INTERVIEW / Yaffle Yaffle『After
the chaos』インタビュー、混沌の後
の世界で人間味ある幸福感を求めて

小袋成彬と共に〈TOKA〉(ex. Tokyo Recordings)を設立し、藤井 風iriadieu上白石萌歌)などの楽曲プロデュースで知られる気鋭のプロデューサーであるYaffleが、クラシック音楽の名門レーベル〈ドイツ・グラモフォン(Deutsche Grammophon)〉からアルバム『After the chaos』をリリースした。
ポップ・ミュージックや映画音楽の世界ですでに大きな成功を掴んでいるYaffleだが、高校時代にはファゴットを演奏し、国立音楽大学では鬼才・川島素晴に前衛音楽の作曲を学ぶなど、クラシック音楽からも影響を受けてきた。
そんなYaffleの最新作では、これまでこだわってきたビート・アプローチは意識的に抑えられているものの、その経験や知識を躍動感溢れるビートレスなトラックに昇華。自身のアイデンティティを感じさせる10曲であり、同時に新境地を切り開くような意欲作になっている。
Yaffleは白夜のアイスランドへ渡り、レイキャビクのスタジオに長期滞在。そこでひとり静かに自己との対話を進めながら制作に取り組み、CeaseTone、KARÍTAS、RAKELをはじめとするアイスランドの注目アーティストたちとコラボレーションしながら、アルバムを作り上げていったという。またレイキャビクで制作した楽曲の一部は日本に持ち帰られ、東京で行われたレコーディングにはヴァイオリニストの石上真由子やクラリネット奏者のコハーン・イシュトヴァーンなど、クラシック音楽の最前線で活躍する若手アーティストたちが参加。ジャンルの垣根を超えたコラボレーションを経て、完成に至っている。
疫病や戦争によって、2020年代は混沌の時代として幕を開けた。しかし、その先に人類はどのような幸福や生き方を見出せるというのだろうか。目の前にはよりよく生きるためのモデルケースがちらつくが、果たしてそれは本当に我々が心から求めているものなのか。『After the chaos』を聴いていると、そのことをそっと問いかけられているような気分になる。
果たしてYaffleは混沌の後にどのような世界や人間の心の在り方を見たのだろうか。本稿では『After the chaos』リリースの経緯やレイキャビク滞在時の様子を始め、本作の制作にまつわる話を本人に伺うことでその答えを探っていく。
混沌の後の世界へ思いを馳せる――アイスランド滞在で生まれたアルバム・コンセプト
――ポップミュージックや映画音楽の劇伴での輝かしい実績を築き上げてきた今、ポストクラシカルに取り組むことにした理由を教えてください。
Yaffle:特にジャンル感で取り組んだというわけじゃないんです。でも、聴いた人がそういうものだと捉えてくれるのであれば、それは僕にとってポジティブな反応だと思います。実は音楽を作るときにあまりジャンルをきっちり定義して作るタイプではないので、今作に関しては自然とそういうかたちになったというか。どちらかと言えば音響的なアプローチよりも自分が何を伝えたいかを追求した結果なんです。
音楽には何かを伝えることを追求したものと、シンプルに技法だとか音響的完成度を追求した2種類があると思うんです。例えば、メッセージうんぬんよりも単に気分がアガるだけのものも存在するし、逆にバックトラックだけでほぼ言いたいことが伝わってくる曲もありますよね。今作に関してはメッセージを伝えることを先行させる形で制作しました。
――今作はクラシック音楽の名門レーベル、〈ドイツ・グラモフォン〉からのリリースとなります。このレーベルからリリースすることになった経緯を教えてもらえますか?
Yaffle:去年の頭ぐらいに〈グラモフォン〉からリリースのお話を頂いたことがきっかけです。もちろん以前から知っていたレーベルではあるんですけど、特に意識的にそのテイストに寄せていこうとしたわけではないんです。ただ、「2022年に自分の音楽を作ることの意義は何だろう?」と考えたときに、今作のような作風にしようと思いました。
――以前から〈グラモフォン〉のことをご存知だったということですが、それまでレーベルに対してどういった印象を持っていましたか?
Yaffle:Herbert von Karajan(ヘルベルト・フォン・カラヤン)やLeonard Bernstein(レナード・バーンスタイン)の作品などをリリースしているので、一言で言えば“クラシックの大老舗”というか、そのカタログの強さがまず第一印象としてあります。ただ、その一方でMax Richter(マックス・リヒター)のようなポストクラシカルのアーティストの作品もリリースしてるから、僕の中では先進的なことにも取り組んでいるレーベルという印象もあります。
――今回は制作のためにアイスランドのレイキャビクのスタジオに長期滞在し、CeaseTone、KARÍTAS、RAKELといった現地の注目アーティストたちとコラボしながら作り上げていったとのことですが、アイスランドを制作の舞台に決めた理由を教えてもらえますか?
Yaffle:自分が知らない、行ったことがない場所で自分の無意識をコントロールすることに興味があったんです。同じ海外でもNYやLA、ロンドンは街が忙しいし、東京もそうですけど、結局、忙しい街って周囲と関わりを持たないとやっていけない。でも、そういうところとは隔離された場所で自己対話を繰り返しながら音楽を作ってみたかったから、今回はレイキャビクに滞在することを決めました。
――実際に滞在してみていかがでしたか?
Yaffle:2週間ほどレイキャビクに滞在しましたが、人口密度も低いし、それに寒い。そして街自体も思っていたとおり、忙しくなかったです。アイスランドの人口って大体30万人くらいで、レイキャビクにはそのうちの20万人くらいが住んでいるそうなんですが、それでも実際に行ってみると想像していた以上に田舎で驚きましたね。
車で5分くらい走れば、すぐ誰もいないような場所に行き着くし、本当に“コンパクト・シティ”という感じです。それとアイスランドに来た気分も味わいたかったので、ヨークルスアゥルロゥンという氷河湖に行き、そこで映画『タイタニック』に出てくるようなすごく大きな氷塊を見ました。あとそのときのツアー・ガイドさんの背筋が、これまで自分が見たことがないくらいすごくピンと伸びていたんです。それを見て、アイスランドの人は自己肯定感が強いんだろうなと思いました(笑)。それは現地の他の人と話していても感じたことで。ただ、決して嫌味はなく、高飛車な印象もなかったですね。そういうところから来る優しさがあるようにも思いました。
――そういったアイスランド人らしさは、今作の音楽性にも表れていると思いますか?
Yaffle:そうですね。結局、何があっても強く生きていくということの表れなんだと思います。今作のコンセプト自体が割とそういった内容でもあるので、制作においても全体的にその影響を受けています。
例えば、コロナ禍で世界のシステムがダウンしてしまい、この先どうなるかわからないという状況でも、結局僕らはどうにかやっていくしかなかった。だから、今後も種として滅びるときまで、人類はきっと何かしら今の自分たちと同じような体験をしてるんだと思います。
そもそも今作のイメージは、混沌とした今の状況が終わった後に「自分や次の世代はどんな生活をしているんだろう?」と考えたことから生まれました。そのときにその時代を生きる世代は、仮に今の自分たちが思う幸せとはちょっと遠い状態だったとしても、その人たちなりに楽しくやっているんじゃないかなと思ったんです。
そもそも人が感じる幸せは相対的なものだし、誰か不幸せで困っている人がいたとしても、自分の悩みと比べられるものでもない。そのこと自体はきっと先の世代であっても変わらないと思うんです。そう考えると、それはある種の消せない人間性の証明でもあるような気がして。
今作におけるビートが果たす機能と、あえて狙ったコラボレーターとの“ズレ”
――今作ではそういった混沌の後の世界でも人間は幸せを見出せるというストーリーを描きたかったということでしょうか?
Yaffle:そうですね。例えば、SFの世界では“スーパー未来人”というか、人間が学び、成長することで過ちを繰り返さない、言わば人間の上位概念のような存在が描かれることは少なくありません。そういう未来は、確かに一見すると素晴らしいものなのかもしれません。でも、そうなってしまうとこれまでの人間の歴史との繋がりがなくなってしまう気がするし、それは僕にとっては絶望的なんですよ。
2000年前の人の話を読んでいても、今の時代に生きる自分と繋がりがあると感じる理由は、「結局、考えていることは同じだな」と思えるからです。もちろん、その頃と比べると人間のIQが上がったり、風俗が変わったり、テクノロジーが進化したり、変わった部分はたくさんあると思います。でも、楽しいとか、悲しいとか、あるいはエモいと思うことなど、人間の感情自体は今も昔もそんなに変わらない。だから、僕としては未来もそうであってほしいと思っています。そう考えると、仮にこの先で待っているものが悲劇的な状況だったとしても、人間は相対的に希望を見出すことはできるはずです。そういったコンセプトで今作を制作しました。
――そういった考えに至ったのはご自身のこれまでの経験が大きいのでしょうか?
Yaffle:僕らの世代は生まれてからずっとデフレだったこともあって、よく上の世代の人たちから「あの好景気を体験していない、幸せを知らない世代だね」という風に言われるんです。でも、それはこっちからすると相対的というか、「そう言われてもこっちはこっちで楽しかったり、辛かったりしながらやってきているよ」という話だから、そういった上の世代との捉え方のギャップは少なからずありますね。そのことも今作に影響を与えていると思います。
――これまで制作してきたポップ・ミュージックと今作のようなポストクラシカルの楽曲では制作プロセスにおいて、何か違いはあるのでしょうか?
Yaffle:プロデュース曲の場合だと、まずそのアーティストが歌うという大きな制約があります。その一方で、自分のオリジナル曲の場合はゲスト・ボーカルを呼ぶ呼ばないを含めてオプションは無限にある。最初にコンセプトを決めておかないと、逆にそれが枷になってしまうんです。そういうこともあって、今回はさっきお話したメッセージ性の部分をアルバムのコンセプトにしようと最初に決めました。
また実際のトラック制作に関しては、ビートをなるべく抑える、あるいは入れたとしてもあまり主張してこないものにするという、自分の中でエッセンシャルだと思っていた部分をあえて間引いてみるという形で制作しました。そこがいつもの自分の制作フローとはかなり違う部分ですね。
――今、ビートの話が出てきましたが、前作『Lost, Never Gone』ではビートのバリエーションの多彩さが印象的でした。今作はノンビートの曲がありつつも、「as a human」、「You don’t have to feel more pain」などビートが印象的な曲もあります。こういったポストクラシカルの楽曲において、ビートはどのような役割を果たすものとして捉えていますか?
Yaffle:まず僕の場合、ヴァイオリンとドラムを根源的に別のものとして捉えていないというか、ドラムとそれ以外をレイヤー化して分けないことを制作の前提にしています。ドラムの音はある意味では音量変化だと言えると思います。それに、例えばヴァイオリンの音でも短く切ってしまえばパーカッションになる。逆にトラップのTR-808キックのように音を伸ばしてしまえば、音程楽器のように聴こえてきます。そう考えるとドラムもヴァイオリンも渾然一体だから、仮にビートレスでの曲であっても躍動感を常に感じる曲にすることを常々心がけています。
ただ、今作のアプローチにおいては、ビートを自分のある種のシグネチャーとして曲の中に置いてるような感じはありますね。確かに今作は音響的にはヴァイオリンやピアノなどアコースティックな楽器が多いのですが、そういう曲の先達はすでにいっぱいいるわけで……。
そういったものに対して、自分の作品としてチャレンジングな部分を出せるとしたら、それはこれまでの自分が培ってきたものを足していくということ。そうしないと新規性が出せないという気はしていました。とはいえ、そこをやりすぎるとコンセプトがブレて、結局前作と同じになってしまうなと。それと、今回は誰も聴いたことのない目新しい音楽を目指したわけではなく、それよりも人間の情緒に訴えるものにしたかったこともあって、そこの塩梅をどうするかという部分ではかなり苦労しました。
Yaffle:あと現在に生きている自分が提供する音であれば、やっぱり何かしらの現代性は常に持たせたいと思っています。今作にしても今以降のことがテーマなので、その音が昔っぽくなってしまうと本末転倒ですよね。だから、レンジ感を担保することでオールドスクールにならないようにしたかった。その代表としてビートを入れたというのはありますが、実際にビートを入れた曲に関してもビートレスでも機能するかどうか試しています。制作過程で何度も削ることにトライした上で、最終的に(ビートを削ると)曲としての魅力が落ちてしまうと感じた曲にだけビートを入れました。
――東京でのスタジオ作業では、クラシック音楽の最前線で活躍する若手アーティストたちとコラボされています。これはどういった考えから至ったのでしょうか?
Yaffle:基本的に再現芸術であるクラシック音楽の演奏家とデザインを思考する作曲家とではそれぞれ目指すゴールが違います。例えば、演奏家は日々研鑽を積んだ演奏技術で人々を魅了するのに対して、作曲家は前例のない一曲を作りたいと考える。だから、どうしてもその目的にはズレが生じるんです。
とはいえ、演奏家の中にもやっぱりクロスオーバーなタイプの人もいます。そういう人はクラシック以外の音楽にも鼻が利くから一緒に音楽を作りやすいというか、こちらの意図を理解してくれる速度も解像度も高い。だから、今作のようにどちらかと言えばポップス寄りの作品を作るのであれば、クロスオーバー・タイプの人とコラボする方がスムーズだとは思います。
でも、今回はそうではない、その極北とも言えるオーセンティックなところで切磋琢磨してる演奏家の人とあえて一緒にやることにしました。そこで生じるズレや予期せぬ要素も上手く取り込むことで、今作をより高いレベルに持っていきたいと考えたんです。
「どういう状況であれ、僕らはやっていくしかないし、営んでいくしかない」
――今作には2018年の「Empty Room feat. Benny Sings」のリワークのほか、「Stay in the light ft. RAKEL」「Alone ft. CeaseTone」「Storm ft. KARÍTAS」の3曲の歌モノ曲が収録されています。歌詞はコラボレーターのクレジットになっていますが、歌詞の制作に際してはどのようなやりとりがあったのでしょうか?

Yaffle:まず、こちらであらかじめアルバム全体の構想を決めておき、シンガーにアポイントメントを取った段階で、アルバムの構想とどのセクションで彼らの歌詞を機能させたいかをお伝えしました。その理由はさっきも話したように、今作をコンセプチュアルな作品にしたかったからです。
もちろん、伝えた内容の解釈についてはその人にお任せしましたが、「喪失を悲しむひとりの男としての歌詞にしてほしい」とか、「そこはもっと光差す希望を感じたことが伝わる歌詞にしてほしい」といったように、こちらの意図していることの大枠は伝えています。その上で基本的に「あなたはこの場面でこういう登場の仕方をするからこういう内容の歌詞にしてほしい」という感じで歌詞を書いてもらいました。つまり、彼らには僕が書いた私小説のキャラクターとして作品に登場してもらい、その場面に合ったセリフを僕の意図に沿って考えてもらった上で、口にしてもらったというイメージです。
――『Lost, Never Gone』リリース時は、リスナーに「ネガティヴの中にもある、ある種の美しさに共感を覚えてほしい」というメッセージを伝えていたことが印象的でした。現在、我々は疫病や戦争によって、その頃よりもさらに混沌とした時代を迎えており、世の中の過酷さが増した気がします。そんな状況の中でリリースされる本作を通じて、リスナーに最も伝えたいのはどんなことでしょうか?
Yaffle:あえてひとつ選ぶというのであれば、僕が伝えたいのは、相対的に光があるということです。どういう状況であれ、僕らはやっていくしかないし、営んでいくしかない。でも、選んでさえいけば、そこに光があるという感覚が僕にはあるんです。
ただ、ちょっと意地悪く言えば、絶対的な幸せがないということも人間のいい機能だと思うところもあって。なぜなら人間は勝手に測定して、中央値を求めて、その差を生み出していく生き物だからです。だから、自分で選んでさえいれば、仮にそこがドン底に見えたとしても、その中で“普通”を自分で設定することができるんです。
そういうこともあって、僕は何か絶対的な幸福みたいなものがあったとして、みんなでそれに突き進んでいくというのはやめた方がいいと思っています。「お金があって幸せ。そして、最後は家族に囲まれて死ぬ」という理想的な人生のモデルケースとされるものがありますが、そのためにそれに向けて逆算しながらみんなで一斉に進んでいくよりも、その瞬間瞬間で見つかる自分たちの救いとなるものを大事にしてほしいです。そうしなくても、人間は自ら意味付けして、意味や意義がある人生を過ごせるはずだから。
――つまり、一般的に言われている理想的な幸福モデルを追い求めるよりもそれぞれの幸せを求めていくべきということでしょうか?
Yaffle:そうですね。ただ、一方ではそういった理想の幸福モデルに捕らわれたまま、事が成就せず人生が終わってしまうこともそれはそれで美しいと思うんです。今は特にそういう時勢というか、“みんなが利口になって一様に慎ましく生きるべき”という風潮がありますが、それとは逆に“金と権力”を追い求めて生きた末に寂しい最後を迎える生き方だって、すごく人間味がある。もしかしたら生き方としてはちょっと汚いのかもしれませんが、それもまたひとつの歩みとしてすごく惹かれます。
その意味では、一般的なモデルケースだからと言って、みんなが利口になるのをただ一様に目指すことの方が危険だと思いますね。そうなると“幸福になる”という概念は、ある意味では強迫観念的なものなのかもしれません。
僕は色々なものを美しいと思いたいし、本当に自分がえたい欲求があるのであれば、幸福を逆算しながら追い求めるのではなく、人目を気にせずに突き進んでほしいです。そういう生き方もまた人間味がある美しい生き方だと思うから。
【リリース情報】
■ 配信/購入リンク(https://yaffle.lnk.to/Afterthechaos)
■Yaflle: Twitter(https://twitter.com/YAFFL3) / Instagram(https://www.instagram.com/yaffl3/)
小袋成彬と共に〈TOKA〉(ex. Tokyo Recordings)を設立し、藤井 風やiri、adieu(上白石萌歌)などの楽曲プロデュースで知られる気鋭のプロデューサーであるYaffleが、クラシック音楽の名門レーベル〈ドイツ・グラモフォン(Deutsche Grammophon)〉からアルバム『After the chaos』をリリースした。
ポップ・ミュージックや映画音楽の世界ですでに大きな成功を掴んでいるYaffleだが、高校時代にはファゴットを演奏し、国立音楽大学では鬼才・川島素晴に前衛音楽の作曲を学ぶなど、クラシック音楽からも影響を受けてきた。
そんなYaffleの最新作では、これまでこだわってきたビート・アプローチは意識的に抑えられているものの、その経験や知識を躍動感溢れるビートレスなトラックに昇華。自身のアイデンティティを感じさせる10曲であり、同時に新境地を切り開くような意欲作になっている。
Yaffleは白夜のアイスランドへ渡り、レイキャビクのスタジオに長期滞在。そこでひとり静かに自己との対話を進めながら制作に取り組み、CeaseTone、KARÍTAS、RAKELをはじめとするアイスランドの注目アーティストたちとコラボレーションしながら、アルバムを作り上げていったという。またレイキャビクで制作した楽曲の一部は日本に持ち帰られ、東京で行われたレコーディングにはヴァイオリニストの石上真由子やクラリネット奏者のコハーン・イシュトヴァーンなど、クラシック音楽の最前線で活躍する若手アーティストたちが参加。ジャンルの垣根を超えたコラボレーションを経て、完成に至っている。
疫病や戦争によって、2020年代は混沌の時代として幕を開けた。しかし、その先に人類はどのような幸福や生き方を見出せるというのだろうか。目の前にはよりよく生きるためのモデルケースがちらつくが、果たしてそれは本当に我々が心から求めているものなのか。『After the chaos』を聴いていると、そのことをそっと問いかけられているような気分になる。
果たしてYaffleは混沌の後にどのような世界や人間の心の在り方を見たのだろうか。本稿では『After the chaos』リリースの経緯やレイキャビク滞在時の様子を始め、本作の制作にまつわる話を本人に伺うことでその答えを探っていく。
混沌の後の世界へ思いを馳せる――アイスランド滞在で生まれたアルバム・コンセプト
――ポップミュージックや映画音楽の劇伴での輝かしい実績を築き上げてきた今、ポストクラシカルに取り組むことにした理由を教えてください。
Yaffle:特にジャンル感で取り組んだというわけじゃないんです。でも、聴いた人がそういうものだと捉えてくれるのであれば、それは僕にとってポジティブな反応だと思います。実は音楽を作るときにあまりジャンルをきっちり定義して作るタイプではないので、今作に関しては自然とそういうかたちになったというか。どちらかと言えば音響的なアプローチよりも自分が何を伝えたいかを追求した結果なんです。
音楽には何かを伝えることを追求したものと、シンプルに技法だとか音響的完成度を追求した2種類があると思うんです。例えば、メッセージうんぬんよりも単に気分がアガるだけのものも存在するし、逆にバックトラックだけでほぼ言いたいことが伝わってくる曲もありますよね。今作に関してはメッセージを伝えることを先行させる形で制作しました。
――今作はクラシック音楽の名門レーベル、〈ドイツ・グラモフォン〉からのリリースとなります。このレーベルからリリースすることになった経緯を教えてもらえますか?
Yaffle:去年の頭ぐらいに〈グラモフォン〉からリリースのお話を頂いたことがきっかけです。もちろん以前から知っていたレーベルではあるんですけど、特に意識的にそのテイストに寄せていこうとしたわけではないんです。ただ、「2022年に自分の音楽を作ることの意義は何だろう?」と考えたときに、今作のような作風にしようと思いました。
――以前から〈グラモフォン〉のことをご存知だったということですが、それまでレーベルに対してどういった印象を持っていましたか?
Yaffle:Herbert von Karajan(ヘルベルト・フォン・カラヤン)やLeonard Bernstein(レナード・バーンスタイン)の作品などをリリースしているので、一言で言えば“クラシックの大老舗”というか、そのカタログの強さがまず第一印象としてあります。ただ、その一方でMax Richter(マックス・リヒター)のようなポストクラシカルのアーティストの作品もリリースしてるから、僕の中では先進的なことにも取り組んでいるレーベルという印象もあります。
――今回は制作のためにアイスランドのレイキャビクのスタジオに長期滞在し、CeaseTone、KARÍTAS、RAKELといった現地の注目アーティストたちとコラボしながら作り上げていったとのことですが、アイスランドを制作の舞台に決めた理由を教えてもらえますか?
Yaffle:自分が知らない、行ったことがない場所で自分の無意識をコントロールすることに興味があったんです。同じ海外でもNYやLA、ロンドンは街が忙しいし、東京もそうですけど、結局、忙しい街って周囲と関わりを持たないとやっていけない。でも、そういうところとは隔離された場所で自己対話を繰り返しながら音楽を作ってみたかったから、今回はレイキャビクに滞在することを決めました。
――実際に滞在してみていかがでしたか?
Yaffle:2週間ほどレイキャビクに滞在しましたが、人口密度も低いし、それに寒い。そして街自体も思っていたとおり、忙しくなかったです。アイスランドの人口って大体30万人くらいで、レイキャビクにはそのうちの20万人くらいが住んでいるそうなんですが、それでも実際に行ってみると想像していた以上に田舎で驚きましたね。
車で5分くらい走れば、すぐ誰もいないような場所に行き着くし、本当に“コンパクト・シティ”という感じです。それとアイスランドに来た気分も味わいたかったので、ヨークルスアゥルロゥンという氷河湖に行き、そこで映画『タイタニック』に出てくるようなすごく大きな氷塊を見ました。あとそのときのツアー・ガイドさんの背筋が、これまで自分が見たことがないくらいすごくピンと伸びていたんです。それを見て、アイスランドの人は自己肯定感が強いんだろうなと思いました(笑)。それは現地の他の人と話していても感じたことで。ただ、決して嫌味はなく、高飛車な印象もなかったですね。そういうところから来る優しさがあるようにも思いました。
――そういったアイスランド人らしさは、今作の音楽性にも表れていると思いますか?
Yaffle:そうですね。結局、何があっても強く生きていくということの表れなんだと思います。今作のコンセプト自体が割とそういった内容でもあるので、制作においても全体的にその影響を受けています。
例えば、コロナ禍で世界のシステムがダウンしてしまい、この先どうなるかわからないという状況でも、結局僕らはどうにかやっていくしかなかった。だから、今後も種として滅びるときまで、人類はきっと何かしら今の自分たちと同じような体験をしてるんだと思います。
そもそも今作のイメージは、混沌とした今の状況が終わった後に「自分や次の世代はどんな生活をしているんだろう?」と考えたことから生まれました。そのときにその時代を生きる世代は、仮に今の自分たちが思う幸せとはちょっと遠い状態だったとしても、その人たちなりに楽しくやっているんじゃないかなと思ったんです。
そもそも人が感じる幸せは相対的なものだし、誰か不幸せで困っている人がいたとしても、自分の悩みと比べられるものでもない。そのこと自体はきっと先の世代であっても変わらないと思うんです。そう考えると、それはある種の消せない人間性の証明でもあるような気がして。
今作におけるビートが果たす機能と、あえて狙ったコラボレーターとの“ズレ”
――今作ではそういった混沌の後の世界でも人間は幸せを見出せるというストーリーを描きたかったということでしょうか?
Yaffle:そうですね。例えば、SFの世界では“スーパー未来人”というか、人間が学び、成長することで過ちを繰り返さない、言わば人間の上位概念のような存在が描かれることは少なくありません。そういう未来は、確かに一見すると素晴らしいものなのかもしれません。でも、そうなってしまうとこれまでの人間の歴史との繋がりがなくなってしまう気がするし、それは僕にとっては絶望的なんですよ。
2000年前の人の話を読んでいても、今の時代に生きる自分と繋がりがあると感じる理由は、「結局、考えていることは同じだな」と思えるからです。もちろん、その頃と比べると人間のIQが上がったり、風俗が変わったり、テクノロジーが進化したり、変わった部分はたくさんあると思います。でも、楽しいとか、悲しいとか、あるいはエモいと思うことなど、人間の感情自体は今も昔もそんなに変わらない。だから、僕としては未来もそうであってほしいと思っています。そう考えると、仮にこの先で待っているものが悲劇的な状況だったとしても、人間は相対的に希望を見出すことはできるはずです。そういったコンセプトで今作を制作しました。
――そういった考えに至ったのはご自身のこれまでの経験が大きいのでしょうか?
Yaffle:僕らの世代は生まれてからずっとデフレだったこともあって、よく上の世代の人たちから「あの好景気を体験していない、幸せを知らない世代だね」という風に言われるんです。でも、それはこっちからすると相対的というか、「そう言われてもこっちはこっちで楽しかったり、辛かったりしながらやってきているよ」という話だから、そういった上の世代との捉え方のギャップは少なからずありますね。そのことも今作に影響を与えていると思います。
――これまで制作してきたポップ・ミュージックと今作のようなポストクラシカルの楽曲では制作プロセスにおいて、何か違いはあるのでしょうか?
Yaffle:プロデュース曲の場合だと、まずそのアーティストが歌うという大きな制約があります。その一方で、自分のオリジナル曲の場合はゲスト・ボーカルを呼ぶ呼ばないを含めてオプションは無限にある。最初にコンセプトを決めておかないと、逆にそれが枷になってしまうんです。そういうこともあって、今回はさっきお話したメッセージ性の部分をアルバムのコンセプトにしようと最初に決めました。
また実際のトラック制作に関しては、ビートをなるべく抑える、あるいは入れたとしてもあまり主張してこないものにするという、自分の中でエッセンシャルだと思っていた部分をあえて間引いてみるという形で制作しました。そこがいつもの自分の制作フローとはかなり違う部分ですね。
――今、ビートの話が出てきましたが、前作『Lost, Never Gone』ではビートのバリエーションの多彩さが印象的でした。今作はノンビートの曲がありつつも、「as a human」、「You don’t have to feel more pain」などビートが印象的な曲もあります。こういったポストクラシカルの楽曲において、ビートはどのような役割を果たすものとして捉えていますか?
Yaffle:まず僕の場合、ヴァイオリンとドラムを根源的に別のものとして捉えていないというか、ドラムとそれ以外をレイヤー化して分けないことを制作の前提にしています。ドラムの音はある意味では音量変化だと言えると思います。それに、例えばヴァイオリンの音でも短く切ってしまえばパーカッションになる。逆にトラップのTR-808キックのように音を伸ばしてしまえば、音程楽器のように聴こえてきます。そう考えるとドラムもヴァイオリンも渾然一体だから、仮にビートレスでの曲であっても躍動感を常に感じる曲にすることを常々心がけています。
ただ、今作のアプローチにおいては、ビートを自分のある種のシグネチャーとして曲の中に置いてるような感じはありますね。確かに今作は音響的にはヴァイオリンやピアノなどアコースティックな楽器が多いのですが、そういう曲の先達はすでにいっぱいいるわけで……。
そういったものに対して、自分の作品としてチャレンジングな部分を出せるとしたら、それはこれまでの自分が培ってきたものを足していくということ。そうしないと新規性が出せないという気はしていました。とはいえ、そこをやりすぎるとコンセプトがブレて、結局前作と同じになってしまうなと。それと、今回は誰も聴いたことのない目新しい音楽を目指したわけではなく、それよりも人間の情緒に訴えるものにしたかったこともあって、そこの塩梅をどうするかという部分ではかなり苦労しました。
Yaffle:あと現在に生きている自分が提供する音であれば、やっぱり何かしらの現代性は常に持たせたいと思っています。今作にしても今以降のことがテーマなので、その音が昔っぽくなってしまうと本末転倒ですよね。だから、レンジ感を担保することでオールドスクールにならないようにしたかった。その代表としてビートを入れたというのはありますが、実際にビートを入れた曲に関してもビートレスでも機能するかどうか試しています。制作過程で何度も削ることにトライした上で、最終的に(ビートを削ると)曲としての魅力が落ちてしまうと感じた曲にだけビートを入れました。
――東京でのスタジオ作業では、クラシック音楽の最前線で活躍する若手アーティストたちとコラボされています。これはどういった考えから至ったのでしょうか?
Yaffle:基本的に再現芸術であるクラシック音楽の演奏家とデザインを思考する作曲家とではそれぞれ目指すゴールが違います。例えば、演奏家は日々研鑽を積んだ演奏技術で人々を魅了するのに対して、作曲家は前例のない一曲を作りたいと考える。だから、どうしてもその目的にはズレが生じるんです。
とはいえ、演奏家の中にもやっぱりクロスオーバーなタイプの人もいます。そういう人はクラシック以外の音楽にも鼻が利くから一緒に音楽を作りやすいというか、こちらの意図を理解してくれる速度も解像度も高い。だから、今作のようにどちらかと言えばポップス寄りの作品を作るのであれば、クロスオーバー・タイプの人とコラボする方がスムーズだとは思います。
でも、今回はそうではない、その極北とも言えるオーセンティックなところで切磋琢磨してる演奏家の人とあえて一緒にやることにしました。そこで生じるズレや予期せぬ要素も上手く取り込むことで、今作をより高いレベルに持っていきたいと考えたんです。
「どういう状況であれ、僕らはやっていくしかないし、営んでいくしかない」
――今作には2018年の「Empty Room feat. Benny Sings」のリワークのほか、「Stay in the light ft. RAKEL」「Alone ft. CeaseTone」「Storm ft. KARÍTAS」の3曲の歌モノ曲が収録されています。歌詞はコラボレーターのクレジットになっていますが、歌詞の制作に際してはどのようなやりとりがあったのでしょうか?

Yaffle:まず、こちらであらかじめアルバム全体の構想を決めておき、シンガーにアポイントメントを取った段階で、アルバムの構想とどのセクションで彼らの歌詞を機能させたいかをお伝えしました。その理由はさっきも話したように、今作をコンセプチュアルな作品にしたかったからです。
もちろん、伝えた内容の解釈についてはその人にお任せしましたが、「喪失を悲しむひとりの男としての歌詞にしてほしい」とか、「そこはもっと光差す希望を感じたことが伝わる歌詞にしてほしい」といったように、こちらの意図していることの大枠は伝えています。その上で基本的に「あなたはこの場面でこういう登場の仕方をするからこういう内容の歌詞にしてほしい」という感じで歌詞を書いてもらいました。つまり、彼らには僕が書いた私小説のキャラクターとして作品に登場してもらい、その場面に合ったセリフを僕の意図に沿って考えてもらった上で、口にしてもらったというイメージです。
――『Lost, Never Gone』リリース時は、リスナーに「ネガティヴの中にもある、ある種の美しさに共感を覚えてほしい」というメッセージを伝えていたことが印象的でした。現在、我々は疫病や戦争によって、その頃よりもさらに混沌とした時代を迎えており、世の中の過酷さが増した気がします。そんな状況の中でリリースされる本作を通じて、リスナーに最も伝えたいのはどんなことでしょうか?
Yaffle:あえてひとつ選ぶというのであれば、僕が伝えたいのは、相対的に光があるということです。どういう状況であれ、僕らはやっていくしかないし、営んでいくしかない。でも、選んでさえいけば、そこに光があるという感覚が僕にはあるんです。
ただ、ちょっと意地悪く言えば、絶対的な幸せがないということも人間のいい機能だと思うところもあって。なぜなら人間は勝手に測定して、中央値を求めて、その差を生み出していく生き物だからです。だから、自分で選んでさえいれば、仮にそこがドン底に見えたとしても、その中で“普通”を自分で設定することができるんです。
そういうこともあって、僕は何か絶対的な幸福みたいなものがあったとして、みんなでそれに突き進んでいくというのはやめた方がいいと思っています。「お金があって幸せ。そして、最後は家族に囲まれて死ぬ」という理想的な人生のモデルケースとされるものがありますが、そのためにそれに向けて逆算しながらみんなで一斉に進んでいくよりも、その瞬間瞬間で見つかる自分たちの救いとなるものを大事にしてほしいです。そうしなくても、人間は自ら意味付けして、意味や意義がある人生を過ごせるはずだから。
――つまり、一般的に言われている理想的な幸福モデルを追い求めるよりもそれぞれの幸せを求めていくべきということでしょうか?
Yaffle:そうですね。ただ、一方ではそういった理想の幸福モデルに捕らわれたまま、事が成就せず人生が終わってしまうこともそれはそれで美しいと思うんです。今は特にそういう時勢というか、“みんなが利口になって一様に慎ましく生きるべき”という風潮がありますが、それとは逆に“金と権力”を追い求めて生きた末に寂しい最後を迎える生き方だって、すごく人間味がある。もしかしたら生き方としてはちょっと汚いのかもしれませんが、それもまたひとつの歩みとしてすごく惹かれます。
その意味では、一般的なモデルケースだからと言って、みんなが利口になるのをただ一様に目指すことの方が危険だと思いますね。そうなると“幸福になる”という概念は、ある意味では強迫観念的なものなのかもしれません。
僕は色々なものを美しいと思いたいし、本当に自分が叶えたい欲求があるのであれば、幸福を逆算しながら追い求めるのではなく、人目を気にせずに突き進んでほしいです。そういう生き方もまた人間味がある美しい生き方だと思うから。
【リリース情報】
■ 配信/購入リンク(https://yaffle.lnk.to/Afterthechaos)

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