【藤津亮太の「新・主人公の条件」】
第22回 「バック・アロウ」バック・
アロウ

(c)谷口悟朗・中島かずき・ANIPLEX/バック・アロウ製作委員会 壁に囲まれた世界「リンガリンド」。その辺境にあるエッジャ村に、空から「ラクホウ」が落下する。ラクボウから姿を現したのは、記憶を失った謎の男。男は「“壁の外”からやってきたことだけはわかる」と語り、「バッキャロー(馬鹿野郎)」といわれたことをきっかけに、自らを「バック・アロウ」と名乗るようになる。アロウは、自らの記憶を取り戻すためにも、壁の外を目指そうと志し、それはエッジャ村の人々を巻き込むことになる。そして彼の存在は、レッカ凱帝国など周囲の国家へも大きな影響を与えることになる。

 「世界についての知識がなく」、そのわりに「周囲を気にせず思い切った行動をとる(バカっぽい行動)」で、かつ「個人的な動機を明確に持っている」というキャラクターというのは、主人公像の典型のひとつで、このタイプの主人公は停滞することなく、物語をぐいぐいと牽引してくれる。
 しかしもちろん、それだけでは、主人公としては一味足りない。そしてバック・アロウの場合、その“ひと味”は、「動機」は持っているが「信念」はないというかたちで加えられている。
 本作において「信念」は、ブライハイトという、人の意志を具現化したある種の鎧を生み出す源という位置付けになっている。だがバック・アロウは「ムガ」というブライハイトを見事に使いこなすものの、その信念は不明という設定。ムガが、ほかのブライハイトにはできない分身の術を使うのも、作中では「信念がないからこそ、自我を分割できる」というふうに、バック・アロウ自身が説明している。
 この、信念がないからバック・アロウが強いというのはあくまで設定的な話だが、実は信念がないというのは結構、重要な要素といえる。信念を持った主人公は多いが、信念とは人生そのものである。だから信念があるということは、ほかの信念を持っている相手とは相容れることができない、ということでもある、しかし「壁の向こうを目指す」というのはあくまで具体的な行動だ。「旗印」といってもいいかもしれない。信念よりも、具体的な「旗印」のほうが多くの人の力を結集するのに役に立つ。
 アニメーション監督の仕事は、どんな作品を作るかという「旗印を掲げること」だといわれもするが、バック・アロウの「壁の向こうを目指す」というのはちょうど、この監督が書かける「旗印」のようなものなのだ。そう考えると第6話でシュウ・ビが「君の思いつきに、ちょっと具合案を足しただけだよ」と語るあたりは、あたかも脚本家の役割を果たしたようにも見えてくる。
 信念ではなく、動機に基づく「旗印」を掲げ、そこに多くの人が集まってくる。それがバック・アロウの主人公である理由となっているのだ。
 とはいえ物語はまだ序盤。第6話のシュウ・ビとバック・アロウの会話も、視線が交錯せず、そこから不穏なニュアンスも漂っている。おそらくバック・アロウの「旗印を掲げる主人公」という立ち位置もこれから揺らぐのではないだろうか。そしてその先に、バック・アロウが主人公である真の理由が示されるのではないだろうか。

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