【ヒヨリノアメ インタビュー】
ヒヨリノアメの曲は自分そのもの
平均年齢20歳のロックバンド、ヒヨリノアメが初の全国流通ミニアルバム『記憶の片隅に』をリリースする。AKI(Vo&Gu)の実体験が描かれた楽曲たちは美しいメロディーを湛えながらも時には心の叫びとして耳に届く。そして、そんな彼のリアルな感情と、それに寄り添うサウンドの心地良さが4人の絆を表している。
この4人がそろってから自信を持てた
2015年の夏に結成されたそうですが、その経緯というのは?
AKI
高校1年生の終わり頃くらいから僕がシンガーソングライターとして弾き語りで活動していて、ライヴハウスで当時違うバンドをやっていた山崎と出会ったのがきっかけでした。それで高校2年生の時にバンドやろうって声掛けてもらったんですけど、他にメンバーがいなくてなかなか結成には至らなくて。でも、それから山崎がメンバーを集めてくれたんです。
山崎
ライヴハウスでAKIの弾き語りライヴを観た時に、他の出演者がコピーをやっている中でひとりだけオリジナル曲も歌っていて…上からみたいな言い方になっちゃいますけど、光るものがあるって思いました。そしたらAKIがTwitterで“バンドがやりたい”って投稿しているのを見付けたので声を掛けて。
現代的ですね!
AKI
今思えばそうですね(笑)。僕はBUMP OF CHICKENに出会った小学生低学年の頃からずっとバンドがやりたかったんですけど、入学した高校には軽音部がなかったり、バンドメンバーを集める行動力もなくて、ひとりでギターの弾き語りをやってたんです。だから、山崎に誘ってもらった時は本当に嬉しくて、やっとバンドを組めるってことにワクワクしました。
山崎さんはずっとドラムひと筋なんですか?
山崎
母親がピアノの先生をやっていたので、ずっとピアノを習っていたんですけど、ある時に嫌になってしまって楽譜を破ったことがあって、その日を境に辞めちゃったんです。でも、音楽はずっと好きだったので、小学生くらいからバンドを聴くようになって、中学生でドラムを始めました。
大橋さんは?
大橋
兄がピアノ教室に通っていたので、その送り迎えで付いて行ってたのがきっかけですね。クラシクピアノを始めて、高校に入ってからはやっていなかったんですけど、山崎と中学が同じでよく連絡を取っていたので、その流れでこのバンドに誘ってもらいました。それまではバンドって全然聴いてこなかったんですけど、ゲスの極み乙女。を聴いた時にピアノがいるバンドもあるんだって感動したのを覚えてます。楽曲制作もバンドを組んでから初めてやりました。
もともと地元である茨城の水戸で活動をされてましたが、3人が上京した2017年に萩谷さんも加入されて。
萩谷
もともとAKIが弾き語りでライヴをしていた頃から知ってたんですけど、それからヒヨリノアメと対バンをするようになって、僕がやってたバンドが動かなくなるってタイミングで誘ってもらって入りました。最初はサポートで頼まれていたんですけど、スタジオに入った初日に正式メンバーとして入るって決めたんです。それだけこのバンドに魅力を感じて加入したので、そこからの2年間は早く感じましたね。
現体制になってから2018年2月にはアルバム『菫の咲く頃に』、7月にはEP『傘とシンデレラ』をリリースしていますし、地元の水戸で初のワンマンライヴも行なっていて、他のメンバーの方にとっても駆け抜けた期間だったのでは?
AKI
はい。本当にあっと言う間でしたね。前のベースが抜けてからメンバー3人だけで上京して、バンドが全然動けてない期間は本当に不安で、その何もできなかった時間が自分の中で一番長く感じたんですよ。だから、この4人になってからはバンドのことばっかりで、気が付いたら2年が経っていました。
山崎
萩谷が入ってくれたのは転機でしたね。できることが広がったし、今はこの4人がいることの重要性を強く感じてます。
AKI
うん。この4人でヒヨリノアメだって自信を持って歌うことができるようになったし、それは楽曲制作にも影響してますね。