今回はジャニス・ジョプリン。アルバムを紹介するべきなのか、おすすめの5曲を選ぶべきなのか、非常に迷った。結局は曲のほうを選んだのだが、本来なら名盤をピックアップしながら、彼女のアーティストとしての歩み、シンガーとしてのどこがすごかったのか、駄目だったのかをじっくり考えてみたかった。そうしなかったのには理由があるのだが、とにかく、誰でも一度は名前くらいは聞いたことがあるだろう。ジャニス! 彼女の歌をまず聴いてほしい。私自身、一度、そうした逡巡を経て、いつかアルバム紹介のタイミングを計ってみたいと思う。

 まわりくどいイントロになってしまったが、もう少し。およそプロデビューから5年に満たない活動の間、生前にリリースされたアルバムはわずか3枚しかない。4枚目の制作途中で彼女はヘロインのオーヴァードーズによって帰らぬ人となってしまうのだ。本人としては心底満足できたアルバムは1枚もないのではないか。もしかしたらその最後になってしまった『Pearl』('71)の完成を見届けることができていたなら、「やっと納得できるアルバムが作れたわ」と言ったかもしれない。それが叶わなかったことが、私にアルバム紹介をためらわせてしまった一番の理由なのだが。
 不世出なアーティストだったと思う。その一方でいろんな面で不遇の人だったとも思う。ロック界においても彼女が登場した時代は女性に不利な状況であったこと、狂騒的なドラッグカルチャーに翻弄されざるを得ない時代であったこと、ヒッピー・ムーブメントのシンボル的なパブリックイメージが付けられた…等々が彼女をロッククィーンに押し出す一方、押し潰してしまう原因にもなったと思う。それでも、亡くなって44年が経った今でもその名が忘れられることはないし、女性ロックヴォーカリストの代表的なひとりとして、必ず彼女の名前は出てくる。シンガーとしての力量、その類まれな感情表現、カリスマ性、影響力は、時代の変化や死後半世紀近い年月が経ったくらいでは葬り去られないくらい強力なものだとも言える。それは日本においても過去には“下北のジャニス”などと呼ばれたこともある金子マリ、現在においてはSuperflyの越智志保、GLIM SPANKYの松尾レミようなジャニスを慕うシンガーやフォロワーが生まれていることにも証明されているのではないだろうか。
 彼女が最初に加わったバンド、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー(Big Brother & The Holding Company)は名前こそ立派だが、そのアマチュアレベルとしか言いようがない演奏の稚拙さには目、いや耳を塞ぎたくなる。10歩譲って彼らの、そして彼女の代表作でもある『Cheap Thrills』(チープ・スリルズ/'68)を聴くと、すでに貫禄さえ感じさせるジャニスのシンガーとしての魅力は発揮されているのに、バックの演奏の安っぽさ、ヘタさが本来ならもっと高みに到達できたはずの“伸びしろ”の足かせになってしまっている。そう言えば、前述のSuperflyの越智志保は2009年の『ウッドストックフェス』40周年の記念イベントに招かれ、ビッグ・ブラザー~と共演しているが、アウェーな環境をものともせず堂々と歌う彼女にひきかえ、現役ではないにせよ、相変わらず切れ味悪く演奏がもたついているビッグ・ブラザー~には呆れた。当時のジャニスのジレンマがうかがえようというものだった。結果、当然の選択というか、ジャニスはこのバンドを脱退し、新たにソロとして再出発を図るのである。新たに組んだバンドはコズミック・ブルース・バンド(Kozmic Blues Band)。こちらのほうはビッグ・ブラザー~に比べて遙かに演奏技量も向上し、ホーンセクションも加えた、ソウル、R&Bにより接近したバンドだったが、急ごしらえのバンド感は否めず、唯一残されたアルバム『I Got Dem O'l Kozmic Blues Again Mama!(邦題:コズミック・ブルースを歌う/'69)もいまいち散漫なものになってしまった。そうこうしてるうちに、多くのコンサートやフェス参加、中にはあの『ウッドストック・フェス』なども経て、ジャニスは再度バンド再編を図り、ようやく満足のいくメンバーによるフルティルト・ブギー(Full Tilt Boogie)を組む。しかし、ツアーの合間を縫ってアルバム制作に取りかかった矢先、悲劇が待っていた。享年27というのはあまりにも早すぎる。残されたバンドが彼女の遺志を尊重し、ジャニス抜きのインストバージョンを含め完成させたのが名作『Pearl』('71)だった。
 前置きが長くなったが、彼女の死後、残されたライヴ音源、未発表の音源などから多数のコンピレーション、ライブアルバムが制作されている。そうしたアルバム、もちろん生前に彼女が残したアルバム、これらを久しぶりに聴き返し、迷いつつ5曲を選んでみた。

1. 「Summertime」('68)

オリジナルはジョージ・ガーシュイン作曲のミュージカル『ポギー&ベス』の劇中歌として有名なあのジャズ・スタンダードだが、ジャニスは原型をとどめないほどにアレンジし、見事なブルース曲にしている。激情たっぷりに歌うジャニスもいいが、こうしたじっくりと歌い込む曲のほうが彼女の本当の歌のうまさが伝わるのではないか。独特のハスキーな声、その語尾を震わせて微妙なニュアンスを伝えてくるスタイルには抗いがたい魅力がある。後にも先にも、こんなスタイルのシンガーはいないというか、彼女の登場以降、近いスタイルで歌う女性シンガーは多く出現したが、決定的に違うのは息遣い、吐息も含め、発声そのものがブルースになっている、あるいはそう思わせる天性の感覚を持っているか否かの違いかもしれない。それにしても、この曲でもギターが…何とかならなかったものだろうか。

2.「Little Girl Blue」('69)

散漫な…と腐してしまったが、アルバム『コズミック・ブルースを歌う』はジャニスのアルバムの中では一番愛聴したかもしれない。安定した演奏に支えられている(ジャニスといまいち噛み合っていないのだが)ことに加え、激しく歌い込んでいるタイトルチューン「Kozmic Blues」とこの曲が収録されていたからだろうか。どちらにしようかと迷ったが、歌のうまさが光るこの曲に軍配を上げた。もともとは象を主役にしたミュージカル『ジャンボ』の挿入歌でロレンツ・ハートとリチャード・ロジャースの作詞作曲チームの作品。ライヴでも重要なレパートリーになっていたのか、動画もアップされているので探されるといいだろう。「Summertime」もそうだが、ジャズ・スタンダードを独自解釈で歌わせると、ジャニスの歌のうまさが見事に引き出される。生きていればこの方面でも傑作が残せたのではないかと思うのだが。

3. 「Piece of My Heart」('72)

本来ならアルバム『Cheap Thrills』に収録されたバージョンが選ばれるところだろうが、バンドのお粗末な演奏が魅力を半減させている。ここでは死後リリースされた『Janis In Concert』('72)に収録されたライヴバージョンで。ここでの演奏もビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーが務めているのだが、前記のスタジオ盤の演奏よりはマシかと思う。緩急を付けたジャニスの歌い回しは素晴らしい。ちなみに、冒頭で触れたSuperflyの越智志保が自身のアルバム『Wildflower & Cover Songs』('10)でこの曲をカバーしている。比較的オリジナルのジャニスの歌い方に沿ったスタイルだが、本家に迫るようなリスペクト心あふれる歌いっぷりが見事。J-POPで活躍する歌手とあなどるなかれ、その力量に年配ロックリスナーも唖然としたのだった。ぜひ、両者の聴き比べなどされるといいだろう。そこには優劣などないのだ。

4. 「Me and Bobby McGee」('71)

晩年(と言える年齢ではなかったのだが)のジャニスの数少ない理解者であったクリス・クリストファースンの曲。彼女には珍しいカントリー風のナンバーだが、原曲の魅力を損なうことなく、なおかつ彼女の持ち味や声質を生かした、絶妙の表現力で歌い切っている。激情、絶叫、感情の爆発などとシャウトにばかりクローズアップして語られることが多いジャニスだが、本来、出身地がテキサスであり、こうした曲を聴くと、カントリー方面にまで守備範囲を広げられる実に器用なシンガーだったのではないかと思わせられる。日本ではプロテスト・フォーク・シンガーとして現在も活躍されている中川五郎がアルバム『また恋してしまったぼく』('78)で取り上げているが、こちらもいいカバーだ。

5. 「One Night Stand」('82)

どういう経緯だったか覚えていないが、80年代に入ってから残されていた音源をかき集めるようにして『Farewell Song』(邦題:白鳥の歌/'82)というアルバムがリリースされ、その中にこの珠玉の1曲が含まれており、ファンに衝撃を与えた。70年にマネージャーのアルバート・グロスマンを通じて紹介された、当時はまだ駆け出しのエンジニアだったトッド・ラングレンのプロデュースで制作されたものだが、バックを務めるのは、なんとポール・バターフィールド・ブルース・バンド。文句の付けようがないバックの演奏、バタフィールドのハープに煽られるように、ジャニスが気持ち良さそうに歌っている。完成度も含め、彼女の生涯ベスト5に入る素晴らしさだと思う。『Pearl』('71)収録の「Half Moon」(楽曲提供はジョン・ホール&ジョハンナ夫妻)と併せ、この時期、ジャニスはウッドストック人脈と付き合いを深めていた。急逝することなく、この線を追求していれば、と誰もがいきなり断ち切られた彼女の未来に涙したものだった。

著者:片山明

OKMusic編集部

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