【鍵 インタビュー】
不完全が許されることを
伝えていきたい
愛知在住のシンガーソングライター・鍵が、3月9日にそれでも世界が続くなら主催レーベル『You Spica』の育成/配信部門『YouSpica alpha』からアルバム『燐光』を配信リリースする。不完全なまま、不格好なまま音楽を続けたいと語る彼の音楽活動の軸について話を訊いた。
最悪だった初めてのライヴが
アルバムデビューの道を開いた
まず、“鍵”というアーティスト名が印象に残りますが、どんな由来があるのでしょうか?
もともとTwitterのアカウント名を“鍵”にしていたんです。なぜかと言うと、自分が抱えている想いを赤裸々に話す裏アカウントのようなものにしたいと思って。その名前で5年くらい続けていたら、フォロワーさんやつながりのある人ができて、この名前をアーティスト名にしました。
なるほど。音楽活動を始めたのはいつ頃から?
実は父がバンドをやっていて、ベースとヴォーカルを担当していたんです。ただ、父は母と不仲で、家庭が崩壊していました。僕は父が嫌いで、その影響で音楽自体も苦手でしたね。でも、中学生の時に同級生が学園祭でバンドをやっていて、僕は引きこもっていたのであまり学校に行っていなかったんですが、彼らの姿を観て憧れたんですよ。当時はRADWIMPSをよく聴いていましたね。そして、本格的に自分のメッセージを届けたいと思うようになったのが、それでも世界が続くならとの出会いでした。
それでも世界が続くならのどんなところに魅了されたのでしょう?
それでも世界が続くならの楽曲を聴いて、僕みたいに引きこもっていたり、つらい想いをしてきた人間に刺さる音楽を初めて体感した気がして。“世の中にこんな音楽があるんだ!?”と分かり、“僕もこういう音楽を届けたい!”と願うようになったんです。それで17、18歳の頃にギターを買いました。音楽をやっている人たちからすると、かなり遅いと思うんですけど、ギターがあればカバー曲を歌ったり、自分で曲を作って表現できるんじゃないかと思って。引きこもって表に出ることが苦手だったのですが、その反動なのか“表現したい”という想いがあふれて、ギターを選んだというかたちですね。音楽活動はずっとしたいと思っていて、たまにTwitterに弾き語り動画を載せていたんですけど、自分には自信がなくて。ある時、それでも世界が続くなら主催の『反撃文化祭』というリスナー参加型のイベントに、ヴォーカル&ギターの篠塚将行さんから“出てみない?”と誘ってもらって、それが初めてのライヴでした。
イベント出演が初ライヴだったのですね。
そうなんです。だから、コードを間違えるは、歌詞は飛ぶはで、本当にひどくて。さらに当日はオリジナル曲の他に、それでも世界が続くならの「参加賞」という曲をカバーしたんですが、「参加賞」にはすごく思い入れがあり、ライヴ中に歌いながら泣いてしまったんです。でも、篠塚さんは“良かったよ”と言ってくださって。その後、声かけていただいて、デビューすることになりました。
オリジナル曲も披露されたそうですが、いつ頃から曲を作り始めたのでしょうか?
カバーは昔から独学でやっていたんですけど、曲の作り方が分からなくて。でも、『反撃文化祭』に出演するにあたって、“できればオリジナルを一曲でも歌ってほしい”という要望があったんです。まったく自信はなかったのですが、自分の考えや想いを残したいと思ったので、最終的にそこで初めて曲作りに挑戦しました。