理不尽な浮世を生き延びる、泣きなが
ら踊るためのアンセム5曲

「ついてない びっくりするほどついてない ほんとにあるの?あたしにあした」と詠んだのは歌人の加藤千恵さんですが、世の理不尽さに顔と声を失い、無彩色の虚無にまみれてGWを過ごした新社会人の方も決して少なくはないでしょう。努力すればした分だけ還元される景気のいい時代は遥か前に終わり、どれほど実績を積んでも給与が上がることもなく賞与も受給されず、「若者の○○離れ」という紋切り型の定型句ばかりが鉛の輪のように首にぶら下がり、きっと退職金も年金ももらえないけれど、明日は明日以降も無情なまでに訪れる。それでも音楽があるのなら、音楽に泣いて踊る瞬間が手の中にあるうちは、絶望から逃れることはできなくてもほんの束の間忘れる術はあって、また月曜から血まみれのまま笑って歩いていけるような気もするのです。

1. 「どぉなっちゃってんだよ」(‘90
)/岡村靖幸

《どぉなっちゃってんだよ 人生がんばってんだよ》というパンチラインで自身を鼓舞させるという生活を長年貫いてきましたが、改めて聴くとサンプリングとブレイクビーツが構築されては瞬く間に姿を変える極彩色の万華鏡のようなトラックと、岡村靖幸のパワフルなのにペシミスティックな歌声の歪さに頭がおかしくなりそうです。こんな先進的な楽曲がガンガン流れていたであろうバブル〜バブル世代直後の時代はさぞや面白かっただろうなあと憧れを抱くと同時に、物心ついた時から「ゆとり世代」と罵られてきた我が身が心底虚しくなります。

2. 「自己嫌悪」(‘93)/キミドリ

スチャダラパーや高木完、RHYMESTERらがメジャーデビューを果たし、日本でヒップホップが市民権を得た90年代前半に活躍したキミドリ。ラフでライトなフロウ、「酒と泪と男と女」をコラージュするポップネスの挾間で延々と繰り返される《時々自分が不安になる》というリリックがポケットサイズに切り取る真っ白な厭世観、きっとこの時ジャパニーズヒップホップという枝葉の萌芽が強固に伸びて行ったのだろうと感じさせるトラック。四半世紀近く経ってもなお「今だからこそ聴いてほしい」生々しさがあふれています。

3. 「Waltz」(‘90)/バービーボーイ

杏子とKONTAのハスキーでソウルフルな丁々発止のせめぎ合いが視覚的にも聴覚的にも鮮烈なバービーボーイズですが、こちらはKONTAのソロ曲。《あんな奴 あんな奴 死んじまえばいいや》という捨て鉢で不穏なフレーズと軽快なパーカッションから始まりを告げ、だんだんとKONTAの情念的な歌声の熱とギターの轟音が呼応し、無残な未練を美しく象る歌詞に血が通う。辞書で引いた“ワルツ”の意味にはおよそ含まれていないような、空高く突き抜ける光芒のようなサイケ感をはらんだ、物悲しくも声を張り上げて歌いたくなる“ワルツ”です。

4. 「BUS-BUS」(‘17)/クリトリック
・リス

クリトリック・リスのスギムさんはどうやって音楽活動だけでマンションのローンや年金や生活費等を捻出しているのだろうと思いきや、至極単純明快で、「とにかくいっぱいライブをしている」のです。大阪から格安の長距離バスに乗り、ネカフェで寝泊まりし、レッドブルでドーピングしてステージをこなしたらまた次の現場へ向かう、これをパンクネスと呼ばずしてなんと形容しましょう。曲は完全にブルーハーツの例の曲のオマージュですが、歌詞はそういう内容です。みなさんもぜひライブに行ったら拳を掲げ、股間にテルミンを仕込んだパンツ一丁の禿げたおじさんに向かい、あのメロディーに合わせて「バス! バス!」と叫びましょう。

5. 「Blood on the mosh pit」(‘15)
/Have a Nice Day!

いつの世もムーブメントやカルチャーは大半の人間が素通りする街の片隅で生まれることを体現しているハバナイ。彼らとその周辺の叫喚はやがて AVメーカーのHMJMをも巻き込み、昨年はドキュメンタリー映画も制作されました。ジューク/フットワーク、シンセポップ、ヒップホップを飲み込んだチープでジャンクで猥雑なディスコミュージックは、フロントマンの浅見北斗と観客のプロレス要素も容赦もない応酬、他人の汗と体温と肉体がぶつかり合う危うさに紛れて見知らぬ誰かと、“好きな音楽と心中する一夜”を共有するフロアで完成するのかもしれないと泣きながら実感した歌舞伎町の地下室で、何度も“正体不明の明日”を蹴破る勇気をもらいました。

著者:町田ノイズ

OKMusic編集部

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