがあったんですよ。ゲリラ豪雨が多かったので、よくプールが氾濫してロビーが水浸しになっていたのを覚えています(笑)。
――小学校のときは日本に?
門口:そうですね。愛知県の安城市という田舎で育ったんですけど、その頃は結構キツいなって思うことが多くて。なんでかと言うと、田舎だと価値観が一緒になるというか。何をするにも友達と遊ばないといけない空気感があって。みんなと遊ばないとハブられるし、それはめちゃくちゃ苦痛でしたね。
――その空気に馴染めないと辛いですね。
門口:しかも毎日遊ばないといけない、みたいな。放課後に公園に行かないと呼ばれなくなるし、次に学校行ったときにも、「なんで来なかったんだよ」って言われるから。で、大人になると地元で有力な自動車メーカーに就職して、いくつまでに結婚して、子供を産んで……とか、そういうのが小さいときからあって。キツかったですね。
――中学に上がってからも、そうした風潮は変わらずでした?
門口:いや、それが嫌で中学に上がると同時に、ひとりで中国に行ったんです。
――その歳でひとりっていうのはすごいですね。
門口:父親が上海に住んでいたので、それで中国という発想が出てきたんだと思うんですけど。当時の自分にとってはそれしか生きる方法がなくて、そういうところに逃げるしかなかったんだと思います。
――向こうでの生活はどうでした?
門口:同級生は全員エリート層の子供みたいな感じで。親が金持ちだと大抵勉強をさせられるじゃないですか。ただ、結果的に僕は勉強も全然ついていけなくて。やっぱりどこに行っても変わんないんだなぁって思いました。その頃は音楽を聴いたり、お笑いを見ることが自分にとっての救いでしたね。
――中国の風景で印象に残っていることはありますか。
門口:学校では勉強していい高校に入る、みたいな雰囲気をすごく感じていたんですけど、一方で外に出たらめちゃめちゃなんですよね。列に並ぶという概念もないですし、道を歩いていていると上裸のおっさんがデカい声で電話していたり。あと、自分が乗っている自転車に、お坊さんに数珠みたいなものを入れられて、「厄除けをしたから金をよこせ」って言われたりとか。
――すごいなあ(笑)。
門口:マクドナルドに行って1000円払うと、向こうは混んでてよくわからなくなっているので、お釣りが1万円返ってくるみたいなこともありました(笑)。自分がカオスの中にいる、整備されていない状況にいるっていうんですかね。誰も人の目を気にしない感じはいいなと思っていました。
――小さい頃音楽は聴いていましたか?
門口:父親の実家が四国にあって、車で帰省するときに音楽が流れていたことを覚えていて。父親が聴いている曲と、母親が聴いている曲が交互に流れてくるんですけど、それがスピッツのベスト盤と宇多田ヒカルでしたね。
あと、父親がギターで長渕剛とかクラプトン(Eric Clapton)、ツェッペリン(Led Zeppelin)の曲を弾いていて。自分で音楽を掘るようになるまで、ツェッペリンの「天国への階段(Stairway to Heaven)」と、エリック・クラプトンの「Tears In Heaven」は父親の曲だと思ってました。
――(笑)。積極的にカルチャーにのめり込んだきっかけは?
門口:中学1年の頃ですかね。YouTubeで銀杏BOYZを見たときに、それまで聴いてきた音楽とは圧倒的に違うと思いました。自分が知ってる音楽って、着飾って何かありきたりなテーマを歌う感じだったのに、彼らは上裸どころか全裸みたいな状態で、よだれを垂らして目をひん剥きながら、援助交際について歌っている。誰かに自分の価値観を合わせていないところがものすごくくカッコいいと思いました。
特にその頃は、人から価値観を押し付けられることにすごく悩んでいたので、めちゃくちゃ救われたんですよね。銀杏BOYZとTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTは、めちゃくちゃハマっていました。
――中国から日本に帰ってきたのはいつ頃なんですか?
門口:中学を卒業するまでは中国にいて、高校入学直前に日本に帰ってきました。でも、日本の学校にコンプレックスがあるわけじゃないですか。一度失敗したわけで、すごく心配していましたね。
――確かにそれはそうですよね。
門口:でも、父親の紹介でインターナショナル・スクールみたいなところに入って。そこがめちゃくちゃよかったんです。帰国子女や海外ルーツの人しかいない学校で、刺青も入れていい、髪も染めていい、スケボーで学校に行ってもいいみたいな感じで。見学に行ったときも先輩たちが坂からスケボーをプッシュしてたり(笑)、朝の放送でJames Brownが爆音でかかっているのを見て、ヤバいなと思いました。
――JBがかかるのはすごい(笑)。
門口:本当におもしろかったです。JBは校長が好きでかかっていたんですけど、生徒はアメリカから帰ってきてるやつが多かったので、ヒップホップ好きがすごく多くて。先輩は90年代みたいなでっかいラジカセを担ぎながら、2Pacを爆音で流してました(笑)。
――そこで門口さんも変わったんですね。
門口:180度変わりました。そこでいい仲間に出会いましたし、あの学校に行かなかったら、今の自分はないと思います。周りはみんなアホみたいに明るくて、他人の視線を全然気にしてないんですよ。それに衝撃を喰らって、自分もこういう風に生きたいなって思っていました。だから僕が最初に憧れを抱いたのは、周りの友達だったかもしれないです。
――その環境で流行っている音楽ってなんでした?
門口:6eyesという名古屋のポストパンクのバンドが学校で流行ってて、僕も超好きでした。彼らはその後にラッパーの呂布カルマさんともコラボしたりするんですけど、まだアングラな時代に高校生10人ぐらいでDAYTRIVEという名古屋のめちゃくちゃ暗いライブハウスに観に行ったのを覚えています。
海外旅行で形成されたアイデンティティ
――海外の音楽に出会ったのもその頃ですか?
門口:高校3年のときにバンドを始めるんですけど、一緒にやっていたベースの兄ちゃんが洋楽に詳しくて。そいつが兄ちゃんから教えてもらった音楽を、自分も聴いていました。それが例えばThe StrokesとかOasis、あとはAphex TwinとかBattlesでしたね。学校に行けばヒップホップが好きなやつがいますし、いろんな角度から知る機会があったのは大きかったです。
――バンドもその頃に始めているんですね。
門口:最初は銀杏BOYZのコピー・バンドをやっていました。でも、だんだんとオリジナルを作りたくなってきて、そのときはポストパンクが好きだったから、リフのワンループでメロディもないようなスタイルの音楽でした。それから『TEENS ROCK』という10代の大会で入賞したり、愛知県大会で優勝したりしてましたね。
――バンドで食っていきたい気持ちはありました?
門口:いや、当時は全然なくて。そこで終われればいいかな、ぐらいに思ってました。ただ、いろんな出会いはありましたね。GLIM SPANKYやシャムキャッツと対バンしたり、『TEENS ROCK』ではSHISHAMOと一緒にやったりして。その大会に出たバンドが解散した後は、サスフォー(Suspended 4th)の元ドラマーと一緒にバンドを始めて、大学に入ってもそいつと一緒にやってました。
――大学で打ち込んだものはありますか?
門口:いや、大学はほとんど行ってなくて、バイトして金を貯めては海外を旅していました。そのときに行ったジャマイカを思い浮かべて書いた曲が「Jamaica」(2020年)なんですけど、とにかくいろんなものを見たいと思っていたんですよね。当時はNYやLAに行ったり、ヨーロッパで現地のクラブやフェスに遊びに行ったりもしました。
――向こうのクラブはどうでした?
門口:ドイツにベルクハインという有名なクラブがあるんですけど、あっちはクィア・カルチャーと密接に関わっていて。
――めちゃくちゃ並ぶので、中々入れないって聞きますね。
門口:当時もそうでした。セキュリティがいるんですけど、その人が誰を入れるか決めるんです。都市伝説みたいな話が色々あって、見た目がイケてるやつしか入れないとか、靴がすり減っているかを確認して、ちゃんと踊ってるやつなのかどうか判断するとか(笑)。
――なるほど。
門口:それから写真撮られないように、スマホにテープを貼られるんですよね。その中でしか体験できないものがあるっていうのはすごくいいなと思いました。
――その場所を特別なものにしているんですね。
門口:今はSNSに何でも上げちゃうじゃないですか。でも、その場でしか感じられない空気とか、そこに行った人しか味わえないことって大事だと思うんですよね。この前の(『Coachella』での)Frank Oceanもそうでしたけど、ああいうのってあるべき姿かなあって思います。例えばレイブ・パーティも、イベンターが当日友だちに開催を知らせて、それを聞きつけた友だちの友だちとかで集まるみたいな、そういうのがいいですよね。クローズドな環境とかイベントが増えたら楽しいんだろうなって思いますし、その頃の価値観が今に繋がっている気がします。
――大学時代の旅の経験が、今の自分のアイデンティティになっていると。
門口:めちゃくちゃなってますね。自分たちが主催している『PANGAIA』というイベントもそのひとつです。今のように大陸が分かれる前の、ひとつしか大陸がなかった時代の名前をパンゲア大陸と言うんですけど、その語源となった“全ての地球”を意味するギリシャ語に由来していて。年代とかジェンダーを超えて、いろんな人が集まって踊れるのが音楽だと思ってるし、Monthly Mu & New Caledoniaで表現したいことにも繋がる。そういう価値観は、大学の頃の経験から来てるのかもしれないです。
――ところで大人になってからハマった音楽はありますか?
門口:舐達麻かなあ。というのも、大人になってから一番衝撃を受けたのはラップなんですよ。自分はどういうサウンドか、どういうメロディか、というのはそんなに興味がなくて。そこで何が歌われているのか、というところに一番喰らうんですよね。で、僕の中では舐達麻と銀杏BOYZって似ているというか。彼らは何かに合わせてないと思うんです。
――なるほど。
門口:僕は舐達麻はハッパについて歌ってるわけではないと思っていて。彼らは人生の哲学というか、積み重ねることの大切さを歌っていて、そういうのがすごくいいなって思います。それはきっと誰もが思っていることだし、だから共感できるのかなって。
――大事なのはアティチュードとリリックなんですね。
門口:バンドだとNOT WONKが好きです。彼らは英語で歌っているので、内容に関してはそこまで深く理解はできてないかもしれないけど、やっていることからアティチュードを感じますよね。自分らでチケットの発送や受付をやるという活動もそうですし、ボーカルの加藤くんが言ってる言葉にメッセージがあると思います。
「自分の音楽にマジで喰らいたい」
――Monthly Mu & New Caledoniaについても聞けたらと思います。大学を卒業してから、バンドをやっていない時期があるんですよね?
門口:そうですね。就職するタイミングでやめています。それで最初はとあるメジャー・レーベルでプロモーターの仕事をしていたんですけど、そのときにもう1回音楽をやりたいと思って。それで上京してきて、広告代理店で働きながらこのバンドを始めました。
――メンバーは掲示板で募ったと言っていましたね。
門口:「OURSOUNDS」という掲示板があって。そこでメンバーを募ったときに、最初に会ったのがこの3人(鈴木龍行、若林達人、小笹龍華)でした。実はそれぞれ微妙に時期は違っていて、龍華は渋谷の道玄坂近くにある居酒屋、達人は渋谷のコーヒー屋さん、龍行は中目黒のいかり屋食堂で会いました。
――事実上の面接ですね。何が決め手だったんですか?
門口:まぁ、悪そうな人たちではなかったというか。
――(笑)。
門口:嫌な奴とは一緒にやりたくないじゃないですか(笑)。なので気が合うかどうか、ちょっと話してみたというか。でも、たぶんみんなそうだったと思うんですけど、最初は何かを目指すとかではなかったですね。楽しくバンドができればいいかなぁって感じでした。
――ラップに衝撃を受けたとのことですが、改めて音楽をやろうと思ったときにバンドを選んだのはなぜですか。
門口:自分ひとりじゃできないからじゃないですかね。自分はそんなに多才なわけではないので、助けてくれる人がいないと何もできない。そこで与えられる役割はあると思うんですけど、誰かとやるのはいいことだと思います。人生もひとりじゃ生きていけないじゃないですか。家族や友だちがいるからやっていける。それと一緒な気がします。
――門口さんはドラマチックなものを求めている印象がありますね。
門口:よく言われます(笑)。僕はすぐ人のことを好きになっちゃうんですよ。
――いいですね(笑)。
門口:デートをしていても、すぐドラマ的に捉えちゃうというか。例えば、昨日めっちゃ雨降ってたんで思い出したんですけど、広告代理店で働いていたときにすごく好きだった女の子がいて、その子とデートをしたときにも雨が降ってて。夏にゲリラ的に降ってきたので、「傘買おうよ」って言ったんですけど、その子はイギリスで育ったのであまり傘をさす文化がないみたいで。
――なるほど。
門口:それで「全然大丈夫」って言うんですけど、ふたりともびしょびしょなんですよね。で、乾かさないと帰れないし、これはダメだってなって。コンビニでアイスを買って近くのコインランドリーに入って、びしょびしょになった服を脱いで乾燥機にぶち込んで、洗濯機の上に乗っかってアイス食いながら服が回ってるのを見てるみたいな。
――映画のワンシーンですね(笑)。
門口:そういうのがめっちゃあるんです。自分がそういうものに引っ張られているから覚えているのか、それはわからないですけど。そういう記憶が山ほどあるので、その景色を曲にしたい。そのムードを捉えたいっていつも思います。
――歌詞で言うと、ここ最近は誰かに語りかけるような歌が多いように感じます。
門口:脱退した武(亮介)も歌詞を書いていたので、以前はいろんな書き方があったんですよね。でも、僕が好きなラップって、自分のストーリーを歌っているんですよ。舐達麻もそうですし、Awichもそう。だから僕も思っていることを言わないと、自分が聴いていいと思えなくて。それでこういう歌詞になってきたんだと思います。
――最初は「楽しくできたらいい」と思っていたと言われましたが、活動を続けてきて気づいたことや、今改めて抱いていることはありますか。
門口:ようやく自分らのスタイルがわかってきたんですよね。これからの活動は、そこをどれだけ出せるかだと思います。なので曲をいっぱい作りたいですし、それをライブで目の前の人に向けてどう表現するかだと思っていますね。もちろん、フジロックに出たいとかそういう目標もあるんですけど、それよりも自分の音楽にマジで喰らいたいんですよ。
――これまで作ってきたもので、そう思えるものってありますか?
門口:個人的には「Jamaica」と今度リリースする「涙」ですかね。何回歌っても感動する瞬間があります。今年はアルバムを出そうと思っているんですけど、全曲その域に達したら完璧ですね。
――自分たちのスタイルがわかってきたと言われましたが、マンスリーのスタイルってどういうものだと思いますか?
門口:スタイルがわかってきたというのは、“やらないことを決めた”ということですね。例えば歌詞で言うと、自分が思っていることや、自分の経験に即しているものしか書かない。僕らのサウンドには色々な側面があると思うんですけど、歌詞に関していえば、「夢大らしさが出ている」ってメンバーも言ってくれてるんですよね。
――なるほど。
門口:幼少期に自分の居場所がないと思ったとき、音楽だけが居場所だと思えたこと。それをリリックとライブで見せることで、いろんな垣根を超えて伝えていきたい。それが自主企画イベント『PANGAIA』だと思うし、先日リリースした「愛されたいよ」や「涙」はもちろん、これから出す曲もそれに即した音楽以外はやりたくないですね。
――はみ出している人を受け入れる、そして愛するということですね。
門口:本当にその通りで。自分の居場所がないって思っている人はいっぱいいると思うんですよ。そういう人たちに、“ここに来れば自分らの居場所あるやん”って思ってほしい。僕は銀杏BOYZを聴いた時に、この音楽を聴いているときだけはそれがあるって感じたので。僕もMonthly Mu & New Caledoniaの活動でそういう音楽をやっていきたいです。
【リリース情報】
■ 配信リンク(https://MMNC.lnk.to/i9Xahy)
【イベント情報】

日時:2023年6月9日(金) OPEN 18:30 / START 19:00

会場:東京・下北沢ADRIFT
料金:ADV. ¥3,800 (1D代別途)
出演:
Monthly Mu & New Caledonia
a子

日時:2023年6月13日(火) OPEN 18:30 / START 19:00

会場:大阪・梅田Zeela
料金:ADV. ¥3,800 (1D代別途)
出演:
Monthly Mu & New Caledonia
NIKO NIKO TAN TAN

日時:2023年6月14日(水) OPEN 18:30 / START 19:00

会場:愛知・名古屋UPSET
料金:ADV. ¥3,800 (1D代別途)
出演:
Monthly Mu & New Caledonia
ペンギンラッシュ

[問い合わせ]

東京公演:HOT STUFF PROMOTION 050-5211-6077
大阪公演:YUMEBANCHI(大阪) 06-6341-3525(平日12:00~17:00)
愛知公演:JAILHOUSE 052-936-6041
■ Monthly Mu & New Caledonia オフィシャル・サイト(https://mmnc.jp)

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