ピアニスト及川浩治に聴く ショパン
の世界とその人生を俯瞰するリサイタ
ルシリーズ『ショパンの旅』~22年の
時を経てオリジナル版ふたたび

ピアニスト及川浩治によるオール・ショパン プログラムのリサイタルシリーズ『ショパンの旅』。1999年に開催された第一回目のセンセーショナルな成功は、いまや伝説になりつつある。その‟伝説” の初回オリジナル版が、22年の歳月を経て、2021年9月、10月に東京・大阪で再び甦る。ファン待望の ‟復刻エディション” リサイタルにかける意気込みを聴いた。
――「ショパンの旅」は、初回開催ののち、2005年、2010年、2014年と、その後も少しずつ違う趣向で続けられていますが、22年の歳月を経て、今年、なぜ初回のエディションを復刻しようと思われたのでしょうか。
1999年の第一回公演は、主催元から「一般のお客様にも魅力のある内容を考えてほしい​」と言われて、初めて自分自身でプログラムを出した企画でした。あの年はショパンの没後150年のアニバーサリー・イヤーで、オール・ショパン プログラムの演奏会があちらこちらで予定されていましたから、その中で、どのように差別化すべきかを僕自身、懸命に考えました。
そこで、まずはショパンに関する様々な文献を読みまして、試行錯誤を重ねました。それこそ、タイトルにある “旅” という言葉にたどり着くまで、かなりの時間を要しましたね。ショパンが国際的に活躍し始めた頃から亡くなるまでの道のりをストーリーとして踏まえつつ、トークを交え、「ショパンの世界や人生の一部分を一緒に旅しましょう」というコンセプトでまとめたわけです。約2時間のプログラムの中に、有名な曲、皆さんが聴きたい曲、そして、皆さんが弾いてみたい曲を挿入しつつ、さらに自分自身でもレパートリーを広げるべく、「舟歌」や「子守歌」、そして、遺作の「マズルカ 作品68-4」の三作も加え、一つの企画として練り上げました。それで、当時の主催元に持っていったら非常に喜んでいただいて、あの時は本当に嬉しかったですね。
(C)Rikimaru Hotta
そのような経緯ですから、その時の感動は鮮明に覚えていて、あの時の情熱や意気込みはしばらく忘れられませんでした。ところが、数回シリーズを重ねて、曲目にもマイナーチェンジを加えているうちに、あのオリジナルを生みだした際の新鮮味や意気込みが少しずつ薄れていくのを感じたんです。そうこうしていると、「21年は再びオール・ショパンでお願いします」というオファーを頂きまして、「今度こそ、あの時のあの思いをもう一度だけ体感してもいいんじゃないのかな」と思い立ったんです。
――今回の公演、当初は別の内容のプログラムもお考えだったと伺いました。
本当はね、(ショパンの)「協奏曲第1番」の全楽章をピアノ・ソロ版でやろうと思って提案したのですが、見事に即却下されまして(笑)。「いや~、いつものように小品がいっぱいみたいなプログラムをお願いしたいんですよね~」と返ってきましてね。
「やあ、もう充分にやってきたんでね~」とお答えしたんですが……、まさにそこで、ダメ元で、「では、あの時(99年)のプログラムを “ショパンの旅――オリジンふたたび” みたいな感じで、そっくりそのままやってみるのはどうですかね~?」と提案してみたんです。「僕自身、作品へのアプローチも変わってきていますしね、年齢を重ねたなりの違う演奏になると思うし~」と付け加えましたら、即座に「それいいですね!」みたいになったんです(笑)。
僕自身の中でも、22年の間にショパンの多様な作品に触れて様々な奏法を試みてきたその実績と成果を、この年齢になってもう一度同じプログラムの中で実現してみたいとも感じていました。また、多くの文献を通して、ショパン自身、ルバート過多なものは好んでいなかったとか、同じ曲でも毎回違う演奏をしていた……というような証言に遭遇し、そのような研究の積み重ねを、皆さんに存分にお聴かせできるのは、僕にとっても大変嬉しいことだと思っています。
及川浩治 (c)Yuji Hori
――及川さんにとって、ショパンという作曲家はどのような位置づけなのでしょうか。
子供の頃から憧れの作曲家で、実際、僕の人生の中で最も聴き、触れてきた作曲家です。ただ、知れば知るほどに、良い意味でも、悪い意味でも魔力を感じます。時には激しく、時には切なく、時には官能的で素敵な音楽ではあるのですが、残念ながらそういう音楽には、得てして精神を病むような不思議な力が潜むわけです。僕にとっては、メンタルな部分で非常に怖い作曲家でもあります。ベートーヴェンなんかは、どんなに苦しくても、「最後は絶対に屈しない、負けない」という強い希望とパワーを与えてくれるのですが、ショパンの作品をずっと演奏していると、鬱になりそうな程、ダークな部分ばかりを感じてしまうんです。なので、オール・ショパンのリクエストが来ると、僕の中では、「お~っつ、今年もきたか~、一大事だ!」という感じなんですよ(笑)。
――今回の復刻エディションでは、語り部分の台本は新たにバージョンアップされる予定ですか?
まあ、僕が本番中に何を即興でトークするかわかりませんが(笑)、語りの部分に関しては’ 99年のオリジナル版を踏襲する予定で、基本的には台本を朗読する形です​。オリジナル自体、僕の主観的な言葉よりも、ショパンの周囲の人々の証言や書簡を通して得た言葉を基に構成されています。ショパンの世界観をよりストレートに感じて欲しいという思いから、そのように考えましたので、今回も同じ思いです。ところがね、書簡や私信というのは、一般に公開するように書かれていないので、時折、不適切な言葉もあったりするんですよ(笑)。ですから細部は今の時代にふさわしい言葉遣いに手直ししたいと思っています。
――聴衆には、ショパンという音楽家のどのようなことを感じ取って欲しいと考えていますか?
ショパンに対してのイメージは、一般的に“ピアノの詩人”というようなものだと思うんです。ちょっと病弱で、色白で、繊細でハンサム、というような。そういう側面は、まさにその通りだと思うんです。ところが、ノクターンなんかを聴いてみると、初期の作品でも中間部は劇的な激しさを露呈していて、ノクターン作曲家の元祖で、ショパンにも大きな影響を与えた作曲家フィールドの書いたものとは大きく一線を画しています。
(C)Rikimaru Hotta
あの劇的な中間部にこそ、ショパンの持つ二面性というものが垣間見えてくるんです。いわば、美しいもの、高貴なものへの憧れに対して、苦悩や慟哭など心の中の葛藤が表れる。例えば、ポロネーズやマズルカを聴いても同様で、民族的、牧歌的な情緒を色濃く残しながらも、ある部分では、かなりダークで、私的な感情がこみ上げているのを感じられると思います。ただ、今回のコンサートのラインナップでは、そういう部分よりも、むしろ、皆さんが抱いているショパンのあの素敵なイメージに焦点を充てたものになっています。むしろ、そうすることで、僕自身が救われるような感じがするんです。
――及川さんご自身、年齢を重ねるごとに、劇的で葛藤に満ちた作品よりも、むしろ 、‟ショパンらしい” 美しく、優美な作品に惹かれるようになったのでしょうか? そのような実感はありますか?
面白いことにね、若い時は中・後期の葛藤や苦悩が描かれた作品にとても惹かれていたんです。それこそ、ショパンが乗り移ったかのように感じて演奏していました。ところが、人間は年齢を重ねると、自分自身の人生に病むこともあるじゃないですか。長く生きていれば、それだけ不安や苦しみや挫折などをいっぱい経験する。もちろん、今回のコロナ禍もそうですが、そういう闘いや苦悩に満ちた激しさが「重た~い」って思うようになるんです。そこで何を求めるかというと、若い時の溌溂とした素直な激しさや情熱に憧れるんです。
今回のラインナップでも、確かに「舟歌」のような後期の作品もありますが、この作品に関しては、そういう生々しい感情を超越した境地に達していると感じています。今回のプログラムでは、一つだけ、本当に重い作品があります。最後に演奏する遺作の「マズルカ 作品68-4」です。この作品は自筆譜のコピーも所有しているんですが、ショパンが最晩年の病の床で書いた曲なので、中間にあるトリオの部分が殴り書きのようになっていて読めないんです。
そこで、その部分が復元されたエキエル版と見比べて研究してみたのですが、少しずつ見えてくる音を感じながら、この(中間)部分があるからこそ救われる自分自身を実感しました。死の床にいながら、愛する生まれ故郷の民族舞踊(マズルカ)の素朴なメロディを懐かしむように描くショパンの姿が垣間見える。しかし、冒頭の再現が巡ってきて再び苦悩の中へと戻っていく……。なんで人生の最期に、こんな切ない思いを抱えて逝かなくてはならなかったんだろうって思いますよね。
及川浩治 (c)Yuji Hori
――今、エキエル版のお話が出ましたが、ショパン作品の演奏に際して、及川さんは通常どの版(楽譜)を使用されているのですか?
基本的にはパデレフスキー版ですね。と言っても、今お話ししたマズルカのように部分的にエキエル版も取り入れています。作品68-4は、パデレフスキー版には(トリオの)中間部がないので、自筆譜に加えてエキエル版を参照した例です。もう一つ、数年前にダン・タイ・ソン先生が、僕が教鞭を取っている大学に公開レッスンで来日しまして、「ショパン作品の演奏にあたっては、まずパデレフスキー版を見ましょう」と言い切っていたのが印象的でした。
現在はショパン・コンクールでもエキエル版が主流なのかな。そういうのは時代の流れなのだと思いますが、いずれにせよ、ショパン作品を語る上で最も難しいのは、ほとんどの楽曲に決定稿的なものが存在しないということです。演奏家個々の判断に委ねられている。その際に一番良くないのは、何も考えずに盲目的に従ってしまうことです。
例えば、パデレフスキー版にも巻末に注釈一覧があるじゃないですか、僕は学生たちに、勉強する際に絶対読みなさいと言っています。「別版ではこうだが、ここでは、こういう理由でこの奏法や音型を採用した」と、その経緯が細かに書かれているわけですから、それらの前提を深く理解した上で演奏しなくてはいけないと思うんです。ちなみに、今回は、先ほどのマズルカの他にも「幻想即興曲」はアルトゥール・ルービンシュタインが演奏しているエキエル版で演奏します。左手の伴奏音型や細部のディナーミク(強弱)などが少し違うバージョンです。
――現在、大学でも教えていらっしゃいますが、若い世代へは、どのような事を一番伝えていきたいと考えていますか?
音楽というのは “響き” が一番大切だと思うんです。音の素晴らしさ、響きの本質というのは空気の振動なんです。だからこそ、最も大切なのはその場の空気なんですね。でも、その空気を作っているのは演奏家一人だけではなくて、同じ曲を一緒に体感しているお客様の様々な思いや感情の集合でもあるんです。演奏家と聴衆が一体になって作り出す空気が演奏家にもインスピレーションを与えてくれる。僕はそういう風にライブ演奏の醍醐味というのを捉えています。
(C)Rikimaru Hotta
学生に対しては具体的に、「2000人のホールの一番後ろの人のハートに届くピアニッシモを作りなさい」と言っているんですが、これは絶対にリモートでは無理です。今はアプリやスマートフォンがあればどんな風にも演奏効果を生みだせてしまう時代ですよね。そういう技術でより多くの人に気軽に音楽に触れてもらえるのは素晴らしいことだと思います。でも、実際の強弱がフラットに自動調整されてしまから、まったく別物の音楽になってしまう。そういう意味では、この時期にライブの演奏会を実現させて頂けるのは本当にありがたいことだと思っています。
――最後に東京・大阪のコンサートにかける意気込みと読者へのメッセージを。
今回の演奏会では、再びショパンという一人の天才に焦点をあてて、その人と人生を俯瞰していきます。現在、私たちも災禍の中にいますが、ショパンの生きた激動の時代もまた苦しいものでした。その中でも、ショパンは美しさ、高貴なものの輝きを追い求めて素敵な作品をたくさん残してくれました。その世界を皆さんと一緒に感じ、ともに音楽を作っていけたら、と心から願っています。そして、何よりも、多くの方々にショパンの音楽を楽しんで頂けたら、僕はすごく幸せです。
取材・文=朝岡久美子

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