【清春 リコメンド】
初のカバーアルバムに見る
25年目の自負心
アルバム『Covers』から見る
アーティスト・清春が目指すもの
さて、これも前作『夜、カルメンの詩集』リリース時のインタビューでの清春の発言なのだが、今回、清春がアルバム『Covers』を制作するに至った背景を探る上でのヒントとなりそうな発言なので、やや長文だが以下に記す。
“実験的でありながら王道を行けるバンド出身のシンガー、ミュージシャンってのはなかなかいないかもね。マニアックになりすぎちゃったり、芸能界っぽくなったりするパターンは多いけど、シンガーソングライターで実験的なことをしつつ、そこにある匂いは絶対に消さないというのはなかなか見当たらず。特にキャリアがあるとなぜかできないんですよ。(中略)大人っぽいというのは目指すところだし、最近のテーマなんです。40代で“まだまだロック”って言っていられるのもいいんですけど、デビューして25年、50歳になったらずっとそれでいいわけじゃないと思うんですよ。“まだまだロックでもいいけど、それはどういうロック?”ということに当然ぶつからなくちゃいけない。だから、今回(=『夜、カルメンの詩集』)はスパニッシュを入れましたけど、くっ付けただけで、どこにも寄らないというのが実は正しいのかなとは思ってて。「赤の永遠」(=『夜、カルメンの詩集』収録曲)の歌詞にも出てくるけど、フラメンコの歌は“バイレ”って言って、“バイレ”っぽい雄叫びをしてみるとか、クラップを覚えちゃうとか、そうすると本末転倒だと思うんだよね”
いかがだろうか? 清春の目指すところがいろいろと垣間見える。全て説明してしまうのもどうかと思うが、まとめるならこういうことだろう。(1)王道でありつつ、実験精神を絶やさないこと。(2)マニアックになりすぎたり、芸能界に依ったりしないこと。(3)50歳でもイケる、大人っぽいロックであること。彼の言わんとしていることは、大きく分けて、この三つに集約されると思う。そのフィルターを通して『Covers』を聴けば、清春の制作意図ははっきりと理解できるのでないだろうか。
蛇足ながら──もしかすると、これも本質なのかもしれないが──もうひとつ付け加えるならば、SUGIZOがソロ活動20周年の節目に発表したオリジナルアルバム『ONENESS M』(2017年)に清春が参加しており、そのアルバムのライナーでSUGIZOは“(清春の)声の良さがビジュアル系のスタンダードを創ってしまった”と述べていたそうである。これもなかなか興味深い発言で、『Covers』の制作背景を考える上でのヒントとなり、ひいてはアーティスト・清春、シンガー・清春の現在のスタンスを浮かび上がらせる因子にもなるではなかろうか。SUGIZOの“清春の声の良さがビジュアル系のスタンダードを創った”に関して清春は、とあるインタビューにおいて答えている。そのこと自体は肯定も否定もしなかったが、“ビジュアル系”というジャンルは自分たちの世代の何人かが編み出したものであることを認めつつ、音楽性を新しくしようとすると、ヴォーカルの個性がそれを邪魔することがあると述懐していた。曰く、長年に渡って培ってきた個性はそう簡単に変えらず、そこにはジレンマもあると。数年前にそんなことを語っていた清春が今回『Covers』で自身の歌唱力を示している。それはどういうことなのかを考えてみるのも楽しいと思う。
“実験的でありながら王道を行けるバンド出身のシンガー、ミュージシャンってのはなかなかいないかもね。マニアックになりすぎちゃったり、芸能界っぽくなったりするパターンは多いけど、シンガーソングライターで実験的なことをしつつ、そこにある匂いは絶対に消さないというのはなかなか見当たらず。特にキャリアがあるとなぜかできないんですよ。(中略)大人っぽいというのは目指すところだし、最近のテーマなんです。40代で“まだまだロック”って言っていられるのもいいんですけど、デビューして25年、50歳になったらずっとそれでいいわけじゃないと思うんですよ。“まだまだロックでもいいけど、それはどういうロック?”ということに当然ぶつからなくちゃいけない。だから、今回(=『夜、カルメンの詩集』)はスパニッシュを入れましたけど、くっ付けただけで、どこにも寄らないというのが実は正しいのかなとは思ってて。「赤の永遠」(=『夜、カルメンの詩集』収録曲)の歌詞にも出てくるけど、フラメンコの歌は“バイレ”って言って、“バイレ”っぽい雄叫びをしてみるとか、クラップを覚えちゃうとか、そうすると本末転倒だと思うんだよね”
いかがだろうか? 清春の目指すところがいろいろと垣間見える。全て説明してしまうのもどうかと思うが、まとめるならこういうことだろう。(1)王道でありつつ、実験精神を絶やさないこと。(2)マニアックになりすぎたり、芸能界に依ったりしないこと。(3)50歳でもイケる、大人っぽいロックであること。彼の言わんとしていることは、大きく分けて、この三つに集約されると思う。そのフィルターを通して『Covers』を聴けば、清春の制作意図ははっきりと理解できるのでないだろうか。
蛇足ながら──もしかすると、これも本質なのかもしれないが──もうひとつ付け加えるならば、SUGIZOがソロ活動20周年の節目に発表したオリジナルアルバム『ONENESS M』(2017年)に清春が参加しており、そのアルバムのライナーでSUGIZOは“(清春の)声の良さがビジュアル系のスタンダードを創ってしまった”と述べていたそうである。これもなかなか興味深い発言で、『Covers』の制作背景を考える上でのヒントとなり、ひいてはアーティスト・清春、シンガー・清春の現在のスタンスを浮かび上がらせる因子にもなるではなかろうか。SUGIZOの“清春の声の良さがビジュアル系のスタンダードを創った”に関して清春は、とあるインタビューにおいて答えている。そのこと自体は肯定も否定もしなかったが、“ビジュアル系”というジャンルは自分たちの世代の何人かが編み出したものであることを認めつつ、音楽性を新しくしようとすると、ヴォーカルの個性がそれを邪魔することがあると述懐していた。曰く、長年に渡って培ってきた個性はそう簡単に変えらず、そこにはジレンマもあると。数年前にそんなことを語っていた清春が今回『Covers』で自身の歌唱力を示している。それはどういうことなのかを考えてみるのも楽しいと思う。
文:帆苅智之
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