寧々は乃木坂に入るまで、体操やフィギュアスケートに打ち込んでいた。個人競技なので己との戦いではあったが、他者に対しての競争心は希薄だったという。そのため、乃木坂46に入って2枚目のシングルまでは選抜に入れなくても「自分は自分だから」と気にすることはなかった。 

しかし、アンダー曲『涙がまだ悲しみだった頃』で初センターを務めた3枚目からは「もっと他人を意識したほうがいいかもしれない」と思うようになり、向上心が高くなっていく。4枚目の『制服のマネキン』をNHK『MJ』で披露した時は、得意のロンダートを披露した。そして、5枚目の『君の名は希望』で念願の選抜入りを果たす。「諦めなくてよかった」「他の道を考えたこともあったけど、まだまだがんばれる」。そんな想いを噛み締めるように、グループを代表する名曲を歌った。

 協力しあってひとつの舞台を作りながら個人闘争の場でもある『16人のプリンシパル』とは相性は良くなかったようだ。1回目(2012年9月)は、怪我(右足の小指骨折)のために途中から公演に出られなくなってしまう。舞台袖で「すぐ近くにステージがあるのに、なんでここにいるんだろう」と葛藤した。

 2回目となる『16人のプリンシパル deux』(2013年5月、6月)では、1回目に出ていないため感覚をつかむことに時間がかかってしまい、なかなか10役に入れず苦しい思いをする。東京公演の千秋楽で初めて10役に選ばれた時は、メンバー含めて会場中から祝福された。 そして、今年の『16人のプリンシパル trois』は声帯炎で欠場となってしまった。しかし、悪いことばかりじゃない。6月公開のホラー映画『杉沢村都市伝説』で主人公を熱演したのだ。プロの役者に囲まれた現場を経験したことで、「今後は自分から感情を発信できるようになりたい」と語ってくれた。

 映画主演を経たことで寧々は再び輝き出す。8thシングルのアンダーメンバーによるスペシャルライブの名古屋公演では、グループ結成当初からの強い絆でつながっている伊藤万理華との伊藤ちゃんずで『孤独兄弟』を歌った。2人のユニットとしては初めての歌披露だった。この日は寧々の声が完全には復調していなかったため、納得のいくパフォーマンスとはならなかったが、6月末~7月に行なわれた9thアンダーライブで『孤独兄弟』を披露していくうちに完成度が高くなり、伊藤ちゃんずは乃木坂46の名ユニットのひとつとなった。

 自分が輝ける舞台であるアンダーライブには熱い想いを抱いていており、「目に見えて自分のモチベーションも変わったし、ファンの方に『もっと上にいけるんじゃないか』と期待されることがうれしいんです」と語っていた。しかし、9月12日に乃木坂46からの卒業を発表。「自分の夢だったお仕事が叶ったこと、次のやりたいことが見つかったこと」が卒業の理由だという。

 寧々が卒業の舞台として選んだのは10月5日~19日に行なわれる10thアンダーライブだった。初日となる10月5日、グレードアップされたダンスを披露し、自身のセンター曲である『涙がまだ悲しみだった頃』を堂々と歌うと、次の曲で観る者の涙を誘う演出が施されていた(ネタバレのため詳細は控えます)。18公演すべてで寧々はファンとメンバーに感謝の想いを歌で伝えていくのだろう。卒業後、寧々はどんな世界へ飛び立つのか、我々にはまだわからない。しかし、背中を押す力が大きければ大きいほど、寧々は勢いよく跳躍してくれるはずだ。大貫真之介 アイドルとお笑いを中心に執筆。乃木坂46写真集『乃木坂派』、『EX大衆』、『TopYell』、『日経エンタテインメント』、『an an』アイドル特集号、などで乃木坂46のインタビュー記事を担当した。

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