【Am Amp インタビュー】
“いくつになっても夢を見れるんだ”
と思いながら必死にやっている
音楽のみならず、俳優・モデルとしても活動している須賀京介(Vo&Gu&Key)。彼が“都内・一人組バンド”として活動してきたAm Ampが、ドラムに俳優として2.5次元舞台などで主演も務めていた宮城紘大、ベースにビジュアル系バンドでの活動経験を持つ矢沢もとはる、ギターにサポートギタリストとしても活動しているJOHN(Gu)を加えて4人体制で始動した。そんな彼らが6月に2nd EP『where (Am) we?』を配信リリース。さまざまな経歴を持つ4人が今、新たなバンドケミストリーを生み出す!
このメンバー、サウンド、楽曲で、
“いける!”という勝ち筋が見えた
4人体制のAm Ampはどのように始動したのですか?
須賀
最初は僕と宮城くんだけだったんです。もともと僕がひとりでAm Ampを始めたんですけど、やっぱり“同世代でバンドがやりたい”と思って宮城くんと組むことになって。そこからメンバーを集めることになり、僕が声をかけて、2週間くらいでもとはるさんとJOHNが加わることになったんです。宮城くんとは5年目、もとはるさんとも11年目のつき合いですけど、JOHNとも奇跡的な出会いがあったんです。
JOHN
俺以外の3人はお互いに何かしらで共演経験があったんですけど、俺だけが全員と初対面だったんですよ(笑)。
矢沢
僕も宮城くんは舞台を観たことがあるぐらいで(笑)。
宮城
ちょっと待って! そうやって言うと角が立ちますけど(笑)。
(笑)。何だか新体制とは思えないぐらいに和気あいあいとした雰囲気ですね。
須賀
それぞれの人となりや相性に一番重きを置いて選んだメンバーなんです。スタジオで音を合わせたりしていなかった時でも、“絶対、この4人なら大丈夫だ”と思いました。
JOHN
俺が一番光る原石だった? 自分で言うのもなんだけど(笑)
宮城
自分で言うのね!(笑) JOHNはすでにお分かりのとおり、いい奴なんですよ。
伝わってきていますよ(笑)。矢沢さんと須賀さんが、このタイミングで一緒にやろうと思ったきっかけは?
須賀
僕自身は16歳ぐらいからバンドをやってきて、ミュージシャンを見る僕なりの基準みたいなものがあるんですけど、もとはるさんは世界で一番のベーシストだと思っているんです。実は4年前に僕が別の音楽プロジェクトを立ち上げようとした時に、彼を誘ったら断られまして(苦笑)。
須賀
でも、今回は電話で5分ぐらい話したら快諾してくれました。
矢沢
4年前は自身のバンドだったり、他にやりたいことだったりがいろいろあって。ずっと須賀くんと一緒に何かやりたいと思ってはいたんですが、“今じゃないな”と思っていたんですよ。だから、当時は断ってしまいました。そのあとで、僕は彼がひとりでやっていた時のAm Ampの「miteyo」(2022年8月発表の配信シングル)のMVを観たんです。それを観た時に“僕は絶対にここにいるべきだな”と思ったので、彼から久しぶりに着信がきた時点で“いよいよきたか”と(笑)。案の定、そうだったので即答しました。
何かに導かれたかようなタイミングの良さですね。
須賀
そうですね。当時はもとはるさんに断られて、“今、バンドは組めないや”と思っていました。そして、その時に役者活動で舞台のオーディションを受けたんですけど、それが宮城くんの主演舞台だったんです。運良くオーディションに受かって、宮城くんとの関係がつながって…あの時にバンドを組んでいたらオーディションは受けていなかっただろうし、宮城くんとも出会っていなかったと思います。これは初めてお話しするんですけど、普段からもとはるさんとは仲が良かったので、宮城くんとの初共演の舞台に誘ったら来てくれたんですね。だから、4年前の時点で、僕と宮城くん、もとはるさんは同じ会場にいたんですよね。
矢沢
僕、その1回しか舞台を観に行ったことないんです。
すごく運命的ですね。
宮城
京ちゃんに“どんなギタリストがいいの?”と質問した時に話していた見た目や人柄など、そのイメージを具現化した人物がJOHNでして。そんな夢のようなことが起こったんですよ(笑)。
須賀
僕はこれが“人生最後のバンド”だと思っているので妥協したくなかったんです。でも、こんなに運良く理想像みたいなギタリストが現れるんだ!とびっくりしましたね。
宮城
安直にこういう言葉を出したくないんですけど、本当にこの出会いには運命的なものを感じます。
4人が初めて音を合わせた時の感触はいかがでしたか?
矢沢
ライヴの絵が見えたので、この個性的なメンバーで、このサウンド、この楽曲で…“いける!”という勝ち筋が見えたんです。