Hilcrhymeを辞めるとしたら
TOCも辞める
そんなTOCさんがヒップホップを始められた2000年代は国内でも一般的に広がりを見せ、数多くのアーティストがテレビ番組などでも活躍し始めていました。これまでのように攻撃的なリリックで突き通すアーティストとJ-POPの要素を取り入れるアーティスト、このふたつに分かれていた気がしましたが、その時代を振り返ってみていかがですか?
『さんピンCAMP』(1996年7月開催のヒップホップフェス)が夜明けの時期だとしたら、ヒップホップが一気に日の目を浴びたのが2000年初期だと思います。コアなものからポップなものまで多種多様なものが出てきて、地方勢にも日の目が当たる時期でもありましたし、全てが盛り上がっていく時代でしたよね。
これまでJ-POPやバンドものを中心に聴いていたリスナーがヒップホップに注目して、インディーズバンドを探すように地方のアーティストに興味を持つようになった気がしますね。
確かにその時期から地方勢をピックアップするコンピレーションアルバムも増えましたよね。川崎のCLUB CITTA'とかもコンピを出していた気がしますし、レコード屋さんが盛んな時代だったのでピックアップしてくれたりもして。地方にいる自分たちが全国の人の目に触れるようなところに一回でも出ることで、アーティストの意識も高まっていたんです。
“あいつが出たから俺も負けない!”という想いが生まれたと。
そうです。それが勢いづけた大きな要因だと思います。僕らの世代で頭角を現したのは、KEN THE 390、TARO SOUL、COMA-CHIとか。それぞれが続々とデビューしていきましたから。
メディアの力は大きいですね。そして、2006年からHilcrhymeの活動もスタートしました。HilcrhymeはラップにJ-POPの要素を取り入れたまさにJ-ラップユニットですが、コアではなくポップなサウンドを選ばれたのには理由がありましたか?
ありますよ。売れたいというか、より大衆に自分たちを放つためにはメジャーデビューが必須だった。それまでは深夜帯のクラブでずっと歌っていたんですけど、地元の学園祭とか地方テレビ局の祭りとかに出ていくようになったのはマスメディアに向けて放っていきたかったからです。
その時から戦略的に活動をされていたんですね。
深夜帯に限界を感じていたんです。深夜のライヴだと若い人しか来ないので。老若男女に響かせたかったんです。
Hilcrhymeはデビュー当時から見ていましたが、そんなに戦略的だと思いませんでした(苦笑)。
実際に活動していると分かるんです。よく考えたら深夜に歌っているとコンディションが悪い可能性もあるし、まず普通の人は寝ていますから(笑)。ヒップホップは深夜だからこそ生まれた音楽ではありますけど、やはり広がっていくには限界があると。
TOCさんはHilcrhymeがスタートして間もなくソロ活動も並行して始められました。ソロでメジャーデビューするまでインディーズで活動し、苦労されたということですが、Hilcrhymeがもっと安定してから始めても良かったと思います。なぜ、苦労する可能性が高いにもかかわらずソロ活動を始めたのですか?
確かに早い段階でソロをスタートさせたとは思いますね。ただ、僕はすごく欲張りなので、どっちもやりたかったという想いが強かったんです。深夜帯に限界を感じたと言いましたけど、そっちでしかできないこともあったからどっちもやりたかった。それを周りに許してもらえたので、大変でもなく怖くもなかったんですけど…やらなくても良かったかなと思います(笑)。
えっ!?(笑)
ソロ活動を始めて10年経っていますけど、今ではどっちでも良かったと思いますね。
でも、当時は大学生の頃にソロで活動して、がむしゃらにもがいていた感覚をもう一度味わいたかったという気持ちもあったんじゃないですか?
そうです! それがしたかったんですよ。泥臭い活動がしたかったけど、思い返せばやらなくていいんです。なぜなら大学時代にすでに経験していたんですから。わざわざ戻る必要がなかった。だから、どっちでも良かったという結論になりました(笑)。
なるほど。ただ、Hilcrhymeがあるのだから同じレコード会社からメジャーでソロ活動をすればいいのに、あえてインディーズで活動を始めたTOCさんを見て、当時の私は“この人は何を考えているんだろう?”と思いましたよ(笑)。
あははは! 自分でも“何を考えているんだろう?”と思いますね(笑)。DJ KATSUからも“おまえがソロでやりたいことを俺が一緒になってHilcrhymeでやったのに!”と、あとから言われたし。まぁ、それすらも当時は彼に言える関係性ではなかったんですよね。
当時はビジネスパートナー目線でのつき合いに近かったと。
弊誌でもソロ活動10周年作品となるベストアルバム『TOC THE BEST』のインタビューを掲載したばかりなのに、ここで“やらなくても良かった”という言葉が出て、ファンの方は驚くでしょうね。
そうですよね(笑)。でも、これが言えるようになったのは本当に大きなことです。
そうなんですね。ソロ活動を始めた頃は弱音を吐けなかったのですか?
弱音は吐けなかったです。自分の中で何か大きなものを持たないといけないと思って頑張りましたが、結果的にはその大きなものがなかった。Hilcrhymeも含めて大きなものはあったんですよ。というのも、ソロをやらなかったらHilcrhymeでやっていたとも思って。でも、それはソロをやったからこそ気づいたことなので、決してネガティブな意味での“やらなくても良かった”ではないんです。
なるほど。その気持ちもありつつ、Hilcrhymeと並行して10年間続けてこられた要因は何だと思いますか?
意地だと思います。ただ、ソロでもインディーズとメジャーを経験して出会いがたくさんあったことで、その経験をHilcrhymeに落とし込めましたし、今はひとりで両方の活動をしていますが、ふたつの道に分かれていたものが限りなく近づいていて。そこから生まれるものがある。なので、10年続けられた理由としてはHilcrhymeがあったからだと思います。
その経験を体現したのが、昨年のHilcrhymeとTOCのアルバムを同時リリースし、同時にツアーを回ったことですね。
そうです。だから、単純にHilcrhymeを辞めるとしたらTOCも辞めますね。どっちかを残すということはないんじゃないかな?
そう考えると昨年に同時で活動されたのは本当にすごかったです。
もう、あれが意地の結晶です(笑)。どっちもピンで活動することになっちゃったから、“やる意味があるのか?”という声もあって。だからこそ、どっちも意味があることを提示しなくちゃいけないと思ったのでやりきりました。
強い意志を持ってやりきることがすごいです。TOCさんはやりたいことを決めると最後まで諦めない方なんですね。それが“意地”という言葉に表れている気がします。
まずは行動を起こすこと、衝動的に動くことじゃないですか。頭で考えるよりも動くことが最優先なんです。理由づけはあとからでいいと思っているので。だから、衝動は絶対に逃さないようにしています。それが良いのか悪いのかは分からないですけど…
まずはやってみないと分からないということですね。
Hilcrhymeを始めた時も、ソロ活動を始めた時も衝動で動いていて、そうやって始めたものは今までの人生で絶対に結果が残っている。だから、衝動で動くことは悪くないんです。あとは、それをどうやって続けるのかですよね。やり方や満足する期間は人によって違うと思いますが、俺はソロ活動で10年経って“やったな”と思えました。剣道も10年やって“やったな”と思いましたから。そして、そこで辞めるどうかはその時の満足度や納得度によりますが、TOCはまだまだ満足していないし、納得もしていないのでこれからもやっていきたいですね。
では、最後になりますがTOCさんにとってのキーパーソンを挙げるとすると?
ということは、お父さまの性格と似ているんですか?
いや~、似てほしくはない(笑)。マジで傍若無人だし、厳しい人だったんですよ。溶接業をしていた職人なんですけど、俺の男としてのカッコ良い軸を作ってくれたのは親父なんです。反面教師としても全部が父親の影響を受けていて。俺は3人兄弟の末っ子なんですけど、上のふたりは公務員をしているので、俺だけが個人事業主をしているんですね。親父も個人事業主で自分の腕一本で家族を食わせてきたわけだから、俺は親父と同じことをやっているのかなと思います。
似たくはないけど、自然と似ているんですね。
似たくはないですけどね(笑)。でも、結果的に父親が言っていたことの意味が分かることが、今はすごく多くて。だから、人生を振り返ると僕のキーパーソンは親父しかいないですね。
取材:岩田知大