キリンジを通っているか
通っていないかでだいぶ違う
2005年にはソロプロジェクトの馬の骨もスタートされました。このプロジェクトを始めたきっかけは?
当時のキリンジのレコーディングは僕たちと冨田恵一さんのPCを中心にしながらプリプロをして、スタジオではいろんなスタジオミュージシャンの方に曲によって適材適所で入っていただいていたんです。僕は元々バンドサウンドが好きだったので、固定のメンバーでレコーディングをしたいという想いがあったのですが、キリンジでは難しかったんですよね。それで、ソロプロジェクトというかたちでやらせてもらいました。
なるほど。馬の骨は3枚のシングル、2枚のアルバムを発表されていますので、キリンジとは別の活動をする中でソロの楽しさを感じられていたのではないかと思いました。
そうですね。ただ、それまでと大きく違ったのが、アルバム用の曲を全部ひとりで書かなければいけないし、セルフプロデュースも初めてだったので、すごく大変でした。同じメンバーでレコーディングをするのですが、どうしても録音後に自分で手を加える必要があって。ベーシックなもの以外をセルフで管理して作る大変さを初めて知ることができましたね。
チームでいう舵取りの大変さを知れたと。
そうです。なので、レコーディングは常に大変だった記憶しかないです。
馬の骨はキリンジと並行して活動されていましたが、2013年に泰行さんはキリンジを脱退されました。ソロプロジェクトも続けることで泰行さんの中で音楽に対する何か新たな感情が生まれたことが起点なのかと想像しましたが、脱退に至った経緯をおうかがいすることは可能でしょうか?
確かに馬の骨の隙があってシンプルなサウンドは、より自分らしいなと感じたりもしましたが、脱退の主な理由としては要はお互いがお互いの楽曲に参加出来なかったということですね。僕も兄もギターを弾き、作詞作曲、アレンジもする。僕がメインで歌うということ以外は役割が全て被ってしまっていたんです。お互いに気を使って相手の弾くパートを設けたりもしましたが、それでも結局は双方のリクエストしたフレーズをそのまんま弾くような感じで、共同で音楽をクリエイトしているという感覚にはなれなかったんです。例えばどちらかがベースだったり、キーボードだったり、担当する楽器が違っていたら話は変わっていたかもしれないですが。
改めて、泰行さんとってキリンジでの活動はどのようなものでしたか?
兄だったり、冨田恵一さんだったり、一緒にレコーディングを手伝ってくれたプレイヤーの方々もそうですが、才能がある人と一緒に仕事ができたという意味ではキリンジを通っているか通っていないかでだいぶ違うと思っていて。キリンジで活動することで所謂うまいスタジオミュージシャンの演奏の良さも分かるようになったし、自分にとっての音楽的な価値観を広げてくれたりもしましたね。
キリンジで活動をされたことで、ご自身の視野が広がって“自分のやりたい音楽はこれだ!”と気づけたのかもしれないですね。
だから、自分にとっては大変だったけど、退屈したことは一度もなかったから、それは凄く良かったですね。