ロック史上、最も神秘かつ
謎に包まれたバンドとされる
サード・イアー・バンドの
異端の世界を覗いてみる
どう聴くのか、楽しむのか。
もう知ったことではない
日本でアルバムが売れたとは思えない。英国でもたいしたセールスは記録していないだろう。それでも、サード・イアー・バンド、そして彼らが残したアルバムのいくつかは音楽史に刻まれてもおかしくない。そう思うのには、彼らの音楽が他に類のない独創性を持ち、前衛の精神に貫かれているからだろう。似たようなバンドを探すなら、これまた謎めいたイメージで語られるタージマハル旅行団くらいだろうか。それでも、彼らのようなバンド、音楽が現れるのも、ある意味、歴史の必然とも思うのだ。
大衆音楽がラジオやレコードを通して拡散していくようになって一世紀、例えばロックミュージックが、いくつかある、その誕生とする説の中からエルヴィス・プレスリーのデビューを基点としてみるなら、そろそろ70年である。まだその程度の年月かと思ったりもするのだが、この音楽はメディアやカルチャーを巻き込みながら寛容と反発の荒波に揉まれながら、すさまじいスピードでスタイルの分岐を起こしてきた。エクスペリメンタルロックもそのひとつである。愚直なまでに変わらない、クラシックなロックも潔いが、原型をとどめないほどに破壊、構築を繰り返しながら生まれる音楽には挑戦があり、それこそがロックだと言えようか。ジャンルを越境し、言語圏の枠も越え、地球規模で音楽は交感するようになった。随分進化してきたようにも感じるが、聴く側はどうだろう。
サード・イアー・バンドが活動した70年代初頭から半世紀ほどが過ぎた現在でも、その異端のサウンドはかき消されることなく響いてくる。聴く側に媚びることなく、流行にも迎合することなく、マーケットの要求にも譲歩しなかったこの音楽は、まるで屹立する山のようだ。ある意味、彼らの自己満足かもしれない。だが、音楽とは本来そうしたものだろう。アルバムを紹介しながら「知ったことではない」と言うのもなんだが、どう感じるのか、どう楽しむのか? それは改めて言うまでもなく、リスナー次第だ。
TEXT:片山 明