ディランをして
「彼は自分にとってのメンター」と
言わしめた、
カナダのSSWの至宝、
ゴードン・ライトフット

『Gord’s Gold』('75)/Gordon Lightfoot

『Gord’s Gold』('75)/Gordon Lightfoot

カナダ出身のアーティストといえば、誰を思い浮かべるだろうか。ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、レナード・コーエン、ケイト&アンナ・マクガリグル、以前このコラムでも紹介したブルース・コバーン等など、シンガーソングライター系の人が多いような気もするが、古いところではゲス・フー、ザ・バンド(リヴォン・ヘルムを除く)といったバンドもある。他にもたくさん名前を挙げたいが、今回の主役はその筆頭格、ゴードン・ライトフット。数あるカナディアン・アーティストの中にあって、彼こそが多くのアーティストから尊敬を集め、カナダにこの人ありと最大の讃辞を受けるアーティストである。そのライトフットが5月1日、84歳で亡くなってしまった。老衰だということだ。本国だけでなく、ビリー・ジョエル、ブライアン・ウィルソンをはじめ、全米の音楽界からも追悼のメッセージが寄せられているが、この訃報を最も重く受け止めているのは、ボブ・ディランかもしれない。今回は哀悼の意味も込めて、彼のアルバム『ゴーズ・ゴールド』を取り上げつつ、ディランがらみのエピソードをからめてご紹介する。

ディランと並ぶ
フォーク界のレジェンド、
ゴードン・ライトフット

ライトフットは1938年オンタリオ州オリリアという町に生まれている。早くからピアノを習うなど音楽の道を志し、1958年頃にロサンゼルスの音楽カレッジで学んだ後、しばらく採譜の仕事などをしていたという。1962年にカナダのトロントに戻ってからキャリアをスタート、TVの音楽番組やライヴで活躍するなど、シンガーソングライターとしての才能を認められるようになる。デビューにあたっては、当時、ディランやPPMのマネージャーだったアルバート・グロスマンの進言があったと言われている。長い活躍の間、多くの賞を受賞しているほか、現在までに30枚近いオリジナルのアルバムを残し、日本では考えられない高い評価を得ている。冒頭に挙げたカナディアンアーティストは改めて言うまでもなく彼に対してリスペクトを送っているが、あの口の重い、滅多に他人を褒めたりしないボブ・ディランがライトフットに対してはファイバリット・シンガーのひとりであると公言し、特に彼の作詞の才を褒めちぎっていた。それだけでなく、ディランはライトフットが1986年にカナダの音楽の殿堂入りした際には、式典で自らプレゼンターを務めたほどだ。この時の映像も動画サイトに残っている。

ちなみにディランは1941年生まれ。ほとんどデビューは同じ時期なのだが、年齢はライトフットのほうが3年ほど上ということになる。今年4月に約20日ほど長期にわたって滞日し、ハードスケジュールのコンサートをこなすタフな姿を見せつけたディランだが、かつて「同じシンガーとして、悪い出来の曲をひとつも作らなかった彼(を尊敬している)。彼の曲を聴くたびに、その素晴らしさが永遠に続いてほしいと願っていた」等のコメントを残していたものだ。
ディラン関連のエピソードをもう少し足すと、1975年〜1976年にかけて「ローリングサンダー・レビュー」と呼ばれる旅回りの楽団スタイルでツアーを行なった際にはディランはロジャー・マッギンやジョニ・ミッチェルらとともにライトフット邸を訪れている。その時の映像や断片も記録映画、動画サイトにも上がっているので1本選んでみた。ここでの主役はジョニ・ミッチェルだが、ディランやライトフットの姿も映る。

OKMusic編集部

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