【ライブレポート】<VISUAL JAPAN
SUMMIT 2016>3日目中編「胸を張って
ヴィジュアル系をやってると言える」

厳密なところは定かではないのだが、僕自身の目から見た印象で言うと、VJS最終日は前2日間と比べて午前中からフロアの人口密度が濃くなっているように感じられた。そのオーディエンスの何割かを占めている3日連続での来場者については、おそらく疲労もかなり蓄積されているはず。それは筆者にとっても同じことなのだが、ぐったりなどしていられない。11時30分、いよいよ事実上のメイン・ステージであるもっとも大きなSUMMIT STAGEが動きだす。GEORGEと逹瑯の軽妙なトークを経て紹介された次なる出演者は、Angeloである。
インダストリアル・メタルな質感のSEと映像が流れるなか、配置につくメンバーたち。ステージの中央では白いコスチュームに身を包み、フードを被ったままのキリト(Vo)が赤い照明に染まっている。オープニングに据えられたのは9月末に発売されたばかりの通算8作目にあたるアルバム、『CORD』の幕開けを飾っていた「Umbilical cord」だ。この曲をじっくりと丁寧に聴かせると、次に炸裂した「RIP」をもって、その場の空気はヴァイオレントに一変。なにしろそこにはキリトがマイク・スタンドを激しく床に叩きつける風景が伴っているのだ。そうした光景自体はお馴染みのものではあっても、ぐにゃりと曲がってしまった鋼鉄の生贄の姿にはゾクッとさせられるし、映画『時計じかけのオレンジ』にも通ずるような冷ややかな狂気を感じる。そして印象的なのは、タイトに締まったサウンドの切れ味の良さと、それと同様に鋭利に耳に刺さってくる歌声だ。
この曲を演奏し終えると、キリトはひとまず「幕張、おはようございます」と礼儀正しい挨拶をしてみせたものの、次の瞬間には「狂ってますか、幕張!」と客席を煽ってみせる。そこで、場内にさまざまな嗜好のファンが混在しているのを見越しながら発せられた「君たちに唯一共通してるのはヘドバンでしょう? 首の上に付いてんの、それ何ですか? 取っちゃって取っちゃって!」という言葉には、彼ならではのユーモアのセンスと有無を言わせぬ扇動力を感じさせられた。その後も彼らは容赦のない攻撃を続けた。キリトはクロージング・チューンの「PROGRAM」を披露する前にも客席を見渡しながら「あ、まだアタマが付いてる。こっちによこせ!」などと煽り続けていたが、それは、さらなる攻撃というよりは観衆への愛情表現であるように感じられた。
最後の最後、感謝の言葉を述べ、手を叩きながらその場を引き上げていく彼の姿には、このステージが彼自身にとっても満足度の高いものだったことがうかがえたし、実際、彼らはある種の格の違いを見せつけていたと言っていいだろう。
Angeloの余韻を味わっていると、いつのまにかVISUAL STAGEの幕が開いている。まず聞こえてきたのは「一生懸命やります。よろしくお願いします!」というえらく謙虚な言葉。赤いライトに染まりながら演奏を始めたのは、この日の8番目の出演者にあたるRoyzだった。2009年に結成されたというこの4人組のステージを観るのは、僕自身にとっては初めてのこと。どうやら彼らのライヴでは「ANTITHESIS」という曲の際にオーディエンスがペンライトを振るのが恒例となっているらしく、フロントマンの昴は、観客の多くがこのVJSのオフィシャル・グッズとして販売されているペンライトを手に入れているであろうことを想定しながら、「持ってる方、光らせていただけないでしょうか!」と懇願。そこまで低姿勢じゃなくてもいいんじゃないの、と突っ込みたくもなったが、その願いは客席に伝わったようで、白や青の光が場内のあちこちで揺らめき、この曲の盛り上がりに花を添えた。
この日に演奏されたわずか4曲のみで判断するわけにはいかないが、楽曲によっては少しばかりアイデアを盛り込み過ぎのようにも思えたし、音楽的な意味での整理が必要なのではないかと感じられる部分もあった。が、この日の経験はこのバンドにも何かしらのプラス効果をもたらすことだろう。「Royzでした。また遊びましょう!」という言葉を投げかけて彼らがステージから姿を消したのは、12時25分のことだった。
それから5分後、暗転した場内に聴こえてきたのは90年代にコアなファンから熱烈な支持を集めていたスウェーデンのロック・バンド、MAZARINE STREETのナンバー。そんなマニアックな選曲のSEに導かれながら登場したのは、THE SLUT BANKSだ。TUSK(Vo)の「We are THE SLUT BANKS!」という雄叫びを合図に炸裂する「TOY」を皮切りに、彼らは余分な沈黙を設けることなく次々と楽曲を繰り出していく。
このイベント自体を意識したMCを口にすることもなく、4人はまさに“いつも通りのライヴ”をより凝縮させた形で展開していった。彼らの楽曲はいずれもコンパクトだが、爆走チューン一辺倒というわけではなく、ヘヴィなリフでぐいぐいと押しまくる「デビルモンキースパナ」、TUSKのウタゴコロが光るミッド・テンポのバラード「雨に打たれたとでも思へ」、アッパーなスカ・チューンの「Pandemic Dance」など変化に富んでおり、それが短い持ち時間の経過をいっそう速いものに感じさせた。この時間枠に7曲を詰め込むことができるのも、このバンドならではといえるかもしれない。DUCK-LEE(戸城憲夫/Ba)、参代目ACE DRIVER(坂下丈朋/G)、カネタク(金川卓也/Dr)によるレイド・バックとは無縁の演奏も、過激でしかも小気味よい。結成20周年を迎え、さらに勢いづくこのバンドの底力と、迷いのなさが印象的だった。ラスト・チューンの「Noisy Love」を歌う前に「これからも日本のロック、盛り上げていこうぜ!」と客席に告げていたTUSKは、「ロッケンロール!」と声をあげてステージから去っていった。
続いてのアクトは、SUMMIT STAGEの二番手となる清春。広いステージにはこれといったセットもなく、電球の灯るスタンドと、飲み物の置かれたテーブル、そして椅子が並んでいるだけ。アコースティック・ギターを弾く三代堅、エレクトリック・ギターの中村佳嗣を両サイドに配しながら、「お元気ですか?」と客席に告げた清春もまた、アコースティックを抱えている。そして、何の前置きもなく彼が掻き鳴らし始めたのは「忘却の空」。いきなりの名曲炸裂に、オーディエンスはどよめきにも近い歓声をあげる。
それにしても尋常じゃないのは、清春の歌の力だ。単に上手いだけの歌ではなく、“すごい歌”なのだ。しかもイベントの規模に合わせてバンド編成でラウドな攻め方をするのではなく、敢えて昨今のソロ・ライヴと同様の必要最少人員でこの日のステージに臨むことを選んだ彼。それはもちろん、バンド然とした音圧以上に説得力のあるものを持っているという自信があるからこその判断であったはずだが、実際、余分な音とぶつかることなく聴こえてくるその歌声は、とてつもなく豊かな響きを伴っていて、ダイレクトに耳と心に届いてきた。
全4曲のコンパクトなプログラムのなかで演出要素があったとすれば、清春自身が吐き出す紫煙ぐらいのもの。そうしたライヴのあり方自体が、なんだか後輩世代に向けての無言のメッセージでもあるように感じられたし、バンドという活動形態に過剰なこだわりや幻想を抱いてこなかった清春ならではの意地のようなものが垣間見えたようにも思えた。また、蛇足を承知で言えば、彼とsadsで活動してきた坂下丈朋がひとつ前の時間枠にTHE SLUT BANKSの一員としてステージに登場していたという巡りあわせについても、単なる偶然とはいえ興味深さをおぼえた。長く活動を続けてきた者同士が同じ音楽シーンに居合わせていると、こうした偶然もごく自然に起こり得るのだ。
そんな清春の圧倒的なステージの直後という出演順だっただけに、DIAURAは幾分のやりにくさを感じていたかもしれない。幕が閉ざされた状態でのサウンド・チェックの途中にVISUAL STAGEから聞こえてきた「気合い入れてかかってこい!」というyo-ka(Vo)の叫びは、彼が自分たち自身に向けたものだったのかもしれない。その気合いが強過ぎたのか、開幕早々に発せられた彼のMCは声が濁って聞き取ることができなかったが、いざ演奏が始まってみたときに感じさせられたのは、このバンドの進化の幅の大きさだった。僕自身、彼らのライヴからは3年近く遠ざかっていたのだが、当時から持ち合わせていた勢いや大胆さはそのままに、今の彼らは風格と呼んでもいいものすら身に着けている。
オープニングに据えられた「胎動」が着地点に至ると、「さあ、声聞かせてくれ。それが全員の声? もっとちょうだい」と火に油を注ぐyo-ka。続く「赤い虚像」のクロージングで発せられた「俺たちがDIAURAだ!」というシンプルな言葉にも、その直後に「せっかくだから覚えて欲しい」と言いながら行なわれたメンバー紹介、さらには彼らが自分たちなりに愛を込めてファンを“愚民”と呼んでいることを説明するくだりからも、未知のオーディエンスの記憶に自分たちの存在を刻み込みたいという強い欲求が感じられた。「お前たちのマスター(=支配者)は誰だ?」という問いかけに、ファンが「yo-ka!」と声を合わせて応えるという展開に導かれたクロージング・チューン、「MASTER」を演奏し終えると、わずか4曲という短いプログラムは終了。もっと観てみたい、と思えた。つまり彼らの勝ちだった、ということになるだろう。
次にJAPAN STAGEに登場したのは、Mumiy Troll。これはあくまで英語表記であり、ロシアはウラジオストクを拠点とするこのバンドの正式名称は Мумий Тролльと表記され、ムミー・トローリと読む。1984年に結成されたというこのバンドは、ロシアの音楽シーンについては疎い筆者には“名前だけは見たことがある”という程度の認識しかなくほぼ未知の存在だったが、ロシアでは全国的な人気を誇り、過去には函館でライヴを行なったこともあるのだという。また、旧ソ連当局から“最も危険なバンド”と認識され、妨害工作を受けたこともあるのだとか。
しかし、「ハロー、ミンナ、ゲンキ?」という日本語での挨拶から始まった彼らのライヴは、そうしたプロフィールから連想される過激で危険な匂いとは結び付きにくいもの。ただ、少々ねじれたエレクトロ・ポップの楽しげな響きや漫画的センス、ほのぼのとした歌声の裏側に、皮肉めいた影が感じられたのも確かだし、なかには顔を黒布で隠しているメンバーもいたりして、どこかミステリアスな印象も。そこで「ツギノキョクハ、ニホンゴデウタイマス」などと言いながら実際にぎこちない日本語詞で歌いだすといった場面もあり、興奮するというよりは良い意味での脱力感をおぼえさせられもしたが、緊張感に支配されたステージが多く続くなかで、ある種の清涼剤的な緩和の時間にもなっていた。
午後2時45分、SUMMIT STAGEの三番手として登場したのはMUCCだ。暗い空に雲が流れる映像を背景にしながら聴こえてきたのは、「睡蓮」のイントロ。ミヤ(G)の叫びに続いて、逹瑯(Vo)の咆哮が音の壁を突き破る。音響もきわめて良好で、ラウドかつバランス良く構築されたバンド・サウンドと、白光を基調としたモダンなライティングも調和がとれている。まさにヘッドライナーのたたずまいだ。
続く「ENDER ENDER」で場内はさらなる一体感に包まれ、「KILLER」でいっそうの熱を帯びていく。そして前半の3曲を終えたところで逹瑯が発した「胸を張ってヴィジュアル系をやってると言えるこのステージに立たせてくれた、YOSHIKIさんに感謝します」という言葉が印象的だった。その前に彼は、「いつからヴィジュアル系がカッコ悪くなったんだろう、と最近よく考えていた」とも口にしていた。が、この3日間は、それに対してどうしようもなく憧れていた頃の衝動に溢れている、とも。この言葉はMUCCの他のメンバーたちのみならず、(すべて、とは言わないが)他の出演者たちの気持ちをも代弁していたのではないかという気がする。
後半にはスケール感のある「ハイデ」や、観客を全員その場に座らせたうえでジャンプさせるという定番の趣向を含む「蘭鋳」が配され、場内の熱気はまさに火に油を注がれたかのように上昇の一途をたどっていく。そして最後に炸裂したのは、今現在のMUCCを代表するキラー・チューンのひとつというべき「TONIGHT」。しかもこの曲の途中、いつの間にかステージの下手側にL'Arc~en~CielのKenが現れていて、まるで最初からそこにいたかのように自然なたたずまいでギターを奏で、後輩たちの熱演に花を添えていた。彼らの演奏終了後、転換の間に僕はツイッターに「MUCCは本当に、ここぞという場面で抜群の強さを発揮するバンドになった。これまでに観てきた彼らのライヴのなかでもベストのひとつに数えられるステージだったと思う」などと書き込んでいる。実際、それがその瞬間における僕自身の素直な気持ちだった。そして、いよいよVJS最終日は、終盤へと近付いていく。
取材・文◎増田勇一

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