デヴィッド・ボウイの協力を得て
ロック界屈指の都会派詩人の
名声を確立した
ルー・リードの歴史的名盤
『トランスフォーマー』

淡々と歌われるゲイ、
同性愛者たちの日常

本作でリードが前例のない表現に挑んでみせたのは、徹底したリアリズムの追求というものだろうか。それとなく感じてはいるものの、まだ誰も表立って語っていない、語ろうとしない、だが現実に起こっているニューヨークのストーリーを描いてみせることだった。

「ヴィシャス(背徳)(原題:Vicious)」でアルバムは始まる。ミック・ロンソンの鋭角的なギターが頭に刺さってくる、実にアルバムのトップを飾るに相応しいインパクトなのだ。が、これがゲイの男を歌った曲で、イントロが終わると「そいつが花束で俺を殴る〜」と歌われる。タイトル通り背徳感たっぷりに。そして、「ワイルドサイドを歩け(原題:Walk on the Wild Side)」はすがすがしいほどの洗練されたサウンドとは裏腹に、冒頭から「ホリーはフロリダ州マイアミからヒッチハイクでやってきて、途中で眉毛を抜き、すね毛を剃って(彼から)彼女になった〜」と歌われる。4番まである歌詞の中でホリーを含め、複数の人物が描かれるのだが、そのまま内容を親や子供に語って聞かせるわけにはいかないだろう。もちろん語って構わないのだけれど。この曲に限らず、リードは本作でVU時代から出入りしていたアンディ・ウォーホルのスタジオ『ファクトリー』にたむろする人たちをモデルに、ニューヨークに暮らす売春婦や男娼、同性愛者、与太者、等々の姿を簡潔に、ショート・ショートのように描いている。

ゲイ文学としても知られる小説『遠い声 遠い部屋』(‘48)注1 / や、その著者で、自らゲイを公言して社交界で名を馳せたトルーマン・カポーティのような存在もあるにはあったが、ニューヨークのグリニッジヴィレッジで起こった、あの有名なゲイ、レズビアン蜂起『ストーンウォール暴動』(1969年6月27日夜〜)注2 / からまだ2年ほどしか経っていない。ゲイ、ホモセクシュアルであることが知れると命の危険さえあった、と言われる時代なのであり、社会派のフォークシンガーでも、公民権運動やベトナム反戦を歌にする者はいても、ジェンダー問題に関する領域に踏み込んで歌うアーティストはいなかった。
注1 『遠い声 遠い部屋』:トルーマン・カポーティ初の長編となる半自伝的小説と言われ、14歳の少年が父親を探して未知の土地を訪れ、体験すること等が甘美に描かれる。村上春樹氏による邦訳が出ている。
注2 『ストーンウォール暴動』:ジュディ・ガーランド(ゲイの人たちのアイドルだった)の訃報(1969年6月22日)に伴い、その一週間後にヴィレッジのゲイバーに集まった200名ほどの人たちを警察が急襲、一斉検挙を行ったことから大暴動に発展した事件。ゲイ解放運動の象徴的な出来事。

だが、どうしてそんな歌をうたうのかと尋ねても、当のリードはまったく意に介さないかのように答えただろう。「なんだいそれは、ゲイもストレートもあるもんか。人類が猿だった頃から別に当たり前のことだろ。ファクトリーにはそんな連中がいくらでもいるぜ。そんな観点で俺の歌を聴くな」と、勝手な想像だが、きっと辛辣に返されたと思うのだ。

まぁ、それでも『トランスフォーマー』が出た頃のリードのパブリック・イメージは特異なものだった。これもボウイの進言があってのイメージチェンジだったのかもしれないが、VU時代のビートニク然としたたたずまいから、短髪(しかも金髪)で特大のサングラス、タイトな鋲打ちの革ジャンにパンツだった。ボウイのほうは赤あるいはオレンジ色の髪にメイクという、当時の音楽雑誌のグラビアで見るふたりの姿はそんなふうだった。グラムロックのブームもその頃がピークで、マーク・ボラン率いるT-Rexやロキシー・ミュージック(怪しいメイクのブライアン・イーノの姿が強烈だった)らがヒットを飛ばし、メディアを派手に賑わせていた。ふたりともバイセクシュアルであると、雑誌には書かれていたと記憶している。
※結果から言えば、ボウイもリードも結婚相手はいずれも女性だったのだが。

群雄割拠の時代であり、グラムロックに限らず興味を引く音楽が怒涛のごとく市場を賑わせている時期だったから、当時中学生だった自分は他のアーティストに興味が行き、リアルタイムでルー・リードを聴こうという気にはなれなかった。アルバムを買っていたら、もっと早い段階でもう少し賢くなれたかもしれないと、今では後悔しているのだが…。

ただ、時の中学生が本作のLP盤ジャケットをうっかりテーブルの上に置いていてそれを親にでも見られたら、家庭内での居心地を微妙なものにしたかもしれない。表面のアートワークは素晴らしい。当時ボウイをはじめグラムロック系アーティストの写真を撮っていたミック・ロック撮影のリードのステージ写真のクローズアップをグラフィック化したものだ。問題は裏面で、2体ある人物(一応、男↔女)のグラフィックは、このアルバムの中身をそのまま表している。詳しくは書かないので、興味ある方は入手され、ご覧になるといいだろう。

OKMusic編集部

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