MOROHAアフロ『逢いたい、相対。』ゲ
ストはハナレグミ 永積崇ーーふたり
が初めて邂逅した「伝説の夜」、新た
に必要なフェーズ「発酵」を語る

MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』第三十七回目のゲストは、ハナレグミの永積崇。この連載の中で、何度かアフロは永積と初めて会った夜のことを口にしていた。それは彼にとって忘れられない一夜。そして……6月6日(火)に大阪・心斎橋BIGCATにて、MOROHAの自主企画『破竹』第三十一回でツーマンを行なうということで、満を持して連載に永積が登場。遂に、初めて邂逅した夜のことが語られる。1時間を予定していた対談だったが、蓋を開けたら2時間ずっと席を立たずに話し続ける2人。とにかく笑いが絶えない。それは、ただ楽しいというよりも「自分の気持ちを分かってくれる人がいる」という表情にも見えた。最後にアフロはボソッと呟いた。「あー……楽しかったなぁ」。
MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』
「サヨナラ COLOR」とか「光と影」が歌えなくなった。
<対談が始まり、永積とアフロが初めて交流を深めた、とあるBarの話題になった。一時期、永積はそのお店へ毎日顔を出し、朝までお酒を飲んでいたという>
アフロ:クラムボンの武道館(2015年に開催された、クラムボンの結成20周年記念を締めくくる『tour triology』のツアーファイナル。永積やMOROHAを始め、クラムボンと親交のあるアーティストが出演した)の打ち上げで、そのお店へ行って、初めてゆっくり話したんですよね。その夜のことも触れたいんですけど、その前に……なんでそんなに酒を飲んでいたんですか?
永積崇(以下、永積):2011年の震災が大きかったんだと思う。あの時に「自分は音楽で何をやっていたんだろう?」「なんで生きているんだろう?」と立ち止まって考えたし、歌えなくなった曲も増えたり、プライベートのことも見つめ直したりして。
アフロ:歌えなくなった曲というのは、歌詞の内容がセンシティブだから?
永積:そうだね。特に「サヨナラ COLOR」とか「光と影」が歌えなくなって。歌おうとしても、声が出なくなっちゃうんだよ。当時、被災地に行って、何度か歌おうと思ったんだけど「この人たちの前で、この曲は歌えないな」って。それは普通に必要な考えだと思うし、場所やタイミングを鑑みて、どんな曲を歌うかって、どんなライブでも考えなきゃいけないとは思っていたんだけど。やっぱりね、自分はそこまでの時間の間どんな事を思い音楽をやっていたのか?ってところまで考えこんでしまっていた。
アフロ:俺も被災地に行った時、曲中に「死ぬ」っていうフレーズが入ってると、歌うのを躊躇しました。でも「死ぬ」という言葉の後には、「死ぬ気で生きる」という意味があるから、実は「生きたい」と歌っているはずなんだけど、そもそも「死ぬ」って単語自体の意味合いが強すぎて、その場で言えなくなっちゃう。メッセージ自体はちゃんと胸を張って歌えるものになっているはずなのに、単語の意味に負けるというか。
永積:音楽だからこそ書けているリリックとか、そのサウンドの上だから言えてることがあって。その場合の「死ぬ」という言葉を書いたのは、「死」からすごく距離を持って俺らは生きてしまっているんじゃないか、という投げかけだったと思うんだよ。ただ、明らかにそれを経験してる人の前に立った時はね。
アフロ:歌詞の距離感が変わってきますよね。
永積:それは日本語ならではな気もするね。言霊と言うぐらいだから、言葉自体のエネルギーが強い言語なのかな、と最近はすごく思う。SNSを見ていても、一言で誰かの心を深く切りつけてしまうことが多くあるじゃん。だからそこに気づけたのは、大事なポイントだったと思うんだ。自分が歌えなくなったことは、大きな発見だったと今は思う。当時はかなりのダメージを受けたけど、時間が経ってみると必要な経験だし、やっぱりそこに自分はこだわっているんだなと再確認できたから。
アフロ:俺らの曲(「ハダ色の日々」)の中で、パートナーに対して「あなたを守る兵隊でありたい」というのと、残業中に子供の写真を見る描写を書いて「疲れた時の秘密兵器」ってフレーズを書いたんです。ずっと歌ってこれていたんですけど、世の中で戦争の匂いがしてきたタイミングに、「兵隊」と「兵器」というフレーズは何か違う意味を感じさせてしまうと思ったんです。同時にそれを考えずに歌えていた時代は、素晴らしい環境だったんだなと。社会の状況によって、歌いづらくなってしまう曲は生まれてくるんだな、と思い知りましたね。
永積:リトマス紙じゃないけど「何かが迫ってきている」という、自分の中の紙に色が着きだして歌うのに躊躇する感じなのかも。
切り捨てるとか変えようとするのではなくて、そこに風を通す
ハナレグミ 永積 崇
アフロ:ちなみに、しばらく歌いづらいなと思っていたところから、再び歌い始めるじゃないですか。そのタイミングのことって覚えてます?
永積:明確なタイミングはないけど、だんだんライブの規模が大きくなって、たくさんの人に聴いてもらう機会が増えてきた中で、自分の音楽に何か確信を持ちきれなくなった時に、できるだけ小さい会場というか、客席と近い距離でライブをやる必要があると思った。目の前でお客さんたちの表情を見れば、向こうも自分の表情を見てくれて「この意味がちゃんと伝わってるかな」と確認し合いながらライブをしていたら、少しずつ解放されたね。
アフロ:お客と同じ輪の中にいて、ということか。そういえば、赤レンガ倉庫でコンドルズの近藤(良平)さんとセッション(『great journey 5th』)をされた時に、お客さんとのセッションの中で「あなたと私で整うわ」と言ってて。俺はいいフレーズだなと思ったんですね。そしたら「Quiet Light」の歌詞で「整う」が出てきた。それは、今の話と共鳴してる気がして。
永積:うんうん、なるほどね!
アフロ:ライブを通してお客と音楽のキャッチボールをしている中で生まれた言葉なのかな、と思いました。
永積:いやぁ、すごくいい言葉をいただきました。「整う」っていいよね! 普段、漢方にお世話になっていて、漢方の先生がよく使っている言葉なんだよね。漢方の中で使う「整う」って、悪いものを除外するのではなく、悪いこともいいことも全て必要なことだと捉えて、それらを身体の必要な場所に配置するっていう意味での「整う」。だから切開するとか、排除することとは違うーーその発想がすごく好きなんだよね。MOROHAを聴いていても、同じことを思う。世の中から見てちょっと暗いこととか、濁りのあることも、歌を通してちゃんと光を当てる感じがあるじゃん。
アフロ:そう言ってもらえると、めちゃくちゃ嬉しいですね。
永積:切り捨てるとか変えようとするのではなくて、そこに風を通す感覚なのかなって。
アフロ:それですね! まさに、今仰ったことを常日頃から思っていて。「そうあってほしい」「こうあるべきだ」の理想があって。「でも、現実はこうだよね」があって。その中間に立つ職業なんじゃないかなと。もちろん、人によって考えは違うと思うんですけど、俺がリリックを書くスタンスはそれですね。みんな対等に生きていけるのが理想だけど、それが現実的に許されない状況の中で、どうサバイブするのかも歌っていかなきゃいけないし、そういう状況を強いられる世界に対して「ちょっと違うんじゃないか」も言いたい。自分の感覚で上手にミックスして、風通しを良くして「さぁ、どうしていこう」ということなので、今永積さんに言語化してもらった気がします。まさに風通しですね。
永積:俺もそういう描き方が好き。俺は一定の距離を取るところがあって、それは歌詞の世界観とも言える。アフロが書く詞もシネマティックじゃん。家族のことを歌った「ネクター」も、聴いていると部屋が見えてくるんだ。それも距離感なのかなって思うし、俺もそれなんだよね。自分はアフロのようにたくさん言葉を積めないから、声とか響きで空間とか余韻とか、歌詞の言い方によって、1つの部屋を作るのが好きなんだ。
アフロ:それこそ「家族の風景」に出てくる「キッチン」は、俺の中では(この日、永積が持参していた年代物のフィルムカメラを指して)この時代の景色なんですよね。ハイライトの横に、緑色のガラスで作られた大きい灰皿が見えるんですよ。
永積:ハハハ(笑)。
アフロ:おばあちゃん家の台所というか、俺の中ではおかって寄りのキッチンなんです。聴く人によって違うと思うんですけど、それも「君が思うキッチンでいいよ」という感じの距離なんですよね。
永積:最近すごく笑ったのが、二十歳の女の子に「小さい頃からハナレグミを聴いていて。「家族の風景」とかハナレグミの曲を聴いてると、自分が経験したことのない記憶が蘇ってくる」と言われて。すごい言い方をするなと思ったんだよ。
アフロ:本と一緒で、楽曲が自分を違う世界に連れて行ってくれる感覚ですね。めちゃくちゃ嬉しいじゃないですか。
永積:めちゃめちゃ嬉しかったね。
アフロ:俺も、6歳の子がこの前にライブを観に来てくれて「「tomorrow」って曲が好きです」と言ってくれたんですけど、言ったらアレは諦める曲なんですよ。でも、6歳は諦めないじゃないですか。歌詞の意味が全部分かってるとはさすがに思わないけど、もしかしたら曲からエッセンスを感じて、「未来の諦め」について想像してるのかなと思ったら、胸が締めつけられる感覚になったんですよね。
永積:諦めという言葉の周りにある、ひだは確実に感じているだろうね。俺が子供の頃、ビリー・バンバンというフォークユニットがいて。「「いちご白書」をもう一度」とユーミンさん(松任谷由実)が書いた曲があるんだよ。学生運動で現実に打ちのめされた学生たちが、夢に向かって大人と戦う。ただし、その先が続かなくなって、最後は世の中に出て自分も社会人になっていく。そういう諦めとか切なさが内包された歌詞なんだけど、俺は子供の頃からその曲が大好きで。終わっていくこととか、願っていたことがわないとか、別れていくっていうものに対する漠然とした切なさを感じたの。同時に、そこにはどこか快感もあって。切なさと一緒に立ち上がってくる快感。そういうものを、子供ながらに感じていたんだ。結局さ、今もその物質を使っているんだよ。歌っていて「今日はいいライブだったな」とか「これはいい曲だな」と測る時に、その頃に持っていた感度を使っている。だから、その6歳の子に興味があるな。諦めるっていうものに、何かを感じているだろうから。
アフロ:その感覚は、俺にもあったかな? でも、子供の頃に大人の漫画を読んで、何かを感じるというのはそういうことですよね。先回りをして「こういうことが起こるんだろうな」と漠然と予測する。そう思ったら、子供の中にも社会は存在していて。幼稚園児なりに「あの人は力が強くて、何となく威張ってるな」と思ったし、自分の好きなアンパンマンの世界と照らし合わせて「自分はカバオくん側だな」とか。うっすらと早い段階から社会を感じていて、具体化する前にその作品に触れて、その具体化の部分が何となくの予想で埋め尽くされていく独特の哀愁。そういうのは、あったのかもしれないな。
俺にとっては、『UEDA JOINT』が音楽の原体験なんです
MOROHAアフロ
永積:生まれはどこだっけ?
アフロ:長野県の上田市ですね。
永積:上田か! 『UEDA JOINT』(2002年から上田市で開催されているフリーフェス)があるよね?
アフロ:おっと! 知ってるんですか!
永積:あとね、俺のおばあちゃんの別荘が軽井沢にあって。御代田なんだけどさ。
アフロ:あ、大きいパフェのある。
永積:そうそう。
アフロ:え! あのパフェを知ってるんですか!?
永積:駅のそばでしょ? 行きますよ。
アフロ:ええー! 高校の夏休みとかに部活の仲間と「のんのん」へ行って、でっかいパフェを食べるのが恒例行事になっていて。当時の彼女とも行った!
永積:ハハハ、思い出が詰まっているんだね。
アフロ:そうなんです。『UEDA JOINT』は遊びに行ってました?
永積:名前は知っていて、知り合いのレゲエの人とかが出てるんだよね。
アフロ:Keycoさんとか、SOIL&"PIMP"SESSIONSとか?
永積:あと、Little Tempoの土生("TICO"剛)さんとか。
アフロ:はいはい! 俺にとっては、あのフェスが音楽の原体験なんですよ。テレビのチャートに乗ってる音楽しか知らなかった高校生の時に、無料で聴けるフェスがあるということで「もしかして、ミスチルとか来るのかな」と思って行ったら、今まで普通に生活していた中で会ったことがないような大人の人たちがたくさんいて。突然、異文化が町に入ってきたみたいな。全然音楽を知らない状態で、犬式とかを観てました。
永積:じゃあ、そこでぶっといルーツミュージックに出会ったんだ。
アフロ:後頭部を思いっきり殴られた感覚でしたね。すぐに良さを理解できたわけではないですけど、毎年来てくれるからちょっとずつ触れていくと、「アレ? これはヤバイものを観てるんじゃないか」って。そんな感じで俺のDNAに刻まれていった気がします。土砂降りのSOIL&"PIMP"SESSIONSとか、ある時はcro-magnonが来たり、山仁さん、Q-ILLさんのライブがあったり。
永積:MOROHAを始めた頃の音と、今の「ネクター」とかの曲が全然ブレてないっていうのは、多分そういう時の衝撃がアフロの中で今も変わらずあるからなんだろうね。
「より良くなるために悪くなることもある」
アフロ:三宅洋平さん曰く「『UEDA JOINT』という無料のフェスに、まだ音楽に詳しくない高校生とかが来て、その子らに対して俺たちはいっぱい種を蒔いている」と。彼らがこの音楽を聴いて育った時に、どんな音楽を作るのか。「それこそが、俺たちが年をとった時の年金なんだ」と言っていて。
永積:うわ、すごいフレーズだね。
アフロ:去年、犬式と対バンをする機会があったんですけど、三宅さんに「あの時に蒔いた年金がどうなったのかその目で確かめてください」と言ってステージを観てもらったんですよね。永積さんは、自分の原体験ってどこにありました?
永積:小中学生の頃は、さっき言ったようなフォークソングもそうだし、途中でマイケル・ジャクソンという黒船がやってきてさ。身体的な音楽表現というのかな。音の出てる場所がそれまで聴いていた音楽と違って、体が勝手に動いて「なんて楽しいんだろう!」という体験をした。それから高校生になると、音楽に詳しい友達ができて。レゲエというジャンルを教わって、ドカーン!と来たんだよね。そしてボブ・マーリーと出会い「自分が音楽をやるなら、こういうのだな」と思った。あと、日本ならBO GUMBOSとか、フィッシュマンズもそう。他にも色々あるけど、どこか体の深いところにきたのは限られていて。狂ったように、聴いていたのはその3組だね。
アフロ:フィッシュマンズのライブは観れました?
永積:観れたよ。SUPER BUTTER DOG(永積が組んでいた5人組バンド。2008年に解散をした)の時に、フィッシュマンズのオープニングアクトをやらせてもらった。BO GUMBOSは、野音でやった解散ライブを観に行ったね。
アフロ:残念ながら両ボーカルとも亡くなられてしまいましたけど、その時の喪失感ってどうでした?
永積:もちろん寂しかったけど、どんとさんはあまりにも遠い人だったから。亡くなって数年後に、どんとさんの奥さんと仲良くなれて「あぁ、あと一歩で会えたのにな」と思ったんだ。佐藤(伸治)さんとは直にお話することはなかったけど、オープニングアクトをやったりとか、茂木(欣一)さんとか、近い人とは知り合えていたから。あと、佐藤さんは言語感とかサウンド的に、自分の生きている時間のことを歌ってくれてるような感じで聴いてた。どんとさんはカッコいいなって遠いスターへの憧れ。佐藤さんは、あの人の歌とかサウンドのフォルムとか全部が自分の、その頃に暮らした国分寺の風景なんだよね。町とその中で生きてる自分の空虚さとか、全部を歌ってくれている。もはや一心同体みたいになっちゃったから、そんな人がいなくなることの、抜け殻感は結構大きかった。
アフロ:自分の一部をえぐられた感じですか?
永積:うん。やっぱり訃報を聞いた時は、自分も不安定になったよね。特に、バンドをやり始めて、曲を作ってる時にもフィッシュマンズを取り入れてるところが個人的にあったから。それはかなりショックだった。
アフロ:俺はブッチャーズ(bloodthirsty butchers)の吉村(秀樹)さんと、ギリギリご一緒できなかったんです。でも、すごい喪失感と共に、そこで1つギアが入った。間に合わなかったっていうことが、今後は起こらないように、なるべく「この人と一緒にやりたい」と思ったタイミングで、無理をしてでもオファーを出そうという気持ちにさせてもらえたんです。この前、ブッチャーズと近いシーンで活躍していたfOULとツーマンをしまして。その時のMCで「ブッチャーズとはやれなかったけど、fOULは活動休止から復活し、今回一緒にやれて良かったです」みたいなことを言ったんです。で、その時にちょうど北海道で吉村さんの展示か何か企画をやる方が来られていて。終演後に「宜しければ、吉村さんに対してコメントをください」と言われて、レコーダーを目の前に出されたんです。
何を喋れば良いんだろうと思いながら、言葉をポツポツ紡いだらその時に自分の口から「2マンするのが夢でした。でも叶わない夢もあることを教えてもらいました」というワードが出たんです。ただ、ネガティブな意味で言ってるわけではないから、誤解がないように「それさえも抱かせてくれたこと自体が、すごくありがたいなって思ってます」と付け足して。喪失感というものから時を経て、fOULと対バンしてレコーダーを向けられた。その人が吉村さんの企画をやろうと思わなかったら、俺の言葉は引き出してもらえなかったんですよね。あと、ラッパーの志人さんが書いた「より良くなるために悪くなることもある」というフレーズが凄く好きで。人が亡くなってしまうことは絶対に寂しいし、もちろん悲しいことだけど、それを受け取る側としては「自分の人生をより良くするためのキッカケ」にしていかなきゃいけないなと思った。先ほど、永積さんの「整う」話を聞いて、今色んなことを思い返して出てきた話ですね。
「手放してさえも残るものこそ信じなきゃいけない」
永積:今、1番新しいアルバムが『発光帯』という作品なんだけど。「発光」というのは「光る」のもあるけど、食物が「発酵」していくという意味もあって。音楽の世界はビビッドで新しくてフレッシュなものが、1番目につくし耳に入りやすいんだけど、自分がやりたい音楽とか好きな音楽は、時間をかけて色を変え、味わいを変えながらもローリングストーンしているものだと思っていて。「発酵」というのがすごく面白くてさ。次のフェーズに行って旨味も出るし、なんだったら発酵したからこそ体にとって一番必要なものになることもある。アフロの声を聴いていて、声が変化してきているんだよね。俺はその声の方がいいなって思うの。「ネクター」を聴いていて、いい声になってるなと思った。で、その声の方がアフロが言いたいことに、すごく近い気がしたの。久しぶりに『MOROHA II』を聴いて、あの頃の曲も物凄く刺さってくるんだけど、さっきの距離感の話と一緒で。何か伝えたいことと、「聴き手」と「発信していく側」との間に今の声の方がいい距離がある気がする。それはある意味、発光でもあるし、新たに必要なフェーズに行ってる発酵なんだよね。今の声の方が合ってる曲っていうのが、過去曲でもあると思う。自分で歌っていても、違って聴こえてくるはずだよ。
アフロ:めちゃくちゃ嬉しいし、まさに発酵でハッとしたことがあって。俺の友達は、おばちゃんを見ると同時に菌が見えるらしいんですよ。おばあちゃんから漬物を出してもらうと「おばあちゃんの菌をいただいてる感覚になる」と言っていて。
永積:その考えはすばらしいね。
アフロ:じゃあ発酵と逆の言葉は何かっていうと、友達は「腐敗」だって言うんですね。同じ方向性の言葉ではあるのに、全く違うニュアンスの意味になっている。何が違うのかって話になった時に、発酵するにはかき混ぜないといけない。つまりローリングストーンですよね。そうすることによって自分の菌が漬物に入っていって、どんどん味が芳醇になっていく。それを自分たちに置き換えた場合、かき混ぜる行為って一体何だろうと思ったら、問い続けて芸を磨くってことなんじゃないか、という話になったんです。永積さんにとって、かき混ぜる行為はなんですか?
永積:やっぱりライブかな。人に聴いてもらいたいのもそうだし、一瞬でも自分たちがライブハウスにいることや、我をも忘れるような瞬間の一部になりたいし、聴き手と一緒にかき回ざりたいっていうかさ。それができると、自分の中で生まれ変わってる感覚になれる。
アフロ:確かに、ライブはそういう作用がありますね。うまくいかなかったところも含めて。
永積:そうそう。だから「今までナシにしていたことを、アリにしていく」という。
アフロ:(感嘆の声を上げながら)ああ! 「ナシにしていたことを、アリにしていく」は、ちょうど俺が今やっていることですよ。発酵しようとして、まさにかき混ぜてる真っ最中。これまでは「無地のTシャツしか着ない」と言っていたけど、ちょっと着飾ってみるぞとか、人に対してちゃんと心を開いて接してみるぞとか、キャラチェンをしているところで。俺は今、発酵する気持ち満々なんです。
永積:自分がそうなんだけど、あるタイミングで「自分の中に変わらずあるものは何なんだろう」って考えるんだよね。ある程度、音楽をやっていると「もっとこうなんじゃないか」とか、クリエイトに対して欲が出てくるけどさ、果たしてこれはずっと自分の手元にある感覚なのか? と思ったりして。すごく迷うゆえに、小さくまとめそうな瞬間があるんだけど、むしろ「手放してさえも残るものこそ信じなきゃいけない」ことなんだろうなって答えに辿り着いた。
アフロ:俺、今すごく胸がギュッとなった。手放してさえも残るものか。
永積:それこそが、本当の自分なんだよね。
ちゃんと全うすることについ囚われがちだけど、音楽の本懐はそこじゃない
アフロ:永積さんにとって、発酵させてかき混ぜる行為とはどんなことが挙げられますか?
永積:それこそ『great journey』はそれだったかも。「自分に何ができるかな」と思ったけど、続けてみると毎回発見があるし、音楽の世界とは違う舞台の作り方なんだよね。それは、すごく自分のステージに活きていて。ライブも身体表現じゃん。でもマイクの前に立っていると、前だけに届けようとなっちゃうんだけど、本来自分の伝えたいことって全方向なんだよ。後ろにも横にも伝えたい。何だったら上下にも、自分のロディーや声や言葉とかが響いてほしい。いい時っていうのは、そういう瞬間だと思う。メロディーとか歌詞って、ともすると目の前にまっすぐの縦割りのものにだんだんなってきちゃうんだよね。ビートにスクエアに乗せていくとか綺麗な音にしていくと、だんだん縦がまっすぐになってきて、ただの竹みたいになっちゃう。だけど音の形ってもっと有機的で、ぶよぶよしていたりとかドロっとしていたりするようなものなんじゃないかな。そういう全方向に、前傾的な全ての形を持っているものだと思う。それは『great journey』の舞台に立った後に「もっと俺は歌うことからも解放されていいんだな」と気がついて、自分のライブがすごく楽になった。歌詞とか別に飛んでいいんだ、とかね。ちゃんと全うすることに、つい囚われがちなんだけど、音楽の本懐はそこじゃない。もっと言葉になる手前のものに、実は一番伝えたいことがあるんだよ。
アフロ:そうすると、練習がめっちゃ難しくなりません? それと逆をいく行為でもあるじゃないですか。
永積:だから……そんなに練習できないんだよ。
永積・アフロ:(顔を見合わせて)アハハハ!
アフロ:いや、そうなんですね! そこが俺は難しいなと思っていて。
永積:でも、楽しいよね。結局ステージのことはステージでしか分からないからさ。あと、その日はもう帰ってこない。その日のオーディエンスとか、その日のライブハウスの空気とか、ライブハウスに向かうまでの時間とか、全てがステージに出るんだよね。だから整っていくのを、感じていくことしかできないんじゃないかな。
アフロ:いとうせいこうさんが言った、めちゃくちゃ好きな言葉があるんです。「カッコいいラッパーは2種類しかいない。1回のライブに対して1000回練習するか、1回も練習しないか。そのどちらかにしか、ラッパーのカッコよさはない」って。それを聞いて感動したんです。つまり、そこで起こるトラブルすらも面白く見せるラッパーなのか、用意したものを完璧にやりきるラッパーなのか。
永積:せいこうさんの言う練習って、いわゆるマイクを持ってリハーサルするのとは違って、「普段からライブを感じてるかどうか」ってことじゃないかな。いつ本番が始まってもいい準備ができてるかどうか。日頃からライブに向けて「こういうアイデアを使いたい」もそう。イメージをちゃんと持つかどうかっていうのは、どっちかというとリハーサルをする側だよね。俺はそっちのタイプだな。
アフロ:そっか! じゃあ俺も1000回側です。逆に、1回も練習しないでいくっていうのは、中学生が初めてギターを掻き鳴らすぐらいのファーストインプレッションのことですよね。1000回はリハのことじゃなくて、日々ラッパーでいつづけることを1000回と言ってるのか。うわ、新解釈!
永積:うんうん、そうだと思うよ。
俺の中で「伝説の夜」と呼んでいる、クラムボン武道館の打ち上げの日
アフロ:最初に触れましたけど、勝手に俺の中で「伝説の夜」と呼んでいる、クラムボンの武道館の打ち上げの日があって。
永積:あの日は酔っ払いながら、フリースタイルとも言えないようなラップを頑張ってぶつけた記憶がある。
アフロ:そう! 永積さんに「フリースタイルやれよ!」と言われて。俺は俺で「やるんだったら永積さんがギター弾いてくださいよ」と言ったら、即答で「いいよ!」と言って弾いてくれて。「家族の風景」のリフで、俺と(スチャダラパーの)BOSEさんでラップをしたんですよ。
永積:俺、BOSEさん、アフロの3人でテーブルの角っこに座ってね。ハハハ、覚えてるなぁ。
アフロ:俺はね、あの日にかき混ざったっす。だって、その直前にTOSHI-LOWさんから「お前のリリックが全然聴き取れねえな!」って怒られたんです。武道館で「Scene3」をクラムボンのフィーチャリングで入った時に。
永積:ハハハ! そうだっけ?
アフロ:ぼろくそ怒られて、しょぼーんとしてお店に行ったら、BOSEさんと永積さんがカウンターに座っていて。俺が落ち込んでることを知らずに「アフロ! お前最高だな! こっち来て飲もうぜ!」って。
アフロ・永積:(顔を見合わせて)アハハハ!
アフロ:TOSHI-LOWさんに怒られ、二人に励まされ、前向きな気持ちになって。すごかったですよ、あの日は。本当に伝説の夜だった。俺の中ではどんとさんと佐藤さんがいる、みたいな感じですからね。言っときますけど、今回対談させてもらうのも、6月6日(火)に対バンさせてもらうのも、永積さんが思っている以上に嬉しいからね!
永積:ハハハ! 俺も頑張りますよ。どんな意気込みでライブするの?
アフロ:これまでは、ツーマンって相手を叩きのめして、圧倒的な勝利を収める以外に道はないと思っていたんです。でも今は、それこそかき混ぜるじゃないけど、相手が歌ってくださった曲に対して、後に出た自分たちがさらに意味付けをしたくて。作り手の思惑と違ったとしても「永積さんの歌ったあの曲とMOROHAのあの曲は、どこかで物語が交差していて、あの登場人物はこの登場人物なんじゃないか」ぐらいの妄想を抱いてもらえるようなライブができたらいいなって。そう思えてから、ちょっとこれは言いたくないんですけど、「勝ち負けじゃないところ」に着陸していってる感じがあるんです。だから、最近は超ハッピーなんですよ。
永積:どういう曲をやろうかな? ヒントをちょうだいよ。
アフロ:そもそも「家族の風景」を聴いてなければ、「ネクター」は作れていないですから。
永積:「家族の風景」はやりたいなと思う。お互いこう「仲良しなんです」って見せる必要もないし、お互いの音でやり切るでいいと思うし……ただ、その裏側では何かあるみたいなのがあると、よりライブが整うよね。
アフロ:それこそ発酵ですよ! かき混ぜるですよ! あの日の伝説の夜ぐらいかき混ぜましょう。発光(発酵)はすごいしっくりきました。自分のモードにも合ってるし、永積さんのアルバムタイトルにもなってるし。
永積:そうだね! しかし発酵には未来を感じちゃうな。うん、発酵の時代・発酵の感覚がやってきていると思うよ。なんか「新しいもの新しいもの」と求められていく中でさ、「新しいものって、そんなに必要かな?」みたいな。やっぱり俺は時間をかけた何かとか、しつこく残り続ける常在菌みたいなものの方が好きだな。そういうものが必要だと思う。
文=真貝聡 撮影=suuu

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