Curly Giraffeが語る、楽しみながら
曲を作る方法「音楽が好きというエネ
ルギーが今も動機に」

(参考:細野晴臣が語る“音楽の鉱脈”の探し方「大きな文化の固まりが地下に埋もれている」)

・「その瞬間瞬間にやりたいことがあって、それが変化していく」

――05年にファーストEPをリリースしていますので、Curly Giraffeは構想段階などを入れると既に10年のキャリアになりますね。当初からこうした息の長い活動を想定されていたのでしょうか?

高桑圭(以下:高桑):いやいやいや、もう、全くそんなつもりじゃなくて。ファーストアルバムを出して終わるはずだったんです。ソロをやりたいって気も全然なかったんだけど、知り合いのレーベルの方が「曲があるなら出してみないか」と言ってくれて。確かに曲はいっぱい書いていたんです。今よりはもっとスケッチに近い感じのデモだったんですけど、それを聴いてもらったら「このままでも十分いい」ってことで。だったら記念に1枚だけ出すか、そんな気軽な感じだったんですよね。まあ、言ってみれば記念リリースです(笑)。ファーストのタイトルが『Curly Giraffe』なのも、それ1枚で終わるはずだったからなんですよね(笑)。ライブをやるつもりも、2枚目、3枚目を出すつもりもなかったですね、その時は。

――私が最初にCurly Giraffeの取材でお会いした時は、もう既に活動がコンスタントになってきていた時でしたが、このまま続けようという気持ちになったのには何かきっかけがあったのでしょうか?

高桑:まあ、単純に聴いてくださったみなさんのおかげではあるんですけど、もともとこのCurly Giraffeに対しては、他のアーティストに楽曲を提供したりする感覚と少し違って、作品を作るプレッシャーを与えないようにしたかったんです。リラックスして楽しみながら曲を作る。それが一つのコンセプトだったりもしたんで、だから続けていくことができたんじゃないかと思いますね。むしろ、他ではできない、もっと開放的な気持ちで作品を作りたいという思いが強まっていったってことなのかもしれないです。本来の(自分の)姿をそこで曝け出したいというか…。もちろん、制約があった上で作品を作る楽しさ、醍醐味もあるんですけど、Curly Giraffeはそうではなく、もっと自由な環境で作っていきたかったんですね。

――だから、ずっと宅録を貫いていらっしゃる。今回のアルバムも堀江博久さんが部分的に参加されていますが、基本は全て高桑さん自身での作業ですよね?

高桑:そうです。曲を作る際、まず最初のアイデアをカタチにする時に自分の部屋で作業していた方がいいんですよね。そのあとに、ゲストを呼んだりすることはもちろん可能なんですけど、誰かと一緒にやって膨らませていくということはCurly Giraffeには求めていないというか……簡単に言うと、自分のデモが好きなんですよ(笑)。

――ただ、デモという感じが全くしないですよね。今回のアルバムだと例えば「Manassas」という曲、これは、まあ、普通に考えてスティーヴン・スティルスのマナサスを視野に入れて作られた曲だと思うのですけど……。

高桑:はい、そうです(笑)。

――(笑)。でも、音質は70年代前半に出たマナサスの作品とあまり変わらない印象だったんです。つまり、“一人で自宅で制作するデモ=スタジオ入り前の仮段階”という感覚がない仕上がりなんですよね。

高桑:ああ、確かにそういう感覚でデモを作っているわけではないですね。なんでこういう宅録スタイルをずっと続けているかっていうと、やりたいことが常にいっぱいあるからなんです。本当は、“生涯一ロカビリー”とか“生涯一パンク”みたいなのに憧れがあるんですよ。ラモーンズのように、その道でずっといく、みたいな。でも、それは自分にはできない。なぜなら、やりたいことが色々とあるから(笑)。その瞬間瞬間にやりたいことがあって、それが変化していく。だから、その瞬間をすぐカタチにしていくには宅録の状態にしていないといけない。結果としてそれがCurly Giraffeのコンセプトになっているわけです。だから、その「Manassas」にしても、マナサスを改めて聴いて、いいなあこういうのっていう気持ちが高まったところで曲を作って録音したってわけなんです(笑)。

・「脳内にあるイメージをどんどんリアルにカタチにして表現できるようになってきた」

――「Not in a Million Million Years」はドゥー・ワップの要素が軸ですね。

高桑:そうですそうです。あの曲はですね、たまたまキャロル・キングの伝記本を読んでいた時に作ったんです。キャロル・キングがごく初期にドゥー・ワップの曲を作っていた、という部分が出てきて、“あ、そういえば、Curly Giraffeにドゥー・ワップの曲ってないなあ…”って思ったのがきっかけでした(笑)。それで作ってみようって。ただ、そういう場合って、普通はドゥー・ワップを徹底的に研究したりするもんじゃないですか? でも、僕はイメージだけで曲を作っちゃうんです。グルメ番組を見て想像で自分でも料理を作っちゃうような、言ってみればそんな感じですよ(笑)。

――レシピを見ずに作っちゃう。

高桑:そうそう。雰囲気で(笑)。

――いいな、作ってみよう、よし出来た、美味しい!みたいな。

高桑:(笑)まあ、そうですね。

――Curly Giraffeではそういうソングライティングが中心ですか?

高桑:そういうのばっかです(笑)。「People are Strangled」は、リンダ・マッカートニーのソロの曲「Seaside Woman」(『Wide Prairie』収録)みたいな曲書いてよって堀江くんに言われて。あの曲ってカリブっぽいというかダブっぽい曲なんですけど、そういえばそういう曲って作ったことないな、じゃあ、作ってみようかなって、ほんとそんな感じですよ。

――(笑)。それでもちゃんとドゥー・ワップならドゥー・ワップ風の曲、カリブ風ならカリブ風になってしまう。

高桑:それはやっぱりこれまでの経験がモノを言っているんでしょうね。作り手としての経験とリスナーとしての経験と。でも、20代の頃だったら、絶対にこういう作品は作れなかったと思いますよ。

――今まで以上に1曲ごとのカラーが明確で、無邪気に好きなことをやろうという気持ちがストレートに出るようになった印象もあるのですが、それも経験の積み重ねだと感じますか?

高桑:あ、それはあるかもしれないですね。もちろん、その1曲1曲を作る前後はかなり集中してその曲の世界に入っていますし、夢中になっているから決して適当じゃないんです。ただ、そこに辿り着くまでが異常に早いんですよね。曲を作っている時に悩むことはないんですよ。単純に音楽が好きだから…でしょうね。今回は特に楽しんで作った実感もありますしね。脳内にあるイメージをどんどんリアルにカタチにして表現できるようになってきた感じがありますね、ファーストの頃に比べると。そのまま自分の脳みそをコンピュータにつないだら音になる、みたいな風になるのが目標ですね(笑)。ただ、今回のアルバムはこれまでとちょっとだけプロセスが違って、少し時間をかけているんです。今までだと1日か2日でオケを録音しちゃっていたんですけど、今回は先に骨組みだけ作って、後から肉付けを時間をかけてやりました。

――1曲を仕上げるために時間を少し置くようにしたということですね。なぜそうしようと?

高桑:やっぱり1日2日で作ってしまうと、その時だけのアイデアが反映されちゃう。それもいいんだけど、もうちょっと一回俯瞰で見て、アルバム全体のイメージを考えながら作ってみようかなと思って。

――言わば“寝かせる”作業ですね。

高桑:そうですそうです。実は今回初めてそういうことをしてみました(笑)。一週間くらい置くと、違うアイデアが出てくるじゃないですか。考えてみたら、そうやって寝かせることも今まであんまりやってこなかったなあって思って(笑)。まあ、今までは他の仕事とか作業に追われて、その日のうちに曲を仕上げないと間に合わなかったりもしたんで…。ただね、実は今回、前作からは確かに2年半ですけど、途中で少し迷ったりした時期もあったんです。ソロだし一人で作ってるし、当たり前なんですけど、表現に制限がなくて、打ち込みだろうがなんだろうが、自分がやりたいことをやればいいっていう自由であるがゆえに、完全に落としどころを見失った時期があって。しばらくわかんなくなっちゃったんです。実は去年9月にソロのワンマンライブをやってるんですけど、それは本来ならレコ発ライブの予定だったんですよ(笑)。でも、全然アルバムが仕上がってなくて、ただのワンマンライブになっちゃった。まあ、それはそれでよかったんですけど、結局、今回のアルバムに入っている曲はその後…もっと言ってしまえば、今年に入ってから作ったものばかりなんです。

――もしかすると一度作ったものをお蔵入りにしたのですか?

高桑:いや、素材はいっぱいあったんですけど、あまりに方向性が違い過ぎて収集がつかなくなっていたんです。実際、打ち込みの曲も作っていたんですよ。去年はブラッド・オレンジとかをよく聴いていたので、ああいう80年代のプリンスみたいなのっていいなと思って自分でも試してみたり…。自由過ぎるのもナンだなあって(笑)。

――あ、でも、ブラッド・オレンジって高桑さんの在り方、指向、ソングライティングに実際近いですよね。

高桑:そうですね。メロディそのものに郷愁感あるところとかね。でも、あの人(ブラッド・オレンジ=デヴ・ハインズ)も一人でやるでしょ? じゃあっていうんで僕も打ち込みを使って曲作りをしてみたんだけど、どうもしっくりこなかった。で、結局ボツにして。まあ、そういう断片、メモみたいなものも含めるとストックは何百曲とあるんですけど、今回はそういうメモとか断片も結局一切使わずに最後は一気に今年に入ってから作りましたね。ホント、当初はゴールが見えなくてどうしようかって思ったりもしたんですけど、去年夏にマウイにプライベートで遊びに行った時に撮影した写真がインスピレーションになって作業が進むようになって。それが今回のジャケットで使っている写真なんですよ。

・「温度が中温というか、そういう女性アーティストにはシンパシーを感じる」

――アートワークのイメージから曲を作っていったわけですか。

高桑:そうです。曲も作ってないのに、先にジャケットを作っちゃえって作業の順序を替えて(笑)。で、マウイ滞在時に借りてた家の前で。写っている馬とかは家のオーナーの馬なんですよ。完全にヴィジュアル先行。でも、そういうやり方で曲を作ったことも今までなかったなあって思ったら、結構楽しくできましたね。

――ジャケット、ちょっとジェシ・エド・デイヴィス風ですね。70年代スワンプ・ロック調というか。

高桑:まあ、Curly Giraffeのジャケットのコンセプトっていうのが、“70年代や60年代の裏名盤”というものなんでね(笑)。結局、やっぱり頭の中で浮かぶ曲のイメージをいかに楽しみながらカタチにしていくかというのがCurly Giraffeなんですよね。そういう意味では、昔考えていたこととそんなに変わりはないというか、音楽が好きというエネルギーが今も動機になっているんですよ。それを経験なくてカタチに出来なかった高校の頃のリべンジを今しているようなところがあるかもしれないですね。今は自分の頭の中で鳴ってる小宇宙をどれだけしっかりと表現できるかっていうところですね。例えば、僕、アリエル・ピンクが大好きなんですけど、彼の作品からは自分の音楽が好きっていうのが伝わってくるんですよ。音楽愛のあるアーティストのそのエネルギーに感銘を受けるんです。自分もそうだから。これって恋愛感情に近いかもしれないですね。僕が複数のアーティストやたくさんの音楽を好きなのもそういうことかもしれない。実際の恋愛で複数だと人として問題がありますけどね(笑)。だから、あまりに好き過ぎちゃうと似たようなコード進行の曲が増えちゃう。僕の曲、実は同じようなコードを使っているものが多いんですよ。好きなコードだからつい使っちゃう。それに気づいたのって割と最近のことなんですけどね(笑)。でも、それが自分の個性なんだ、これでいいって思いますよ。

――高桑さんの曲の一番の特徴は、コード展開に統一感があるのもそうですが、中性的というかフェミニンというか、マッチョなところが全くないところだと思うんですよ。そこは自覚されています?

高桑:それ、実はあると思ってて。僕、女性アーティストの作品を聴くのが好きなんですよ。今でもよく聴くのはナタリー・マーチャントとかソフィー・B・ホーキンスとか。派手じゃないんだけど、温度が中温というか、そういう女性アーティストにはシンパシーを感じるんですよね。女装とかそういう意味じゃなく、女性そのものの持っている温度とか感覚に憧れがあるのかもしれない。むしろ、男臭さに嫌悪感、反発する気持ちが昔からあって、それが作品にも出てるんじゃないかなと思いますね。女性でもなく男性でもない中間。まさに仰った中性的なところっていうのが自分の音楽の軸なのかもしれないです。

――今作には「Women Are Heroes」なんてタイトルの曲もあるし!

高桑:だから自然にこういう歌詞を歌っちゃうんですよね。ボーカルもそういう雰囲気だから。

――ちょっと高橋幸宏さんに似てますよね。歌い方も歌詞の世界も。

高桑:そうそう、去年、幸宏さんのアルバム(『LIFE ANEW』)で2曲ほど書かせてもらって参加もさせていただいたんですけど、自分でも似てるなって思いましたね。その幸宏さんのレコーディングで、僕と幸宏さんと、あと、ジェームス・イハが同じ曲でコーラスをとっているんですけど、3人共声がすごく似ているんですよ。で、後から聴いて“あれ、俺どのパートを歌ったんだっけ?”ってわかんなくなるくらいでしたね(笑)。(取材・文=岡村詩野)

リアルサウンド

新着