【SNEAKIN'NUTS インタビュー】
アルバムを通して大前提に
“現実”がある
この時代に生粋のロックンロールを鳴らすバンドが現れた。2018年に結成された4人組、SNEAKIN'NUTS(スニーキンナッツ)だ。彼らが3月16日にリリースする初のフルアルバム『SNEAKIN'NUTS』は、今という現実と戦う全ての人に捧げるエネルギッシュな一枚になった。
コロナ禍で鬱屈が溜まっているのに
テレビで流れる音楽は
全然そういうのじゃない
最新アルバム『SNEAKIN'NUTS』を聴かせてもらいました。ロックンロールとひと言で括られるバンドだと思うものの、幅広い表現を感じられる作品ですね。
駿
ロックンロールとひと言で言ってもいろいろありますからね。それが器として楽だから、そういう言葉を使っているところはあって。もちろんそこに愛があるんですけど。
ゐうと
メンバー全員がロックンロールを好きなんですけど、好きな音楽はバラバラなんです。それが今回にアルバムに表現できたんじゃないかと思います。
それぞれどんな音楽が好きなんですか?
駿
僕はどの時代のロックンロールも好きなんですけど、60年代のThe Beatles、THE ROLLING STONESも好きですし、70年代ならパンク、そのあとのハードロック、オルタナティブとか。ロックは全部好きなんですよ。まぁ、洋楽が多いですけどね。
最初に好きになったのはARBだったそうですね。
駿
そうです。親父が好きだったみたいなんですけど、僕の教育方針的に母親が“聴かすな”と言ったらしくて。家の押し入れにCDが隠してあるのは知っていたので、中学の時に聴いたんです。ジャケのインパクトだけでもすごくて。不良4人がこっちを見ているっていう。雷に打たれたような衝撃でした。
RYO
僕はパンクロックですね。そこに悲しさとか人間臭さがあるバンドが好きで。具体的に言うとThe Clashとか。そのあとの世代だと、RancidとかSocial Distortion。日本だと、もう少しアンダーグラウンドで、昔にTHE HONG KONG KNIFEっていうバンドをやってたジョー・アルコールとか、LAUGHIN' NOSEとか。カッコ良いんだけど、どっか悲しい感じがある…夕暮れとか朝焼けとか、そういう悲しい景色が浮かばないと僕は響かないんです。
ゐうと
自分は80年代のジャパニーズパンクですね。ザ・スターリンから入ったんですよ。出身が茨城なんですけど、近所にレコードもかけるようなブティックがあって、そこに遊びに行った時に“これを聴いてみな”と渡されたのがスターリンだったんです。高校生の時に“俺は何なりたいんだろう?”って鬱屈としていて、そこにピタッとハマったんですよね。豚の内臓を投げているのを見て、“あっ、ロックはこれもありなんだ”ってとらえちゃったから、最初はだいぶ偏っていたと思います。
しょうとくんは?
しょうと
正直に言ってもいいですか? バンドのイメージに合わないんですけど…。
どのグループですか?
しょうと
関ジャニ∞です。それでバンドに興味を持つようになって。元メンバーの渋谷すばるさんがザ・クロマニヨンズとコラボしたのをテレビで観て、ロックに目覚めたんです。“こんな無茶苦茶な人がテレビに出ていいのか!?”って。そこからバンドを掘っていきました。
話を聞いていると、確かに古いロックンロール、パンクが共通項ではありそうですけど、結構バラバラですね。このメンバーが出会ったきっかけは何だったんですか?
駿
4人とも出身地も違っていて、東京で出会ったんです。僕が上京した時に組んでいたバンドが3年前ぐらいに解散してしまって、たまたまギターのRYOがやっていたバンドも動かなくなっていたから、そこで“一緒にやろうか”っていう話になったんですよ。
駿
当時、僕のバンドにはベースがいなかったら、別のバンドをやっていたゐうとに“ベースを弾かせてよ”って言われていたんです。でも、解散するからって断っていて。RYOと新しいバンドを組もうってなっていた時に改めて連絡をして、一緒にやることにしました。で、半年ぐらいはサポートドラムとやっていたんですけど、辞めてしまって。2週間後にライヴがある状態の時に、いつも行ってるスタジオに“ベーシスト募集”みたいな貼り紙があったんです。そこにドラムのしょうとの連絡先が書いてあったから、ちょっとこの人を見てみようってなって。
駿
うん。ベーシストを募集しているバンドのドラムを引き抜いちゃったんですよ。
しょうと
そもそも僕はそのバンドのサポートだったから、“なんで名前が載っていたんだろう?”って、あとで思ったんですけど(笑)。
駿
そのしょうとがいたバンドはブルースバンドだったんですけど、Twitterで映像を観たらすごいエイトビートで叩いてたんですよね。なので、そこからずっとこのメンバーです。それが2019年ですね。
組んだ時からロックンロールバンドをやるっていうのは定まっていたんですか?
駿
いや、具体性はない始まり方でした。何か動かなきゃっていう気持ちだけでしたね。自分のバンドは解散するし、みんなのバンドもうまくいってないし。“とりあえず始めちゃおうぜ”みたいな感じだったんですよ。バンドとしてひとつの塊になってきたのは、ここ半年ぐらいだと思います。
RYO
メンバー全員が“今を生きなきゃな”っていう意識が出てきた感じがあるんですよね。それがエネルギーになってるんじゃないかな? コロナ禍になって吐き出し口がないのもあるし。
バンドとしては12週連続でスリーマンライヴを企画していたり、精力的に活動をしていこうっていうタイミングでコロナ禍に突入してしまったんですよね。
駿
半年ぐらいかけて準備してきたイベントが飛ぶっていうのは2、3回ありました。僕らだけじゃないと思うんですけど、いろいろな人がそういう影響を受けていますよね。でも、そうじゃなくても、とっくの昔からおかしなことなんか山ほどあるし、狂ってることなんていくらでもあったと思うんですよ。その鬱屈が明らかに溜まっているのに、テレビで流れてくる音楽は全然そういうのじゃない。“今、ここでこんな歌をみんな聴きたいのか?”って、一昨年からずっと思っていて。今はもうこれまでの常識は通用しないじゃないですか。全部自分の判断でやらなきゃいけないってなった時に、そこを理解してくれてる歌を聴くと感動するんです。同じような人は絶対にいるだろうし、自分たちが今声をあげないでどうするんだっていう気持ちになったんですよね。
なるほど。今の話って、今回のアルバムの4曲目に収録されている「Just wanna Rock'n'Roll」のテーマそのものですよね。《退屈な歌垂れ流してる》と歌っているし。
RYO
僕の地元の先輩が売れたんですよ。その歌をテレビで聴いた時に、海外の4文字言葉が僕の心にブワーッて浮かんで(笑)。こんなクソみたいな時代なのに、そんなしょうもねぇ歌がって…“しょうもねぇ”って言ったら失礼ですけど。でも、その怒りで作った曲です。
メインストリームの音楽に抗っていくというのがロックの歴史ではありますよね。
RYO
それを楽しく表現するのが、僕らみたいなロックが好きな人間の仕事かなって思いますね。
ゐうと
「Just wanna Rock'n'Roll」もそうだし、他の曲も駿とRYOがだいたい作ってきて、僕としょうとで編曲をするんですね。今回のアルバムを作っていて、こういう時代を4人で転がりながら生きているからなのか、メタファーっぽく表現している歌詞の本当の意味はこれだってしっくりくることが多かったんです。“やっぱり同じことを考えているんだな”って思えたというか。
具体的に、どの曲でそれを感じましたか?
ゐうと
「Aishiteyamanai. Rock'n'roll. Band.」ですね。自分もヴォーカルで歌詞を書きますけど、なかなか自分には書けないことを駿は書いてくれているんですよ。特に《万里の波濤を飛び越えて 冷たいカゼがやってくる》はコロナ禍のことなのかなとか。それは僕の感じたことなので、いろいろな受け取り方があると思いますけど。
歌詞の意味を本人に聞くことはあるんですか?
駿
それは粋じゃないですからね。ロックって粋だからカッコ良いと思うんです。歌詞は言葉なんだけど、言葉とはまた違うっていうか。言葉として話してしまうと粋じゃない。
RYO
一歩間違えると、すごく押しつけがましくなっちゃうしね。
「Aishiteyamanai. Rock'n'roll. Band.」みたいな、やさぐれたパンクでアルバムを締め括るのも痛快ですよね。その前の「スターライト・ドリーマー」で壮大に終わるほうがきれいなんだけど。
駿
そう! それは悩みました。最初に曲を決めた時は「スターライト・ドリーマー」で終わろうと思ったんです。でも「Aishiteyamanai. Rock'n'roll. Band.」だけは、レコーディングをして家に帰って聴いた時に泣けてきたんですよ。今までやってきたことが走馬灯みたいに浮かんできて、レコーディング中のメンバーのこととか、対バンしてきた人のこと、“あいつ、地方で頑張っているかな?”とか。
もともと作った時にも、そういうものを思い浮かべながら書いたんですか?
駿
いや…うーん、この曲は明るくはないと思うんですよ。ドラムのしょうとにも“暗いですよね、歌詞が”とて言われましたし。曲調は底抜けに明るいんだけど、悲しみがあった上で、その奥に見えてくる光というか。そういう歌に仕上げたかったところはありましたね。